Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
その時、カティナが呼んだのか、エドワードがやってきた。ゼノはすぐさま彼の前で手紙を広げて見せ、
「進路変更です。ルルイリエじゃなくてサーフェスでお願いします!」
そう訴えた。エドワードは手紙に素早く目を通すと、何か悩むように眉を寄せた。
「それは構いませんが、ここからだと一度ルルイリエ近くまで行ってから東に向かわねばならないので、少々時間がかかってしまいますよ。今は砂嵐の時期なんで、街道から外れると足止めを食う確率が高い」
「あ・・・・・・! そういえばそうでしたわ!」
すっかり失念していたという風にティリーは言った。ルゼリ砂漠に街道がちゃんと敷かれているのは、道に迷わないようにするためだけではなく、定期的に起こる砂嵐で通れる場所が決まっているからでもあるらしい。
「つまり奴らは砂嵐の中を突っ切ったということか?」
「正気かよ!? シリルもいるのに!」
ゼノは拳を握り締め、苛立ちを滲ませて言った。わざわざ突っ切るということはある程度安全に通る策があるのだろうが、それにしても無茶苦茶だ。
「ともかく、明日の朝一番に出発しましょう。出来るだけ速くサーフェスに到着出来るよう、力を尽くします」
「ありがとうございます!」
ゼノはそう言って、エドワードに勢いよく頭を下げた。
小さな漁村サーフェスはメリエ・セラスから海岸沿いに北西へ少し進んだところにある。内海沿いでは唯一の漁港で、沿岸部で細々と魚を取っているそうだ。それ以外は取り立てて特徴のない、静かな漁村らしい。のだが、
「何かあったのかしら」
サーフェスの人々の様子を見て、カティナが不安げに呟いた。村の人々はピリピリした雰囲気を纏い、何事かしきりに囁き合っている。慌ただしくやってきて、集まっている人々に何かを報告している者もいる。どうやら港の方で何かあったらしい。村の人々は何度もそちらへ視線を向けていた。
そんな中でこちらに駆け寄って来る人物がいた。キーネスだ。人々を掻き分け、御者台の横までやってきた彼に、リゼはすぐさま尋ねた。
「何があったの」
すると、キーネスは苦虫を噛み潰したような顔した。
「簡単に言う。奴らは船に乗った。漁船が一隻強奪された。港で派手な騒ぎを起こしたらしい」
「シリルは!?」
話を聞いて、速くも馬車から飛び降りたゼノがキーネスに詰め寄る。
「悪魔教徒の一人が金髪の子供らしき者を抱えていたそうだ。俺も到着してまだ間がないからな・・・・・・調べきれていないこともあるが」
そう言って、キーネスはため息をついた。悪魔教徒の足取りを調べながら単騎で砂漠を縦断したのだから、疲れきっているのもあるのだろう。
「船を強奪したということは、奴らは海に?」
アルベルトが尋ねると、キーネスは頷いた。
「その通りだ」
「じゃあオレ達も船に乗らないと。ああでも船がねぇのか。どうしたら」
「それなら問題ない。いや、問題は山積みだが・・・・・・」
「山積みって」
「強奪されたのは、船だけじゃない」
そう言うと、キーネスは振り返って一歩下がる。キーネスの後ろから現れたのは、数人の村人達だった。彼らは悲しみのためか心配のためか、皆一様に青い顔をしている。
「お願いします――」
先頭にいた、くたびれた服の年老いた女が、祈るように指を組んで言った。
「子供達を助けてください!」
「いた」
船首で前方の海を見つめていたリゼは、内海に浮かぶ小さな漁船の姿を認めてそう呟いた。
悪魔教徒達が強奪した漁船は、遠目にもかなり老朽化していることが分かる代物だった。帆を全て張っているものの、風を上手く捕らえられないのか船の歩みは遅い。漁船の持ち主が船を取られたことについてはそれほど怒っていなかったのは、取られて困るような船ではなかったからかもしれない。
「この分ならすぐに追い付けそうだな。シリルも子供達も無事だと良いんだが」
リゼと同じように船首から漁船を眺めながら、アルベルトがそう言った。悪魔教徒はシリルを殺すつもりこそないようだが、それが彼女の安全を保証するわけではない。死ななくても、精神が取り返しのつかない状態になる可能性もある。そしてそれは、他の子供達にも等しく言えることだった。
「ああ・・・・・・シリルだけじゃなくサーフィスの子供まで誘拐しやがるなんて、ふざけやがって・・・・・・!」
激しく憤りながら、ゼノは拳を握り締めた。サーフィスで村人の話を聞いてから、ずっとこの調子である。元々シリルが誘拐されたことで心配と怒りを溜めていたのに、さらにあんな話も聞けばこうなるのは無理からぬことだった。
サーフィスで悪魔教徒達が強奪していったのは、あろうことか船だけではなかった。港で漁業の手伝いをしていた、あるいは波止場で遊んでいた、数人の少年少女達を誘拐していったのだ。そうした正確な目的は分からないが、まあ大体察しはつく。悪魔教徒が子供を誘拐する理由など、ほとんど決まっているのだ。
すなわち、悪魔召喚の生贄にするために。
サーフィスの村人達も察しがついていたが故に、キーネスから誘拐犯は悪魔教徒だと聞いた時には、何人かが卒倒しかねないほどだったという。まさか悪魔教徒に村を襲撃され、我が子を誘拐されるとは思ってもみなかったのだろう。村人達は青を通り越して真っ白な顔色になりながらも、必死でリゼ達に懇願した。
子供達を助けてくれ、と。
そのための船を用意するから、と。
その申し出は、海を移動する手段を持たないリゼ達にとって、文字通り渡りに船だった。かくしてリゼ達はローグレイ商会に礼を言った後、村人達が用意した船に乗って強奪された漁船を追い掛けることになったのだった。
「しかしこの方角・・・・・・まさか海路でヘレル・ヴェン・サハルに行くつもりか?」
「そんな無茶な。規定航路以外の場所を通るなんて砂嵐の砂漠を通る以上に自殺行為ですわよ」
信じられない、という風にティリーは言った。
確かに正気の沙汰ではない。アルヴィアとミガーを隔てる内海は非常に荒れていて、安全に航海できるのはメリエ・リドスとメリエ・セラスを繋ぐ規定航路のみ。航路から外れたら、複雑な潮流と不安定な天候に飲まれ、沈没することになる。アルヴィアにもミガーにも貿易港が一つしかないのは、複数の港が作れないからでもあるのだ。
「まさか彼らは安全にサハル島まで行く方法を知っているんだろうか・・・・・・?」
いまだ遠い船影を見ながら、アルベルトが呟く。リゼも同じように先を行く漁船に視線を向けた。
「悪魔教徒なんだから、内海を無事に通れるよう悪魔と契約でもしたんじゃないの」
ここからでも、漁船を取り巻く邪悪な気配がわかる。規定航路を外れ、波が荒くなってきたこの海を鈍重な漁船で素早く移動できるのは、操船技術が優れているからではあるまい。何らかの術を使っているはずだ。それも、この分ではただの魔術ではないだろう。
幸いにして、この船は速く、漁船との距離をみるみるうちに詰めていった。子供達の奪還を依頼した村人達数人が、乗組員として船を操ってくれているのもある。追いつくのは時間の問題だ。奴らが邪魔をしてこなければ、だが。
漁船から風の槍が飛来してきた。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑