やくそくと星空
--------------------------------------------------
■ やくそくと星空
--------------------------------------------------
--------------------------------------------------
◆ ――少年は走る
--------------------------------------------------
走らなくてはいけない、と少年は考えていた。
周囲は暗く、すでに夕日は遠く、稜線の向こう側へ沈もうとしている。展望台へと続く遊歩道をひた走る中、頼りになるのは膝丈に、等間隔で設置されたライトだけだった。
進む道の左右にはうっすらとした雑木林が広がっていて、風が吹くたびにかさかさと揺れて不気味きわまりない。だがなにより、その音が少年の心の焦燥をいっそうあおっていた。
少年には、走る理由があった。
(ゆい姉との約束を果たさなきゃ)
ゆい姉とは少年の、大学生の従姉である。幼い頃より、なにかにつけて面倒をみてくれたゆい姉は少年にとって、母親とはまた別に子供時代をそっと見守ってくれたかけがえのない人で――同時に、少年にとっては初恋の相手だった。
むろん、二人の間にはそれなりに年の差がある。子供扱いしかされないような、一回りも二回りもの年の差だ。それを考えるたび、自分がどうしようもないほどに子供であることを実感して、少年はたびたび、あと数年でいいから早く生まれたかったとぶつけようのない憤りを覚えたものだった。いや、今だってそうだ。絶えず、この憤りは少年の心をあぶる炎であり続けた。
それ故に、少年の恋は、いつだって疼くような痛みをともない続けている。
あるいは、初恋とはそういうものなのかもしれないが。
--------------------------------------------------
▼ ――ゆう姉ね、結婚するんだ
--------------------------------------------------
夏。七月の下旬。
従姉のゆう姉が大学からの帰省で久々に家へやってくる、ということなので駅前まで遠出して迎えに行くことになった。
家からは片道でも、自転車を利用して一時間の道のりだが、親がバスで行けということなので三十分もかからずに到着することができた。
駅のホームは数年前に改築されたばかりで、真新しい部分とどこか古めかしい部分が混在一体となった独特の雰囲気を持っている。
あまり、外へ出る機会のない少年は駅を物珍しげに眺めながら改札口の前で呆と到着予定列車の電子掲示板を眺めていた。
そんな、所在なさげにたって十分ほどしたときのことだ。
「や、少年。大きくなったね」
と、突然声をかけられて、少年はあわてて電子掲示板から視線をはがし、声の主をみた。そこに、悪戯っぽい笑みを浮かべた一人の女性がいる。
「お久しぶり。迎えにきてくれたんだって? ごめんね、遠いのに暑い中」
背中の中頃まである黒髪を三つ編みに二つに分けて、カジュアルな帽子をかぶり、すずしげなワンピースを羽織った女性。一瞬、誰なのかわからなかったのでとまどった少年だったが、その声と、独特な笑い方がすぐに記憶の中にあった一人の女性を引き出した。
「ん。おかえり、ゆう姉。相変わらずだね」
数年前、最後にあったときはスーツ姿だったゆう姉にくらべ、だいぶ都会慣れしたのか垢抜けた空気を身にまとっているな、とおもいながら少年は挨拶を返した。
「何が相変わらず?」
「どっか子供っぽいところ」
「なにそれ。ひどいなー」
笑いながら、少年の背中をたたいて駅の出入り口へと歩いていくゆう姉。そういう仕草が子供っぽいんだと思いながら、少年は重そうな荷物を肩代わりしようとその横に並んで歩き出す。そして、見るからに重そうで、明らかに破れそうな土産入りの紙袋を四つほど奪い取るように両腕に持った。
「あらま」
その所作に少し驚いたような表情を浮かべるゆう姉。いつの間にこんなに大人になって……と、大仰に言いはじめる。
「さすがにこれぐらいは……」
少年は小馬鹿にされた気がしながら、どこかむずがゆい心地を覚えながらこたえた。その様子を見て、うふふ、とくぐもった笑い声をゆう姉はもらす。
「そっか。立派に男の子してるんだ」
と、どこか実感のこもった言葉をつぶやいた。
「なんだよ」
「なんでもー」
「なんだよ……」
「なんでもないって」
にやにや、とした表情で見下ろすゆう姉に、釈然としないものを感じる少年の声音はどこか険を含んでいた。だが、少年にとってもそれが理解できるのか、そしてそれ自体もまた少年の神経を逆なでするのかしまいにはむすっとした表情を少年は浮かべる。
その様子を見て、やはりゆう姉はにやにやと少年をみる。ゆう姉にとってはその少年の所作の一つ一つが、どこか愛らしいものに思えて仕方がない。さっきも告げたように、精一杯に男の子をしているこの従弟がかわいらしくて仕方がないのだ。
不機嫌な表情とにやにや顔のままに、二人は帰りのバスへ乗り込んだ。ゆう姉がもつのはもはやスーツケースだけだったが、海外旅行用のものなのだろうそれは、見た目だけでも重そうだった。乗り降り口の段差に四苦八苦している様子を見て、少年は眉根を寄せたままに持ち手を引き上げてやった。
「や、男前」
「なにがさ」
「なんでもー」
幸い、乗客も少ない時間帯だったので、スーツケースを席の脇においたままにして、手で押さえながら中頃の席に二人で座る。
しばらくすると、バスは扉を閉めて発車した。窓の外で景色がゆっくりと流れ始める。駅前を過ぎて、昔はゆう姉が遊び場にしていた本屋などの密集地帯に通りかかると、やはりというべきか、ゆう姉のテンションが一気にあがった。少年に矢継ぎ早に尋ね始める。
「ねね、あのお店どうなったの! いまみたら、名前変わってたんだけど」
指さしているのはゆう姉のいた頃は古本チェーン店だった店舗だ。今はその大きな店舗だけに面影を残し、中身は回転寿司のチェーン店になっていた。
そういった店舗が数カ所、このあたりには存在している。それがバスの窓からのぞくたびに、少年は律儀にゆう姉に答えなければならなかった。でなければ、少しずつ増えてきた乗客の皆さんに失礼なほど、ゆう姉のテンションは上がり始めていたのだ。
だが、こんなにうるさくして大丈夫だろうかと心配に思い、少年が周囲を見回してみると、皆、一様に暖かな笑みをたたえているだけだった。どこか、くすくすという笑い声でも聞こえてきそうな錯覚を覚えるほどに、だれも、いやな顔をしていない。少年には、それが不思議な光景に見えて仕方がなかった。なぜ、そんな表情を浮かべられるのかが理解できなかった。
■ やくそくと星空
--------------------------------------------------
--------------------------------------------------
◆ ――少年は走る
--------------------------------------------------
走らなくてはいけない、と少年は考えていた。
周囲は暗く、すでに夕日は遠く、稜線の向こう側へ沈もうとしている。展望台へと続く遊歩道をひた走る中、頼りになるのは膝丈に、等間隔で設置されたライトだけだった。
進む道の左右にはうっすらとした雑木林が広がっていて、風が吹くたびにかさかさと揺れて不気味きわまりない。だがなにより、その音が少年の心の焦燥をいっそうあおっていた。
少年には、走る理由があった。
(ゆい姉との約束を果たさなきゃ)
ゆい姉とは少年の、大学生の従姉である。幼い頃より、なにかにつけて面倒をみてくれたゆい姉は少年にとって、母親とはまた別に子供時代をそっと見守ってくれたかけがえのない人で――同時に、少年にとっては初恋の相手だった。
むろん、二人の間にはそれなりに年の差がある。子供扱いしかされないような、一回りも二回りもの年の差だ。それを考えるたび、自分がどうしようもないほどに子供であることを実感して、少年はたびたび、あと数年でいいから早く生まれたかったとぶつけようのない憤りを覚えたものだった。いや、今だってそうだ。絶えず、この憤りは少年の心をあぶる炎であり続けた。
それ故に、少年の恋は、いつだって疼くような痛みをともない続けている。
あるいは、初恋とはそういうものなのかもしれないが。
--------------------------------------------------
▼ ――ゆう姉ね、結婚するんだ
--------------------------------------------------
夏。七月の下旬。
従姉のゆう姉が大学からの帰省で久々に家へやってくる、ということなので駅前まで遠出して迎えに行くことになった。
家からは片道でも、自転車を利用して一時間の道のりだが、親がバスで行けということなので三十分もかからずに到着することができた。
駅のホームは数年前に改築されたばかりで、真新しい部分とどこか古めかしい部分が混在一体となった独特の雰囲気を持っている。
あまり、外へ出る機会のない少年は駅を物珍しげに眺めながら改札口の前で呆と到着予定列車の電子掲示板を眺めていた。
そんな、所在なさげにたって十分ほどしたときのことだ。
「や、少年。大きくなったね」
と、突然声をかけられて、少年はあわてて電子掲示板から視線をはがし、声の主をみた。そこに、悪戯っぽい笑みを浮かべた一人の女性がいる。
「お久しぶり。迎えにきてくれたんだって? ごめんね、遠いのに暑い中」
背中の中頃まである黒髪を三つ編みに二つに分けて、カジュアルな帽子をかぶり、すずしげなワンピースを羽織った女性。一瞬、誰なのかわからなかったのでとまどった少年だったが、その声と、独特な笑い方がすぐに記憶の中にあった一人の女性を引き出した。
「ん。おかえり、ゆう姉。相変わらずだね」
数年前、最後にあったときはスーツ姿だったゆう姉にくらべ、だいぶ都会慣れしたのか垢抜けた空気を身にまとっているな、とおもいながら少年は挨拶を返した。
「何が相変わらず?」
「どっか子供っぽいところ」
「なにそれ。ひどいなー」
笑いながら、少年の背中をたたいて駅の出入り口へと歩いていくゆう姉。そういう仕草が子供っぽいんだと思いながら、少年は重そうな荷物を肩代わりしようとその横に並んで歩き出す。そして、見るからに重そうで、明らかに破れそうな土産入りの紙袋を四つほど奪い取るように両腕に持った。
「あらま」
その所作に少し驚いたような表情を浮かべるゆう姉。いつの間にこんなに大人になって……と、大仰に言いはじめる。
「さすがにこれぐらいは……」
少年は小馬鹿にされた気がしながら、どこかむずがゆい心地を覚えながらこたえた。その様子を見て、うふふ、とくぐもった笑い声をゆう姉はもらす。
「そっか。立派に男の子してるんだ」
と、どこか実感のこもった言葉をつぶやいた。
「なんだよ」
「なんでもー」
「なんだよ……」
「なんでもないって」
にやにや、とした表情で見下ろすゆう姉に、釈然としないものを感じる少年の声音はどこか険を含んでいた。だが、少年にとってもそれが理解できるのか、そしてそれ自体もまた少年の神経を逆なでするのかしまいにはむすっとした表情を少年は浮かべる。
その様子を見て、やはりゆう姉はにやにやと少年をみる。ゆう姉にとってはその少年の所作の一つ一つが、どこか愛らしいものに思えて仕方がない。さっきも告げたように、精一杯に男の子をしているこの従弟がかわいらしくて仕方がないのだ。
不機嫌な表情とにやにや顔のままに、二人は帰りのバスへ乗り込んだ。ゆう姉がもつのはもはやスーツケースだけだったが、海外旅行用のものなのだろうそれは、見た目だけでも重そうだった。乗り降り口の段差に四苦八苦している様子を見て、少年は眉根を寄せたままに持ち手を引き上げてやった。
「や、男前」
「なにがさ」
「なんでもー」
幸い、乗客も少ない時間帯だったので、スーツケースを席の脇においたままにして、手で押さえながら中頃の席に二人で座る。
しばらくすると、バスは扉を閉めて発車した。窓の外で景色がゆっくりと流れ始める。駅前を過ぎて、昔はゆう姉が遊び場にしていた本屋などの密集地帯に通りかかると、やはりというべきか、ゆう姉のテンションが一気にあがった。少年に矢継ぎ早に尋ね始める。
「ねね、あのお店どうなったの! いまみたら、名前変わってたんだけど」
指さしているのはゆう姉のいた頃は古本チェーン店だった店舗だ。今はその大きな店舗だけに面影を残し、中身は回転寿司のチェーン店になっていた。
そういった店舗が数カ所、このあたりには存在している。それがバスの窓からのぞくたびに、少年は律儀にゆう姉に答えなければならなかった。でなければ、少しずつ増えてきた乗客の皆さんに失礼なほど、ゆう姉のテンションは上がり始めていたのだ。
だが、こんなにうるさくして大丈夫だろうかと心配に思い、少年が周囲を見回してみると、皆、一様に暖かな笑みをたたえているだけだった。どこか、くすくすという笑い声でも聞こえてきそうな錯覚を覚えるほどに、だれも、いやな顔をしていない。少年には、それが不思議な光景に見えて仕方がなかった。なぜ、そんな表情を浮かべられるのかが理解できなかった。