みちくさ(後編)
5) 電牧柵設置と腱鞘炎
田畑転換を敢行して転換作物にいちじくを選んだ。6m間隔でいちじくの苗を植え一文字に枝を仕立てるが、いちじくが成木するまでは畝の空き地にスイカやメロンを間植することにした。この辺はご多聞に漏れず害鳥獣など各種の生き物が出没し作物を食い荒らすのでその対策に一苦労を要する。いろんな侵入防止策があるが、私のところでは電牧柵を5段に配置して鹿・猿・猪など大物の侵入に備え、カラス対策には防鳥糸をランダムに張ることによって空中からの侵入を防止する策をとった。小動物に対しては別に侵入防止用のネットを用意してあるが、当面は電牧柵の1段目と2段目を低い位置に配置しておいたが効果がなければネット策に切り替える予定である。さらにヒヨドリなど小型鳥類の防護対策も必要になるがもう少し先に伸ばすことにした。
この電牧柵や防鳥糸の支柱設置工事において、硬い地面と石の多い土中に穴を開ける作業が必要となり木槌を叩き続けたために腱鞘炎(バネ指)を起こし今なお薬指の屈伸は苦痛を伴うのでギプスをはめて仕事をしている。指の屈伸に違和感を抱く以前に、穴あけ作業をこのまま続けることができないと判断してアースオーガーの購入に踏み切ったが、ことすでに遅くハンマーの振動に耐えかねた指は悪化の一途を辿りついに整形外科のお世話になるはめになったのである。
6) 百姓見習いの仰天顛末事件
百姓天国の仲間入りをしてから早や20年以上が経つ。とはいえ百姓天国なる実体はすでに消滅しており心の中にのみ存在している精神的な拠り所になっている。百姓たちよ、昼間は鍬を夜にはペンをもとう・・そんな趣旨で立ち上げられたものですごい百姓がいるものだと感嘆した記憶が蘇る。
天国に成り得たかどうかは疑問だがそれなりに意義にある生き方をしてこられた百姓の集まりであった。その中でベテランの域に達するひとりの百姓が名刺の肩書きに「百姓見習い」と書かれていたのを真似してそれ以来私もこの言葉を使うようにしているがその意味合いは大いに異なる。百姓はいつまでも1年生であるとの謙虚な気持で付けられた百姓見習いと百姓にはなりきれずいつまでも趣味の範囲にとどまっている百姓見習いとは同音異義語に相当する。また百姓になるための見習い期間中であるという本来の意味での百姓見習いとは一線を画するもので、その言葉にはその人の農に対する姿勢が現れていると見るべきである。
ところで後者の百姓見習いである私が仰天するような事態が生じた。いちじく(植栽は6m間隔)の間植として植えたスイカ(大玉)とマスクメロン(サンライズ)が玄人はだしの成果をあげたからである。それなりに手間ひまをかけて世話をしたことも事実であるが「元来生き物は放任しておいても自然に成長するものである」という面倒くさがりやの屁理屈が常に優先して指南書に書いてあるような栽培管理はしなかった。それにも拘わらず周りからお世辞にしても果実の出来栄えを褒められたのはひとえに土壌が肥えていたからに過ぎない。水田転換による処女地の生育能力の高さをこれ見よとばかりに見せつけられた思いがする。(玄人はだしの成果と言ってみたものの、摘果を嫌がったせいか果数は多いが小粒で味もイマイチだった、というわけでとてもプロには敵わない、素人の思いあがりであった)
作品名:みちくさ(後編) 作家名:田 ゆう(松本久司)