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みやこたまち
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novelistID. 50004
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日記

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 彼は、あの夜の出来事に、そっけなく背をむけていました。私は、乱暴にページをめくりました。来る日も来る日も書いてあるのは、Kの事ばかりでした。私はだんだと自分の顔が変わっていくのを感じながら、いつしか、彼とKとの関係を読み取ることに没頭していったのでした。

 ふと、顔に残照を感じ、日記から目を上げると、私の傍らにKが立っていました。Kは少し印象が変わっていました。多少やせて、どことなく慈愛に満ちているように見えました。
 私はきまりが悪くなって日記を彼の胸の上に戻し、小さく会釈をしました。Kは私と並んで彼を見つめています。気まずい沈黙がたまらなくなって、私は声をかけました。
「何故、こんなふうになってしまったんです。あなたなら分かるでしょう」
 日記に書いてあるように、これほど親しくすごしていたあなたになら、と言いかけて、私は口を噤みました。こんな責めているような口調では、そこに私の押し隠した感情が露になってしまうのではないか、と思ったからです。
 Kはうつむいたまま、日記を手にすると、頁の一枚一枚をいとおしむようにパラパラとめくりました。
「意識が戻ると、彼は日記を書くんです。私は、この日記を読んだ彼のご両親と主治医に呼び出されてここに来るまで、彼がどこで何をしていたのか知りませんでした。本当です。」
「しかし、現に……」そう言いかけて、私はKの言葉に嘘は無いのではないかと、考え直そうとしました。
「それじゃ、この日記は、この病室で書かれた、作り物だということですか?」
 捏造された欲望の記憶。または、病魔に冒された脳が生み出した幻影。そういったものであるならば、私にも受け入れることはできるのでした。けれども、Kは、そっけなく首を横に振りました。
「いいえ。彼はこの日記を抱えたまま昏倒していたのだそうです。デザイン会社の方が、無断欠勤を続ける彼の家を訪れて、それで救急車を手配してくれたのだそうです。そしてご両親がこちらへ転院の手続きをなさったと聞いています」
「それで、この日記を元に、あなたに連絡が入ったと。そりゃ、驚いたでしょうね」
 私は自分の声が嘲りの調子を帯びていることを感じていました。けれども、この感情はKも共有できるだろうと思って、あえてごまかしたりはしませんでした。 Kは、はにかむように笑いました。そして、彼の腕をそっと布団の中にしまいました。
「もっと早く連絡をくれれば良かったのに」
「それじゃ、あなたは……」
 私は自分の声の、ひどく醜いことに驚いて、あわてて空咳をし、顔の半分を手で覆いました。自分はいったい、どんな顔をKにみせていたのだろうと、それがとても不安になりました。しかし、Kは、私の動揺を無視して、話しました。
「連絡を受けて、こちらへきたんです。みんなは反対しましたが、何だか放って置けなくて。私の責任みたいな気がしてきて。日記を読ませていただいて、皆に、弁解みたいに、説明しているうちに、だんだんと。おかしいでしょ」
 私は唖然とするしかありませんでした。

 彼は意識を取り戻すと、この日記を最初からしまいまで丹念になぞるのだそうです。そして、最後のページまで来ると昏倒するのだそうです。彼と話したあの夏の記憶は、ただ私の記憶にとどまっているのみで、客観的な証拠はどこにもありませんでした。あの夜、彼はこの日記に書かれた彼の記録そのままに、Kと会えない夜を一人寂しく過ごしたのかもしれません。何回も何回も。彼は意識を取り戻すたびに、彼の日記にかかれた時空を繰り返し生きているのでしょう。そしてKの現実は、彼がくり返し鍛え上げている日記の現実の方に、取り込まれているのだということが、ひしひしと感じられました。

 彼の記憶に、私は存在していません。彼はただ一途にKを求め、Kもまた、私が不在である彼の世界の住人となって、彼の願いに応えようとしているのです。そうだとしたならば、二人を断罪するために私が立つ余地は無いのです。いや、ただ一つだけ、あの夜が、私が記憶している通りの夜であるという物証がありました。

「僕も帰るよ。いつか君にはあの看板を見てもらいたいものだな」

 見たものを、死に誘うべくデザインされた看板の実在。それこそが、彼とKとの世界には、私だって存在したのだ、という唯一の客観的な証拠です。

 Kと正式に離婚した日の夜から、私も少しずつ日記をつけ始めました。悔恨と希望とがないまぜとなった、祈りのような記憶を、抉り出すように書きつけてきました。先日、三人目の子供に恵まれ、毎日平凡ではありますが、幸せな家庭を築いています。
 本当に、長いことかかって、日記を書き終え、それからは同じ日記をなぞり続けています。何回も何回も。
 最後のページには、あの看板を確認しに出かけると、書かれています。実際に私がそこに赴くことで、この日記は、完全なものとなるのです。靴と一緒に置かれた日記が、再びKを呼び戻してくれることでしょう。

終わり
作品名:日記 作家名:みやこたまち