花は咲いたか
Γなあ、うめ花。俺は江戸で大事な人を失った。近藤勇、新選組の局長だ。同じ多摩の百姓の三男でありながら、近藤さんと違って婿養子の口もなくいい加減な毎日を送っていたんだ」
それから試衞館の仲間と京へ上って会津藩のお預かりになったこと、新選組を作ったこと、鳥羽伏見で負けた戦。
Γ俺は流山で新政府軍に連れて行かれる近藤さんを、止めることができなかった」
その時、土方は近藤に代わり隊士達を連れて、会津に行くという大事な任務を任されていた。
Γだが俺は、新選組を斎藤一に預け、江戸に戻って近藤さんを救おうとした」
静かに話す土方の話にうめ花は引き込まれた。土方の声には人の心を鎮めるような低さと落ち着きがあった。
Γ勝安房守にも助命を頼んだが、事はどうにもならなかった。俺は半狂乱になった」
やがて近藤の処刑が決まり、それを見ることも聞くこともなく、
Γ戦い続けることがお前さんの役目だ」と勝は土方を諭し、宇都宮への転戦を示唆した。
Γ宇都宮城はとったんだがな、近藤さんの処刑を聞かされた俺は足に銃弾を受けた。そして戦線離脱だ」
その時、自分を責めるような表情が土方の顔をチラリと掠めた。
その後、会津入りしたものの、怪我も治らず近藤の事が頭から離れない土方は荒れに荒れた。
そんな時だった。
斎藤一が近藤の首を三条河原から奪いかえして会津に戻って来た。会津で墓を建て埋葬した時、会津の松平容保もいた。
Γ俺に会津の殿様は言った、 北へ行けと」
会津には斎藤一が残るから、墓守りも会津のことも心配するな。そして、
Γ俺には北へ行けと言う、なぜそんなことを言われるのかわからなくて、殿様をずいぶん恨んだよ」
土方の心の葛藤がうめ花の胸に迫ってきた。
Γ戦う事が俺の役目なら、戦うことで近藤さんの汚名をすすげる気がした」
足元の枯れた草を無意識にちぎり取っては、海に向かって投げる土方の手元を、うめ花は見ていた。
Γ誰を恨んでも、近藤さんは帰ってこない。誰を殺しても、近藤さんは喜ばない。それに気づいたんだ」
そこまで話すと土方は隣に座るうめ花の顔をはじめて見た。
Γじゃあ、なぜ今も戦っているのか?と聞かないのか?」
そう言葉を投げかけ、さらにうめ花の顔をのぞき込む。
うめ花は間近で土方の黒い瞳に見つめられながら、口を開いた。
Γ何故、ですか?」
うめ花の問いに土方は再び海へと目を戻した。
Γそうだな...俺たちみたいに最後まで徳川の味方するバカがいたっていいじゃねえか、そう思ってな」
最後まで、とはどういう意味なのか。そんな事は聞けずに、うめ花はただ土方の横顔を見ていた。
Γいつの間にか俺の話ばかりになってすまん。ただな、虎吉に復讐をしてもお前の母は喜ばんと思う。それをお前に言いたかった」
大きな目を見開き土方の横顔を見ているうめ花の目から突然、大粒の涙がこぼれた。
Γお、おい。泣くな、虎吉からは俺が守ってやる。だから泣くな」
Γ?」
Γ正確には陸軍だな、お前を陸軍の調練特別教授方に任命する」
うめ花の涙が顎で止まったまま滴になっている。
Γちょ、調練特...?」
Γスペンサー銃の調練だよ。男臭い野郎どもばかりだがお前に手を出すような奴はいない」
不思議だった。
土方のこれまでの苦悩や絶望に自分の心が、寄り添っていたのだ。
土方の口から語られる物語の場面に自分も立ち、土方と同じ目線でものを見て、同じ気持ちで苦しんだ。
戦いの中の銃声、硝煙の色、血の匂い、出会う人との会話、そして別れと死。
すべてを肌が感じ取った。
これは土方の口から語られた物語でありながら、うめ花の体験であるかのごとく身体も心も土方の物語の中に自分がいたのだ。
こんなにも激しく、清々しく生きてきた土方の人生という時間にうめ花は心を震わせていた。そして何かが胸の奥から溶け出し、流れていく。
うめ花は土方の横顔を見て自然な笑みがこぼれたのを感じた。
Γお願いします、精一杯努めさせていただきます」
Γよし!」
と言って土方は立ち上がり
Γでは明日から頼もう」
と、うめ花に右手を差し出した。
反射的に伸ばした手を土方が取り、うめ花を立たせる。
その手の暖かさに驚き、もう片方の手でそっと包みこんでみた。
風が冷たくなっていた。
第三章 終わり