小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

久保学級物語(後篇)

INDEX|1ページ/8ページ|

次のページ
 
久保学級物語(後篇)

(1) この物語はフィクションである。主人公は久保先生で、先生と教え子の生き様を描いた物語になっている。そもそも、久保学級は先生が教壇に立たれた時から始まるが、どの学級も先生にとっては思い出深いものがある。また、教育に対する熱意と教えは生徒の顔ぶれが変わっても生涯変わることはなかった。
 先生は大正元年に香川県の大地主の次女として産声をあげられた。瀬戸内海の島々が見渡せる高松市近在の富豪の次女は、なに不自由なく育てられ、高松市にある県立高松高等女学校を卒業した。目指すのは教師であり、早くから教壇に立つことを夢見ていた。できれば小学校に勤めたいと願っていたがその通りに事が運んだ。もちろん、父の影響力があった。
 自宅の母屋からは瀬戸の島々が見える、中でも最も大きな島が小豆島である。あの岬の一角に二十四の瞳で有名になった苗羽尋常小学校分校、岬の分教場がある。二十四の瞳が映画化されたのは昭和26年であるが、物語の時代背景は昭和3年に遡る。昭和3年は先生が16歳の年で高松高女に在学中であったが、卒業すれば小豆島の学校に勤務したいと思っていた頃でもあった。しかし、父の希望により高松市内の小学校に配属されることになった。
 先生がなぜ小豆島の小学校に着任するのを望んでおられたかはよく分からないが、私には二十四の瞳の大石先生と重なってくる。先生がこの映画を見られたころはすでに一家ともども大阪市へ引越しされた後のことである。
 昭和26年は、先生が39歳で久保学級のワルガキが田辺小学校に入学した年である。当時はピカピカの1年生とは言わなかった。入学式のために、お袋が仕立て直してくれた上衣の、肌を指すチクチクとする感触を「ゆう」は今でも忘れることができない。
 田辺小学校は大阪市の南部、田園が広がる郊外にあり戦災の爪痕が残るものの大火からはまぬがれた。近くの公園の一角に高射砲があったゆうの家の辺りは焼夷弾で焼かれ、焼け跡が子供時代の遊び場になっていた。小学校の傍の料亭は1トン爆弾が炸裂して大破し多くの死傷者を出した。大阪瓦斯から派遣され、近くでガス管工事をしていたゆうの父は幸いにも爆風を逃れて生き延びた。
 昭和20年8月終戦、GHQにより農地改革が断行され大地主は土地をことごとく召し上げられ、さらに醸造事業に失敗した久保一家は大阪のツテを頼って香川県を離れることになった。先生35歳、これから、先生の大阪市での教員生活が始まるのである。
 田辺小学校に転任されたのは、さらに6年後、先生41歳のことである。その2年前、昭和26年に二十四の瞳の映画が公開された。この時の先生の気持ちを察するに余りあるものがある。この後、先生は1年生の低学年を受け持ちたいと希望されたのである。