霧雨堂の女中(ウェイトレス)
マスターはしかし、そんなことを言った。
その声がびっくりするくらい真面目な音色だったので、多分私は目を丸くした。
「『逢魔ヶ刻にやってきた少女』には、優しくしなければいけない。彼女がここを見捨てない限りには、ここも彼女の恩恵に与れるのさ、きっと」
マスターはそう言って、自分の鳩尾をさすりながら厨房の方に消えていった。
私はその言葉に言いしれぬ不気味な何かと、でも同時に優しくて深い、見えないまでも絡みつき登る幽霊のような存在を感じた。
カウンターに残された白いマグカップを拾い上げながら、私はそっとその底に残る微かなコーヒー豆の粉を見た。
幽霊や妖怪なんて信じるような歳でもないが、それでも、
そこに残された微粒子の点描のような何かが、
あの子の微笑みのように見えたときには、
私も、まんざらマスターの言うことをかたくなに否定することもないのではないかと、
そんな気分にすら浸りながら、
――モノを美味しそうに食べるあの子の笑顔を思い、
「ありがとうございました」
と帰ってしまった『お客さん』に声をかけるつもりで、そっと囁いてみた。
<『女中と逢魔ヶ刻の少女』了>
作品名:霧雨堂の女中(ウェイトレス) 作家名:匿川 名