やくそくと星空
それからは、猛ダッシュである。シャツが背中に張り付いて気持ちが悪いのも、少年はすでに気にしていなかった。
遊歩道の中程を過ぎたあたりで陽が完全に落ちた。あたりを照らすのは、うっすらと白く光る街灯だけだ。
とある日の記憶が少年の脳裏をよぎった。
ゆう姉に手を握られ、泣きわめく自分の姿だ。森のざわめきの一つ一つが恐怖を呼び起こし、転がっている岩の一つ一つが人間の頭蓋骨に見えて、子供だった少年は早くこの場所を立ち去りたくて、しかし、どうしようもなく、泣きわめくしかなかった。
その少年を、しかし、決して離さず、ゆう姉は山頂へ連れて行った。
そこで目にした光景を少年は今でも覚えている。あれは、宮崎アニメなんかとは比べものにならない光景だった。
たとえるなら雨。感情としては、配られるキャンディを一つでも多く手に入れようと両手を広げたそれに近かった。
視界一面に流星雨が流れていた。
星がこんなにもきれいなものなのだと、そのとき、少年は初めて知った。
その喜びのままに、泣いていたことも忘れて少年はゆう姉を見上げた。
ね、という同意を求める言葉に、うん、と少年は頷いた。
そして、同時に、見とれたのだ。星空を背景に立つゆう姉の姿に。うっすらとした街灯にライトアップされた、その横顔に。
思えば、あれが恋に落ちた瞬間だった、と少年は走りながら、暴れ回る心臓を抑えつつ思い返す。自分の初恋はあのときに始まったのだと。
だから――
ぐっと足に力を込める。前へ。少年の体は大気を突き破るように押し出された。もう、遊歩道も半ばを過ぎて、高台もすぐそこだった。
――だから、走らなければならない。
約束がある。約束とも呼べないかもしれないが、ゆう姉が残した言葉がある。少年は、空を見上げた。
まだ、若干の明るさを残す空に星は見えなかった。だが、雲は一つとして見あたらない。天体観測日和としては、最適かもしれないな、と少年は思った。そして同時に、ゆう姉も、いま、この星空を眺めているのだろうかと考えた。
今日は、ゆう姉が向こう、大学へと戻る日だ。そして、数ヶ月後に控えた卒業とともに結婚する。冬は、結婚相手の実家へ向かうそうだから、実質、これが結婚前のゆう姉とあえる最後の日だった。最後の、見送りだった。
だというのに、自分は見送りのホームではなく、高台へと続く、遊歩道を走っている。それもこれも、ゆう姉が奇妙な書き置きを残すからだ、と少年は悪態を心の中でついた。
自分勝手に、周りを振り回して。大人のくせに、子供っぽいことばかりしやがってと、少年は悪態をついて――それでもなお、走りを止めない。
やがて、少年の足は高台へとたどり着いた。膝に両手をついて、荒い息のまま、空気を肺いっぱいに吸い込む。空を見上げると、星がのぞき始めていた。
少年は、あることを悟りながら、しかし、高台に備え付けられた休憩所へと歩み寄る。
きっと、そうなのだろうなと、少年はここに来るまでに漠然と心に思い描いていた。
そして、思い描いたとおりの光景がそこにあったものだから、少年はやっぱりな、と思うしかなかった。ああ、やっぱりな、と。
とぼとぼと、休憩所に少年はたどり着く。
ベンチと、その背後に透明なプラスチック板。
プラスチック板には、しかし、大きな悪戯書きがほどこされてあった。
少年は、それを見る。
まっかな口紅で記されたかのようなそれは、次のような、端的な言葉だった。
少年は、それをみて――