ろじゃく
「いい加減、経験積んできてな。あんた達みたいなそこそこの悪党を目の前にした所で、俺ぁもうよ、びびる事も、なんなら感情をゆすぶられることもねえ」
コートのポケットに手を突っ込みながら路尺はそう言った。ハットを抑えながらははっ、と高笑いをする。
強盗は無言で眉間にしわを寄せ、睨みを利かせる。
「あーら怖え顔だぜ。昔の俺ならビビッて小便ちびってたかもしんねぇなぁ。だが、今は違うぜ。大人しく捕まんなよ。今ならまだ、金も取っちゃいねえんだ」
路尺のひょうきんな挑発に、強盗たちは、各々武器を構えた。ナイフに銃、スタンガン。
それを見た路尺は、顔を引き締めた。
「あんたら、やるってのかい?」
やれやれ、しゃーねえなあ、と言いながら、路尺は駆け出す。
ズボンの裾から警棒を取り出して、スタンガンを持っている強盗の一人に飛び掛った。
「これはな、かってえ金属で、できてんのよ!」
威勢の良い路尺であるが、トレーニングを怠っていたため、警棒を振り回すには筋肉が足りなかった。
「あら?」
攻撃を避けられ、勢いでよろめいた所を顎に一撃殴打を食らい、スタンガンで電流を流され、気絶した。衆寡敵せずの言葉すら、見合わない。
その後強盗たちは気絶している路尺を囲い、暴行を加え体中を痛めつけた。
しかしどういう訳か、金銭を盗んでは行かなかった。
病院で気がついた路尺は、後からその訳を知ることになるのだが、つまりどういうことなのかといえば、強盗が路尺を痛めつけるのに夢中になりすぎて、金銭を入れる袋を、勢い余って破いてしまったという事だった。
「なら、強盗は何もせずに去っていったんだな?」
聞かれた看護婦が、はい、と頷くと、路尺は人差し指をぴんと立て、高々と右手を掲げた。
「今日も街は救われた! サンキュー!」
くすくすと看護師の女性は笑う。
「自分で自分に、お礼、言うんですか」
ははっ、と路尺も高笑いをする。路尺はふわりとした笑顔をみせるこの女性を好いている。
「では、安静にしててくださいね。それじゃ」
と言い残し、看護師の女性は病室から出て行った。後ろ姿を目で追っていると、その部屋の外で誰かと話し始めた。その相手の声を聞いてすぐに役所の偉い人間だと、路尺は悟った。
まずい、と急いで布団を被り寝たふりをした。
革靴の足音が近づいてくる。
寝ているのか、と布団越しに声がする。ああ、怪我人は寝てるんだよ、早く帰れ、と路尺は頭の中で思う。
そのようですね、と布団越しに、応答する声が聞こえる。
二人とも、路尺の所属している危機管理課の上司である。
「本当に寝ているのかな?」と聞こえた瞬間、路尺の掛け布団は吹き飛ばされた。
突風でも吹いたのかと、路尺は一瞬思った。が、凡そこの上司が掛け布団を強烈な勢いで剥いだのであろうことは、容易に予想できた。
路尺は、この上司達をあまり好ましく思っていない。寝たふりを続けた。
布団を剥いだ上司と、その上司の鼻息を常にうかがう、もう一人の上司。
「そうですね。しかしどうやら気づかない所をみると本当に寝ているようです」
「また街を守ったのだ、褒めてやろうと思ったのだが」と、横柄な方の上司が言うと、
「全く、折角お褒めの言葉をかけて下さろうと言うのに。おい、起きるんだ」
と言いながら、追従する方の上司は寝台を揺さぶった。
寝台が左右に大きく傾き、路尺はごろりと床に落とされた。どん、と息が詰まる程の衝撃が路尺を襲う。
――なんということだ。なぜ寝ているのに布団を剥ぎ取られ、振り投げ出されなければならない。関わりたくない、この二人には関わりたくない、関わればいつも酷い目にあわされる。こっちは怪我人なんだぞ? なのに、なんて仕打ちだ!
「おいおい、落ちてしまったぞ。このままでは風邪を引いてしまうのではないか」
路尺は、奪われた布団が、床に転がっている自分の上に被せられたのを感じた。
「寝ているのでは仕方ないな。では行くか」
「はい、そうしましょう」
「また今度、改めて見舞いに来ることにしよう」
と、路尺をそのままにして去っていった。
玩具にされた。路尺は今しがたの自分が置かれていた状況を思い出し、正確に判定し、憤懣な気持ちになった。
恐らく、寝ている振りをしていたことは二人ともに気づかれていた。今度また見舞いに来るということは、また暇をつぶしに、自分を玩具にしに来ると、そういう意味だろう。上司を相手に生意気な態度をとるな、と釘を刺したのだ。
「無作法なのはどちらの方だ」
路尺は布団を跳ね除け起き上がった。その勢いの強さに、自分が案外元気であることを知り驚いた。おお、と病室仲間も驚きの声をもらす。
もしや強くなったかとちらりと思い病室から廊下を覗くと、長い廊下を歩く二人の上司の姿がまだ見えた。
「見てろよ」
といいながら急いで路尺は着替えた。仕返しをするつもりである。
病院服から動きやすい服に着替えた所で、もう一度廊下を覗くと、二人の上司は丁度廊下の角を曲がる所だった。
路尺はできるだけ周りから不自然に見られない速さで急ぎ、二人の声が聞こえる距離まで近づいた。警棒を取り出し、頃合を見て脛でも殴ってやろうかと構えていた。すると、ある話が聞こえてきた。その内容は、路尺の頭にひやりと入り込み、仕返しを企てた路尺の心を一旦からにし、その直後に凄惨なものにした。
路尺は街を巡邏し、治安を維持している。治安維持は仕事であり、自身の義務であるから、路尺はそれを当然だと考え、またその治安維持率の高さを自ら誇り、矜持にもしている。
――おれは、街で唯一人の警備を仰せつかった人間として、誰にも勝っている。だから、悪党に百度のされようが構わないと思っていた。
二人の話を聞くまで路尺は知らなかった。路尺は、疑わなかった。負け続けてきた人生で唯一得た勝ちだと思っていたものが、自身の実力ではなく、国の方針に従った、役場の仕業で為されたものであることを。
路尺が試験を受ける少し前に、役場に国から三十歳以下の若者の無職者をなくすように政令が下りてきた。無事達成した市町村区には褒賞金が与えられ、達成しない市町村区には国からの給付金の削減が突きつけられた。
役人達は、急いで求職者の情報を掻き集めた。路尺は既にその頃「ろじゃく」として有名人であったので、間もなく役人達の目が向けられた。そして路尺の試験通過を、路尺の知らない所で企てた。
路尺は試験の出来に左右されることなく、試験を受ける前に既に合格が決まっていた。
――おれは誰かに勝ったことなど、一度もなかったのか。
ふいに隙間の多くなった路尺の心を、暗澹たる思いが染み出る水のように、覆っていく。
握っていた警棒が手から滑り落ちたが、二人の上司は気づきもしなかった。
路尺はその夜、逃げるように病院を抜け出た。