花は咲いたか
土方はうめ花が祈り終わるのを待って聞いた。
Γそう、女が山に入るのを快く思わない猟師が多いの」
山の神は美しい女神だという。だから猟師は必ず獲物を与えてくれた山の神に感謝するのだという。
うめ花はそこまで話すと顔色を変えた。
Γ来た、その嫌な奴が」
声に嫌悪を滲ませ、慌てて夕霧の背に戻る。
Γよぅ、うめ花じゃねぇか」
山道を登って来た一人の猟師が声を掛ける、火縄銃を肩に担ぎいやらしい笑みを浮かべた小男だ。
Γ今時の猟師は馬に乗ってょ新式銃か?なぁんだ横のそいつの真似かよ」
明らかに土方を引き合いにしている。もう慣れたが、この男の顔と物言いには我慢が限界に近づく。
うめ花はグッと下唇を噛み、小男を睨んでいる。手綱を持つ手が赤い。
Γおい、そこの男。こいつを侮辱すると俺が許さん、これを抜かぬうちに消えろ」
太刀の柄に手をかけ鯉口を切った土方は、うめ花が見たことのない鋭い目をしていた。
新選組の鬼副長、ふとそんな言葉がうめ花の胸を掠めた。
しかし、そんなもので怯む男ではない。
Γへぇへぇ」
おー怖わ...とニタつく顔でこちらをチラチラ振り返りながら、狭い山道を登って行った。
土方の嚇しにも抜きかけた太刀にも怯まない、この男のしぶとさといやらしさにうめ花の胸の奥から黒ずんだ怒りが沸き上がり、肩から下げた銃を右手で引き寄せた。
うめ花の目に焔のような憎悪を、土方は見た。
何かがうめ花の胸の中で猛り狂っている。いったいあの男との間に何があるというのか。若い娘に、たとえ一瞬たりともこのような目をさせるには余程の何かがあるはずだ。
Γ何がある?あの小男と」
フッと視線を戻したうめ花は、
Γ何も...嫌な奴ってだけ」
それきりうめ花の口数は減り、土方との会話すらうわの空で、奥歯を噛みしめ目尻を赤くしているのを土方はそっと見た。
写真館の前で別れ際、
Γまたな、楽しかったぞ」
という土方にうめ花は一瞬キョトンとして
Γあ、ありがとうございました」と慌てて頭を下げた。
町の外れまで来て土方は振り返った。
自分を見送るうめ花の小さな姿が、はかなげに思えたのはただの気のせいだろうか。
土方は考えていた。
昨日の出来事がどうも気になる。
だが、いつまで考えていても真相がわかるはずはない。
(餅は餅屋に任せるか)
と長椅子から立ち上がった。
今日は大晦日で、市中は年越しである。
五稜郭を出た土方は、暗くなる前に称名寺に入った。ここには新選組の屯所が置かれている。
五稜郭で上役等が集まって過ごす年越しよりも、隊士等と気がねなく一杯やりたいと思い抜けて来たのだ。
寺の石段を酒樽を手にゆっくり登って行くと
Γわぁッ!副長だーっ、皆、副長が来たっ」
大勢の隊士に囲まれあっという間にもみくちゃにされる。土方の顔には母のような笑みが溢れた。
炙ったするめとひたし豆、囲炉裏で魚が焼かれている。
隊士らは久々に心ゆくまで酒を飲んだ。埃まみれの軍服とすえたような男臭さが、彼らの戦いの日々を思わせる。
蝦夷に上陸してから、慣れない極寒の地での戦いは想像を超えた。
行軍中足が凍えて唐辛子を千切って分け合い、靴や足袋の中に入れて寒さをしのいだり。銃を濡らすまいと懐に入れながら雪の中を歩いた。
そんな隊士らと辛い日々を共に戦い、五稜郭に来たのだ。
大晦日の一日くらい、隊士らに心ゆくまで酒を飲ませたいと土方は思った。
やがて...雪が溶け春になれば-その時-はやってくる。
酔って囲炉裏端でひっくり返るしあわせそうな隊士らの寝顔を、土方はいつまでも見ていた。
第二章 終わり