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イキモノⅡ

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 万羽億羽の蝶が行く。
 逆しまの渦が今日はない。
 ただ、窓枠の向こう、蒼の色彩は蠢いている。
 
 右肩に感触を覚えてなにかとおもいのぞき見ると、そこに少女の頭がのっていた。
 すぅ、と息を吸い込む唇が目に入り、その色彩に、一瞬、心臓が止まる思いをした。
 だが、つぎにはそのような思いも看過する光景が目に飛び込んできた。
 その光景を、私は余さず、印画紙に焼き付ける。
 
 それは、少女に蝶が群がる光景だ。
 私は、祝福された供物が神殿に捧げられる空想を覚えた。
 眠る少女には無数の蝶がとまっている。ただ、音もなく、羽根をゆうらりゆらりと揺らした蝶が、少女のからだがまばらにしか見えぬほどにとまっているのだ。
 からだをくゆらすとでも表現するかのような、どこか幽玄とした佇まいをもった蝶がおりなす、その官能的な光景を、私は黙って見つめていた。
 ともすれば、この光景は一種の交合に見えると、私の脳は呟く。蝶と少女の形をしたイキモノが交わり合う、神秘的な光景であると。
 だが、同時に、私は少女に抱いた忌避感と、あの生臭さを鼻の奥に覚えてならなかった。顔を背けたくなるほどに醜悪で、まるで腐った果実の観察日記を書いている心持ちが鎌首をもたげ始めていたのだ。
 だが、それ故にこそ私はこの絵画的な一コマを見逃すまいと目を背けられなかった。取り憑かれたと言ってもいい。実際に、蝶に食まれていたのは確かに私だったのだから。
 そのうちに、私の脳の奥底で一定の音律が響き始めていた。
 ぷぁ……んという遠い響きは、そのうちにぷぁんという確かな音をもって甲走り始めた。やがてその音色は、とどまるどころかどんどん、どんどんと大きくなり、脳の中を微塵に切り裂き始める。頭蓋の中を狂おしく蠢き、反響するたびに切り裂く刃の趣を持っただったが、あるいは、自分の心のうちに宿る航海士の夢魔だったのかも知れない。音色は確かに、サイレンの音をしていたのだから。
 しばらくの後、サイレンの音色は鳴りやんだ。
 そうすると、少女はむずがるような仕草を見せて、ぼんやりと、私の右肩の上で目をさます。
 ゆうらり、と。私の視界を横切るモノがあった。
 少女にとりついていた蝶の群だ。
 逆しまの渦が今日も行く。
 窓枠をこえて、空へと還っていく。
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が散る。
 
 逆しまの二重螺旋が、窓枠を超えて空へと還っていった。
 万羽億羽の蝶が行く。
 その光景を、印画紙は焼き付けた。
 
 最近になって少女の様子がおかしい。
 いまは目を開けているようだが、このところ気がつくと眠っている日々が続いている。
 そうなると、少女はいつだって蝶の人気者だ。行列の出来る花畑とでも形容すべき有様で、眠る少女の元にはいつだって蝶が途絶えることはなかった。その様子を観察しながら、蝶が狂うほどの少女が持つ魅力というのは果たしてなんだろうかと夢想するのがこのところの常だった。
 いちばん、私が気に入った推測は少女が蝶の色彩の素であるという夢想だ。
 蝶は眠る少女から、あの痛烈な蒼色の素を吸い出しているのだと私は考えた。
 それは眠る少女しか持ち得ない、希有な素で、少女が起きていてもダメ。起きていては、少女の意識や、少女の瞳がうつしている景色がその素をけがしてしまって純度が下がってしまう。いちばん美味しい時というのは少女が眠っている時で、蝶たちはその瞬間を知っているから今か今かと少女が眠り込むのを待っているのだ、と。
 
 目を開いていた少女は、しばらく、そのままに茫洋としていたが、やがてのっそりと立ちあがり廃ビルの窓際へと歩き始めた。そして、窓枠から少し離れた、四角い陰影の中に身を横たえた。暫時の後、寝息が聞こえ始める。見逃すまいと蝶が群がった。
 
 いつものことながら、幻想的な光景だが、今日はいつにもましてその神秘性に磨きが掛かっているようだった。ミステリアスのヴェールに倣う、薄くらやみの中を照らすうっすらとした光が、その一瞬を彩っているかのよう。透明の色彩を手に入れた絵画は、その趣に、羨望を宿す。手を伸ばしたところで届かない場所にあるような錯覚を私は覚えた。
 蝶はゆうらりゆらりと羽根をくゆらせている。静かな時間がしばらく続いた。続いて、続いた後にこの光景が終わりを告げたのは、一つの変化が始まったからだ。
 少女にとまっていた蝶が一羽、羽根の動きを止めた。
 その動きに連動するように、一羽。また一羽とくゆる羽根の動きととめていく。いつしか、少女にとまる蝶の中で、羽根を動かしている蝶は居なくなった。
 すると、今度は少女に変化が起こった。
 私は思わず息を呑む。印画紙を目一杯広げ、その光景を見逃すまいとする。
 少女が、痛烈な蒼色の粉になり始めたのだ。
 それは、さらさらという幻聴をとおして、私に感触を知らせる。しかし、風に舞うようなことは決してせず、ただ静かに、少女だった粉は地面に降り積もる。
 少女の形が完全になくなる頃には、そこに、蝶が群がる蒼色の水たまりが出来ていた。降り積もった粉が、今度は液体になったのだ。
 うすぎぬのような光をまとったそれは、絵画に抱かれる静かな湖畔の佇まいを脳裏に抱かせる。慎ましやかなパライソの佇まい。ともすれば桃源郷もかくやという、琴線をかき乱す光景だった。
 しかし、それも長くは続かない。突然、一羽の蝶がその水たまりを飛び立った。そして、それに続くように、先と同じく一羽、また一羽と蝶は空へと還っていく。
 蝶の居なくなった水たまりだけがその場所に残った。私は、一種の官能の炎を宿してその様子をじっと眺める。
 そして、その時は来た。
 音は、なかった。
 ただ、清廉な雰囲気を宿して、
 一羽の蝶が、水たまりを突き破ってそこに現れた。
 それは、無色透明の蝶だった。なんの色合いも帯びていない、何に毒されることもないかのような玲瓏さを身に宿す。
 ガラス細工よりもなお精巧な蝶がそこに生まれた。気がつけば、水たまりは跡形もなく消え去っている。蝶たちが吸い上げてしまったのかも知れない。
 透明な蝶は、やがて、つぶさに観察する私の方へはらりはらりと飛んできた。そして、来た時の平然さをもって、私の右隣にとまった。
 
 
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が舞う。
 
 ただ、一羽の蝶が右隣へと舞い降りた。
 右から左へ、今日も万羽億羽の蝶は行く。
 
 まるで花ひらくような光景だと、右隣にとまる蝶を見て思う。はらりはらりとしたたたずまいの羽根は、その透明さにどこか、禁じられた蠱惑を宿しているようにみえて危うかった。一つ、鈴蘭の花が咲いているかのようだ。
 この最近、私は努めて眠るようにしていた。
作品名:イキモノⅡ 作家名:こゆるり