シリアル
一区画離れた駐車場から ペットキャリーの中でおとなしくしている雌猫を気遣って 僕はそぉーっと家の中に運び込んだ。
ひっそりとした家の中。
雌猫を ペットキャリーからマットに移し、洗面所で手を洗おうと向かったときだ。
妙な音が 耳に入った。
まさか ネズミでも現れたか? そんな感じの音だった。
リビングから キッチンのほうを窺い見ると、床にしゃがんでいる彼女の背中が見えた。
(なんだ、餌でも零したのかな)
そう思ったのは、彼女の足の傍に 雌猫の通称カリカリ。キャットフードが二、三粒零れているのが見えたからだ。
しかし、その音は餌を拾ったり 掬い上げたりしているものとは異質だった。
僕の良からぬ想像を頭の奥に押し込んで 平然としたトーンの声を発した。
「ただいま」
その声に反射的としか思えない動きで振り返った彼女の口元から ぽろりと一粒零れた。
まさか! が うそっ! へ
現実が フェイドインしてくる。
テレビ画像の効果のように その場面だけが迫りくるように感じた。
僕は、何が? どうして? などと思考が巡らないままに 彼女の腕を掴んでキッチンのシンクに口内の残留物を吐かせた。
キッチンシンクに零れるそのものは 咀嚼されているとはいえ独特のにおいを発する猫の餌に違いない。疑いもなく それとしか思えないものだった。
「どうして こんなこと?」
僕がやっと言えた言葉は そんな陳腐な言葉だった。それ以上の適した言葉は何と言えばいいのだろう。
彼女の綺麗な笑顔が 酷く醜い。
いや 本当は可愛い。
でも、それは決して認めてはいけない美しさだと思った。
ほとんどを吐いた彼女を 僕は思いっきり抱きしめた。
彼女は、雌猫のダイエットを兼ねた栄養食のキャットフードと 自分の買うシリアルとを交換して食していたのだ。痩せたいため?
「間違えちゃった」
彼女は、優しく微笑みを口元に浮かべた。
いつから そんな麻痺を起していたのだろうか?
わざとした行為だと思うが、そんなに自身を追い込んでいたのだろうか?
そんな彼女の暗闇を 僕はもう一度強く抱きしめた。
僕の腕の中で 彼女が僕を見上げる。
そして言ったんだ。
『にゃぉーん』
僕は、そのまま目を閉じた。
その瞼の端から止めることのできない涙が流れた。
― 了 ―