霧雨堂の女中(ウェイトレス)
「だからさ、絶対紅茶の方が上品だし美味しいんだって」
と、身振りを交えて力説するのは眉間にしわを寄せた若い男性だった。
歳は私と同じくらいだろうか。
白いTシャツにはどこかで見た角張った曲線の、ロックバンドぽいロゴがプリントされている。
肌の色はそのTシャツと好対照に浅黒い。
しかしその色合いは自然で、日焼けサロンなんかで焼いた感じではなさそうだったから、多分屋外のスポーツなんかが好きなんだろうなと思わせた。
髪の毛はやや短くツンツンとしているが、それよりも『ツン』とした印象を抱かせたのは顔の真ん中、鼻の頭だ。
やや日本人離れした大きめのポインテッド・ノーズ。
コーヒーがウリの喫茶店に真正面から喧嘩を売るような口上とともに入店する様子からも、全体にややヤンチャなカラスのような印象を抱かせた。
「あんたのその鼻っ柱を叩きつぶすためにここに来たのよ」
その台詞ともに、続いて入店してきたのは、大きな子供の人形を抱えた女性だった。
しかし、その女性にはまったく『しゃべった様子』がない。
いや、それは正しくないのだろうか。
先ほどの台詞にあわせて『開いた口』は確かにある。
だがそれは彼女が抱えた『人形の口』だった。
黄色の帽子をかぶり、白いシャツに茶色のズボンとそれを吊るサスペンダーを身に纏った、背の高さなら1メートル近くはあるんじゃないかという大きな人形。
一見するとアニメのピノキオに似て見えるのだが、こちらは先ほどの男性の鼻とは対照的に極めて人間的なサイズ、形状をしていたので、そうではないのだろうと分かった。
(二人連れ?)と私が思った直後に、その陰からもう一人の女性がのそりとお店に入ってきた。
こちらは二人よりやや小柄で、とにかく髪の毛が長い。
腰までもありそうな髪の毛は夏の影のように黒く、前髪は真ん中で二つに分けられているのだが、完全に両目を隠しているために、顔のパーツは鼻の頭と口しか見えない。
それで、私はその人形の大きさから彼らがてっきりテーブル席に着くものとばかり思っていたら、人形を抱えた女性が先導し、真っ直ぐカウンターに向かってきたので、正直私は少し面食らった。
座ったのは人形を抱えた彼女が真ん中、カウンターを挟んで彼が右側、小柄で黙ったロングヘアの女の子が左側といった配置だ。
「いらっしゃい」
と口火を切ったのはマスターだった。
声が向けられた主はやはりというか、真ん中の『人形女子』だった。
マスターの挨拶を受けて彼女は抱えていた人形を少し持ち上げ、
「マスター、最高に美味しい一杯をお願いします。無闇に紅茶上げでコーヒーの何たるかを識らないこのアホに、ぐうの音も出なくなるような爽やかなヤツを」
と、これまたぴくりとも口元を動かさずそう言った。
――彼女、腹話術師なんだ。
私は今更ながらにそう悟った。
しかし見事なものだと思った。
彼女の声は『完全に普通の女性の声』だったのだ。
自分の唇は全く動いていないにもかかわらず、である。
妙に甲高い声を作ったりするわけでもなければ、腹話術が苦手とするという『ま行』の音だって極めて自然だ。
あえて苦言を無理に呈するならば、彼女の声は人形の容姿には似つかわしくないというか、『子供のそれ』よりも『彼女自身の声』に聞こえてしまうところくらいだろうか。
「いいですよ、豆はまかせてもらって構いませんね?」
マスターは淡々とそう彼女に告げた。
「いいです。お代はこいつが持つことになるんで、すっごく高いヤツでも全く問題ありません」
そう言って彼女が抱える子供の人形は、鼻の高い彼のことをぴっと指さした。
「おいおい、ちょっと待てよ。そりゃ確かにオレは言ったさ。『オレに紅茶よりコーヒーが旨いって納得させる一杯があれば、会計はオレが持つ』って。でもどうして『絶対にそうなる』って言える?」
「だって絶対に美味しいからよ。それともあんたは本当に美味いモノを飲んでも、自分のメンツのためにそれを不味いって言えるようなゲスなわけ?」
「・・・そんなわけ、無いだろ」
彼がそう言うと、人形がこれまた『どうやって作り上げるんだ』というような味のある含み笑いを見せ、
「それなら私の勝ちはもう決まっているの。せいぜいお財布の中と相談していなさい」
と彼の言葉を切り捨てた。
そのやりとりに、顔がほとんど髪の毛で隠れた彼女が声もなく微笑んだ。
作品名:霧雨堂の女中(ウェイトレス) 作家名:匿川 名