霧雨堂の女中(ウェイトレス)
レコードの針が内周に至り、不意に店内に沈黙が訪れた。
さあっと言う雨音がプレイヤーの針が溝のないところを走るノイズに混じり聞こえた。
それに併せて彼女が立ち上がった。
マスターが足音もなく、彼女の方に歩いて行った。
二人はテーブルでごく普通に精算をし、マスターが畳まれたタオルを受け取り、お釣りの小銭を彼女が受け取った。
その時二人の指先が触れたが、それは事務的な手続き以外の何物でもなかった。
彼女が出入り口の扉に向けて歩く際、その少し後ろをマスターが影のように付いていった。
開けられた扉の向こうに彼女が一歩歩み出た時、彼女の綺麗な唇が薄く開いて何かを呟いた。
だけど私の位置からは遠くて、何を言ったのか聞く事は出来なかった。
するとマスターの唇が応じるように開いた。
ささやかな動きだったが、音は二つ刻まれたように見えた。
私の眼が確かなら、それは彼女と同じように動いた。
だから多分二人は同じように同じひと言を呟いたのだと思う。
きっと、
二人は「また」と言い合ったのだと、私は思う。
作品名:霧雨堂の女中(ウェイトレス) 作家名:匿川 名