みちくさ(前編)
(3) 合併後の地名に思う
平成17年5月初頭、市町村合併慎重論に対する住民の厳しい審判を受けた町長選挙直後の放心状態にあって、合併後の狭域行政の扱い方や新市の命名が気になっていた。その後しばらく新聞記事等の報道に接しながら新市命名に注意を払ってきたのであるが、地名研究者が訴えた「合併地名についてのお願い」は首長ら関係者に聞き届けられたのであろうか。
周知のごとく柳田国男はその著「地名研究」の中で明治の大合併施行時の合併命名を取り上げて、『今日の新町村の名を見ても随分気まぐれなつけ方をしたものが多い。・…、後には何の為にこう云う名をつけたのか分からぬことになるかも知れぬ。地名は俗物が成るほどと合点するだけ十分に自然のものでなければならぬ。是地名に略々一定の規則のあるべき所以である。』と書いている。その引用文・…の中に、今日の「ひらなみ市」に相当する命名事例をあげている。 (ひらなみ市(案)は最終的に海津市に命名された)
私は地名研究の専門家ではないが専攻している地域学の視点、つまり「地方成立の条件を明らかにする」立場からみれば地名研究は地方のルーツ探し、すなわち成立条件との係わりにおいて重要性を帯びているといえる。その地方成立のルーツは所与の自然・地理条件等のもとで共生・相克を通して生存基盤が確立されてきた点であり、そこから独自の文化・歴史を形成していく過程が地方の変遷であり地名の改名であった。したがって、地名そのものが文化・歴史をもつということではなく、それを形成してきた地方を象徴する呼び名として重要な意味をもっているのである。よって、今はやりの表現を使うならば「地名力」が働かないような命名は地方成立のルーツを蔑ろにし、築き上げてきた文化・歴史を顧みない点においても避けなければならない。「地名力」とは地名からその地方のことが分かるもので相手方の約諾を要することもないものである。
地域学は、地方の成立条件を明らかにするという命題から翻って、地方の行く末をどうするのかという命題をも同時に抱えている。そのルーツと変遷の過程を調べれば共生・相克の生存基盤の上で変わるものと変わらぬもの、さらに、変えてはならぬものが見えてくる。そこから地方の行く末に対して現在の延長線上でとらえてはならない点が明らかになってくる。このことは地名命名にも当てはまるのではないかと考える。
地域学は将来の地域づくりのために地域との積極的な係わりをもつことにおいて、つまり社会貢献を重要な目的としている点で地域研究と地域学との区別が有効だとすれば、地名研究と「地名学」との区別ないしは新学問領域への発展は、地名研究が地域および地域住民に対してどのように貢献することができるのかにかかっているともいえよう。そういう意味からもこの度の合併地名に対する地名研究会の働きかけは時機を得たものである。
今もなお、むしろこれからも合併地名に対する紛糾は続くであろう。早急に合併が進められてきたツケは何かの形でいずれは回ってくるものであるが、新市の命名は『成るほどと合点するだけ十分に自然のもの』であってほしい。そのためにも、首長ら関係者は先の地名研究者の訴えに真摯に耳を傾けるとともに研究者各自もそれぞれの立場から地域に訴えていかなければならないだろう。
(4) 田んぼに這いつくばって見えたもの
この地に来て米作りも14年になる。5年目に反収10俵強取れたがそれ以後は鳴かず飛ばず、である。産地計画によるとこの辺りの基準収量が7.7俵であるから新参者にしては上出来と言える。が、取れなくなったのにはわけがある。
わが田はウリカワの繁殖地でもある。イヌビエとは違い遠目で見ても苦にならないのでほっておいてもよさそうだが、しばらくの間は嬉々としてこの雑草剥がしのために田んぼに這いつくばった日々が今となっては懐かしい。
それは田祖神との語らいを期待したからである。この淡々とした辛い労働の向こう側に何があるのか、少なくとも自然との共生を実感することができるのか、かつて観た映画SPIRITのように。あたり一面に蔓延ったウリカワをむしり取りながら連日神との出会いを待っていた。
しかしそれは無駄であった。田祖神は早乙女たちの田植えはことのほか喜んだに違いないが昨今の重機で踏みつけられてはかなわない。神は昇天され田んぼにはもういなかったのである。
以来這いつくばって草取りをするのはやめて除草剤バサグランのお世話になっている。米作りにかつて抱いた喜びが得られなくなってしまったのである。
作品名:みちくさ(前編) 作家名:田 ゆう(松本久司)