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花は咲いたか

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二章

Γお祖父様、出掛けてきます」
暗室の外から写真の現像をしている勝太郎に、うめ花は声をかけた。
Γまた山か?」
Γ夕方までには戻りますから」
箱館は明日、大晦日を控えどことなくせわしい様子を見せていた。肩から最新式のスペンサー銃を下げ、夕霧を裏から引き出した。
湾からの風は横殴りで、いつもうめ花の髪をくしゃくしゃにした。だからと言うわけではないが、髪を結い上げるのは好きではなかった。
夕霧のあぶみに足を掛けようとした時、夕霧のものではない馬の蹄の音がした。
Γ?」
振り返ると馬上の男が黒髪をなびかせ、驚いてこちらを見ている。
Γ土方さん?」
Γおまえ、そんな物を持ってどこへ何しに行くんだ」
明らかに不審なものを見つけた、という顔つきだった。土方はどうやら、新選組副長の顔を見せたようだ。
Γあの、質問にはひとつづつ答えたほうが?それともいっぺんに?」
ハッとした土方はバツの悪そうな顔で
Γでは手短に願おうか」
Γ山へ、猟に」
うめ花は少しイラっとしながら答え、さっさと夕霧の鞍に跨がった。
Γ祖父は中にいます、少しお待ちいただくかも知れませんが」
では、私はこれでと、手綱を左に引いて向きを変え土方の横を通りすぎようとした時、
Γ待て、俺も同行しよう」
Γは?」
と思いながら土方を見ると、少年が悪だくみを考えついたような顔をしている。
Γでも...獲物を捕るまで帰れませんし、山の中ですよ?」
Γ女のおまえが行けて俺が行けない場所か?」
そんなことはないと思うが、はっきり言って迷惑、足手まとい。
眉をひそめた私の反応にも土方はめげず
Γそのスペンサー銃の性能とおまえの腕前も見たい」
腕前という言葉に少し気持ちをとり直し、渋々ついて来ることに同意した。
Γ明日は大晦日で、妓楼から鳥を頼まれているんです」
Γへえ、撃つのは平気なのか?」
動物を殺すことについてなのか、銃を撃つという行為についてなのかわからないが、
Γ人間は、生きるために動物も殺さなければなりません。それは面白半分ではないんです、私は猟師の娘ですからこれが生きる術でもあるんです」
Γそうだな...そうか猟師の娘だったか」
土方は変な返事を返しながら、何かを考えているようだった。

北の空は青く澄み、風も山の中では少し穏やかになっている。あちらこちらに消え残った雪があるが、猟に影響はないだろう。枯れた倒木を避け、ガサガサと藪を抜け、見晴らしの良い広い場所に出た。
うめ花は後ろから来た土方を振り返り
Γ土方さんはここで...」
Γ待っていろと?俺は陸軍の指揮官なんだがな」
やれやれ、この土方という男、どこまでついて歩くつもりだ。
Γでは...」
土方には構わず、夕霧の腹をちょんと蹴ると馬は駆け足になった。馬の背で両手で銃を構えた。かなり遠くの木の根元から、一羽の鳥が舞い上がった。
鳥は上空をめざし真っ直ぐに昇っていく。
鳥に標準を合わせ、銃口も空へ向かって角度を上げていく。
ダンッ!という発射音に続き、空中でピタッと動きを止めた鳥が次の瞬間堕ち始める。
夕霧の腹を蹴り、全速力で駆け出す。
風が頬をたたく、夕霧のたてがみがうねる波のように跳ねていた。
Γおまえ、たいした腕だな」
鳥を拾い上げ振り返ると、後から追って来た土方が目を輝かし、うめ花に飛びつきそうな勢いで馬を降りた。
Γこう、狙う時は両手で構えるよな?馬は両足だけで操るのか?」
土方は銃を構える真似をして、両足に力を入れてみせる。
Γあんまり、考えてしたことないな...身体が勝手に動くから」
土方の興奮が伝わってくる。
Γあ、でも土方さん。顎が上がりすぎ、肘はもう少し角度をこう...」
うめ花は土方の張った肘を内側へと直す。
Γすげえ、沖田の突き以来だ。人の技をすげえと思ったのは」
ここまで言われ、うめ花も思わず笑みをこぼす。
Γそんなこと言われると、胸がくすぐったいです。でも、沖田って?」
Γあぁ」
うめ花に問われ、腕を下ろした土方はポツリと語る。
Γいたんだ、剣の突きのすげえ奴が...」
少しの間を置き、
Γ死んだよ」
その一言が、うめ花の胸にぐっと迫った。
土方は空を見上げていた、沖田という人をこの空のどこかに探しているように見えた。
Γそう...土方さんにはとても大切な方だったんですね」
青い空から目を離さない土方の目線を追うように、うめ花も空を見上げる。土方は、空を見ながら懐かしい友を思い出しているのだろうか。
しかし次の瞬間、うめ花は夕霧の腹を思い切り蹴って馬を駆けさせていた。
馬の振動などものともせずに両手で銃を構え、空を舞う鳥に銃口を合わせる。
再び銃声がして鳥が急降下を始める。
Γはっ...!」
後ろからうめ花の夕霧を追い抜き、土方の馬が堕ちてくる鳥のもとへと土埃を上げて駆け抜ける。
うめ花の銃と馬の扱いを目の前で見せられた土方の、負けまいとする気持ちがくすぐったくて、うめ花は思わず夕霧の手綱を緩めた。
Γ俺も少しはいい所を見せなきゃな」
鳥を拾いながら土方ははにかんだ。
Γ土方さん、」
無理なんてしなくていいのに、とうめ花は言えなかった。
Γありがとう、馬の走りはお見事でしたよ」
鳥を受け取りながら、ちらりと覗く土方のフロックコートから拳銃がのぞいた。
Γそれって、土方さんも撃つことがあるんですか?」
Γあ?これか、これは飾りだ」
Γぷっ...!」
思わずうめ花は吹き出した。
箱館の、蝦夷共和国の陸軍奉行並ともあろう男の言葉にしてはあまりに素直だった。
Γあははは...」
うめ花も遠慮なく大声で笑った。
Γただ、懐中時計がな。惜しいことをした」
胸のボタンから銀の鎖だけが揺れていた。あぁ、この間も懐中時計を気にしていたっけ。
Γ何か、大切な品?」
Γあぁ、近藤という男がくれた」
近藤は、江戸で土方が洋装になった時、眉を寄せながらも
Γこれを歳に。格好いいだろう?」と言ってくれた物だ。
Γ近藤さんという方も、土方さんの大切な方なんですね」
新選組の局長の名をこいつは知らないのだろうか。
Γ新選組を知らないか?」
Γ名前は知っているけれど...でも蝦夷では将軍の名前より有名かな」
とうめ花は微笑む。
Γ知らなくていいさ、もっともこの蝦夷にも新しい新選組はあるがな」
うめ花が京での新選組を知らないことに、少し残念な気持ちとそれはそれで良いという、どこかに安堵したような思いだった。

本州から海を隔てた遠いこの蝦夷に、何故やって来たか...。
二百七十年の幕府の統治さえ行き渡らず、攘夷志士による到幕騒ぎもおよばぬこの土地は長い眠りの中にいた。
いや、眠っていたのではない。何にも侵されることなく蝦夷は美しさの中にいただけだ。
ここで戦い続けるためだけか。
榎本のいう新しい国を作ってこの地で夢を見るためか。
それとも、もう他に行くところがないからか。
そうは思いたくない...。
うめ花が夕霧を止め、馬から降りた。小さな祠の前だった。鞍から吊るした袋から取り出して、なにやら供え物をし手を合わせている。
Γ山の神か?」
作品名:花は咲いたか 作家名:伽羅