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ihatov88の徒然日記

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131シリーズ80's 7/5



 自分の中で勝手に80年代のエセーなんぞ。

 ワタクシ、昭和49(1974)年生まれですので、自分が見聞きした出来事をこうして書けるのは80年代になってからと言えます。70年代の生まれですが、物心付く前なのでリアルタイムで覚えてませんから。
 例えば、世界の王が756本目のホームランを打ったのが昭和52(1977)年で、彼が引退したのが80年だそうですが、リアルで覚えていない、そんな年代の人間でございます。

 それでは、1980(昭和55)年から。
 この年にワタクシ八馬少年は幼稚園に入園しました。1年だけ行くというのは当時の普通。近所の友だちももちろん一緒。幼児教育という言葉やお受験なんてほんの一握りの富裕層のハナシ、でした(たぶん)。
 賑やかな市場の中を通って通園、今ではシャッターが目立った通りに変貌。買い物のスタイルが違ってましたね、童謡「パタパタママ」の歌にあるように、当時のお母さんはその日の食べ物をその日に消費することが多かったみたいですね~。
 
 当時の娯楽スポーツといえば野球くらいでした(もちろん他にもありますよ)。神戸(関西)の子であるということと、その時代は権力のあった父が影響してか、野球の話題、それも阪神タイガースの話題は日常でした。今ほどスポーツも多様化してなかったですね。
 中でもワタクシはトラの31番に憧れていました。31番と言えばミスター・タイガースの掛布さんですよ。地元の人ならみんな知ってる。あの松井秀喜も同じように憧れてトラの31番を着てサードを守りたかったそうですが、そんな彼はワタクシと同い年です。
 ただ、ワタクシの場合、憧れて野球を始めるも左投げということでサードの座はあえなく撃沈でしたね……。

 この年はモスクワでオリンピックがあったそうです。当時は冷戦の真っ只中、西側諸国(←これも死語ですね)がボイコット。日本では盛り上がらなかったことを覚えています。
 拙作『海の向こうから』でもそんな話題を取り上げましたが、今も昔も完全に平和というわけではありませんね。
 
 まあ、昔は良かったと言うことはよくありますが必ずしもそうでなく、だからといって今が悪いかというと、個人的にはそう思わないんです。今は今で便利になったし、先人たちが向上を目指して知恵を絞った線の先が今だと思っているからです。
 でも、ワタクシも人生の半分を超えて過去と現在の善し悪しと、これから導くべき未来を考える年になりました。基本インプットだった80年代を今だからアウトプットできるんかなー、と思ったりします。

 そんなわけで、自分が経験してきた80年代の生活や日常を年毎に振り返って当時のあるあるや皆さんのツッコミ等を期待しようかと思います。

 ――で、次は昭和56(1981)年のハナシ、です。
   つづく

作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔