小百姓の論理
(15) 映画「スピリット」に出てくる水田は棚田であった。これまで棚田での作業は人力や畜力が主体で田植えや稲刈りは共同作業が行われることが多かったが今日でも中国中山間部での稲作技術体系はそれほど変わらないであろう。今回はこの棚田に注目してみたい。
棚田と言えば以前ある地区の棚田整備計画に関する仕事上の失敗をやってしまい、そのため仕事仲間や関係者に多大な迷惑をかけることになったが私自身も廃業を考えざるを得なくなりしばらくウツ状態に陥ったことがあった。その後、四万十川上流の梼原町にある棚田のようにオーナー制を採用することにより棚田の存続が可能になる道が開けて棚田を改造するようなほ場整備事業を回避できる方途が生まれたのである。
日本には梼原町の棚田を含む棚田百選が選定され景観保全の方針が打ち出されるようになったがそれまでは人力を中心とする作業体系は高齢化に向かう百姓たちにとって水稲栽培を続けることが重荷となりこの際、機械化作業が可能なほ場すればJA等に作業委託ができるとの思いがあって棚田を存続させる計画を提案することがむつかしかった。
棚田は景観的価値のみならず文化や環境など様々な価値を持っているが貨幣価値に置き換えられない無償の価値の占める割合が大きい。この棚田は我が国固有のものではなく米作りのあるところには存在するが、そのスケールからいえばお隣の国である中国山間部の棚田は群を抜いている。
12月の中国内陸部の天候は霧の発生が多いため飛行機が着陸できないことがしばしばある。成都から重慶に向かう飛行機の出発をロビーで待たされたが霧が晴れたというので機上して重慶に向かったが案の定、再び霧が出て成都に引き返した。待つことしばらくして再び機上のアナウンスがあり重慶に向かったが今度は重慶を通り越して湖南省北部にある空港に着陸させられた。(実はその日の前日も成都の空港が霧のため、上海の空港で朝早くから7時間ほど待たされ、成都に着いたのは夕刻であった)
その日の夕方には目的地の重慶に着くことができたがそのおかげで素晴らしいものを見せてもらった。それは湖南省北西部に住む少数民族の耕す棚田であって山という山の頂まで幾重にも田んぼが展開する見事な光景であった。この景観は飛行機の上からでしか見ることができないもので「雲の上の町梼原」という梼原町のHPの謳い文句がまさにここにあったのだと感激したことを覚えている。
(「雲の上の町梼原」は誇張に過ぎないが、湖南省北西部に連なる棚田は、まさに雲上に展開する棚田と呼ぶに相応しい)
(16) 中国内陸部の山間地帯に展開する棚田は圧巻と言うべきか、どの山も360度のパノラマ写真を見るごとく様々な形をした小さな水田が渦巻いているように映る。バリ島の棚田のようにバナナやマンゴといった果実が水田の周りに見られるわけでもなく山の天辺まで棚田一色の景観を呈している。
中国の少数民族は中国人民の食料を確保しまた自身の生計を維持していくために過酷な労働条件を厭わず働く姿を思い描くとき、かつて山奥まで開いた水田を次々に放棄して元の林地に戻してしまう我が国の農業政策のあり方を考え直さずにはおれないが、文化を駆逐する文明の脅威が広範に押し寄せて来ている事態を避けるわけにはいかないのかもしれない。
重慶の空港が再び霧に覆われたとき我々の乗った飛行機は隣州である湖南省張家界市の空港へと向かった。空港のロビーで次の重慶行きの飛行機を待たされることになったが何をするあてもなく空港内の展示などを見て時間を潰した。このローカル空港には少数民族のみを対象にした特別待合室があり、隙間からその部屋を覗いてみると隅の一卓で麻雀をしているグループがいたのには少々驚ろかされた。
彼らの娯楽は今でも麻雀が主流なのだろうか、空港側がそれらの遊具を用意しているということは中国政府が少数民族をいかに優遇または宥和しているかを物語っている。少数民族には一人っ子政策が適用除外されているのもそのひとつであるが、人口規模で言うと日本の総人口よりも多く、数では50以上もある中国少数民族に対する宥和政策は中国共産党にとって重要な政策に違いない。
中国にもゴルバチョフが現れてソ連邦が解体したように分離独立の嵐が吹きすさぶかもしれない。支配層の汚職やスキャンダルに加えて、このまま進めば都市と農村部の経済格差がますます大きくなり不満が一気に噴出することも考えられる。中国における内政問題は外交問題より厳しさを増しているように思えるのだが・・。
ところで、麻雀も囲碁も中国から日本へもたらされたし漢字も稲作技術も同様である。またひらがなやカタカナは漢字がなければ生まれて来なかったかもしれない。だとすれば中国人が日本製品をコピーしたから言っていちいちメクジラを立てることもなかろうと思うが隣国であればこそむずかしい問題が起こることも事実である。
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作品名:小百姓の論理 作家名:田 ゆう(松本久司)