ihatov88の徒然日記
1 生まれた日の出来事 3.21
次女が生まれたのがちょうど10年前。実家の近くで出産をしたため、ここから車で二時間ほど離れたところにある当時の自宅をしばらく空けていました。
仕事があるので娘が生まれてすぐに単身帰宅したら自宅の新聞受けが山盛りになっていた。その中に一つだけ、ビニール袋に入ったそれがあって日付を確認すると次女が生まれたその日の朝刊でした。
「そっか、あの日雨降っとったんや」
雨の日は濡れないように新聞を袋に入れます。たまたまその日が雨だったということなんですが、親と言うのはバカなものでこれを「新聞配達員のささやかなプレゼント」などと思い、今でも封を開けずにそのままにしてあります。
娘が節目を迎えたら本人にあげようと思っています。節目?それはいつかって?実は決めてないんです。10歳の誕生日じゃちょっと早いので、20歳の誕生日かな?それとも嫁に出すときかな?とにかく日は決めてないんです。
「新聞なんやから、読めよ」というツッコミもあろうかと思いますが、封がされたものってなかなか切れないものなんですよね。結局は親バカということですな。数日後二人の娘と一緒に自宅に戻ってきたヨメに新聞の話をしたら
「そういう事思い付くのはあんたらしいわ」
と笑っておりました。同時に先述のツッコミも入りましたが。
ここまではほのぼのとしたお話。これからグダグダになりますよー……。
* * *
新聞の話を思い出した時、娘の事ではなく自分のことが気になった。
小生、来月で不惑の40歳を迎えます(プロフィール参照)。平々凡々と、特に目立った功績もありませんが大病を患わずにここまでこれたことと今まで出会ってきた人にはとても感謝しています。
そこで、先日近くの図書館でそれを思い付いたものですから、スイッチが入ってしまいまして調べたのですよ。あるんですね、当時の新聞を年月ごとに纏めて書籍にした保存版みたいのが。
「えーと、昭和49年4月は……と、あったあった」
私はさっそく昭和49年4月のそれをを見付けて閲覧机に置いた。重い、物理的にも歴史の重み的にも。そして私は12日の新聞を広げてみた。
当時は時期的にも激しい春闘が繰り広げられた頃で、労働組合も元気だった。学生時代に学園闘争をしていた人が現役の労働者だったり、21世紀の世の中よりも熱かった時代だったようです。
新聞にも
「大型ストライキ決行」
と表紙の記事。当時の交通は大混乱した様子だ。そんな日に私は生まれました。
それからテレビ欄。ゴールデンタイムに歌謡曲という単語だとか出演者等を見るとこれもまた昭和の匂いがここまで漂ってきそうで興味深い。
「この人らってこの時から現役やったんやぁ」
という自分もこの日に生まれたんだから、自分もそれだけ「古い」人間になったのだなあ、と考えさせられる、実感ないけど。
そんな調子でテレビ欄をめくった裏のトップ記事、写真付きで乗っている記事がこれでした。
「ガッツ石松世界チャンピオン奪取」
はぁ、そうですか。テレビでよく見る元祖天然キャラとも言えるあのOK牧場、この時に世界を獲ったんですね、ちょうど40年前だ。ああ見えてもチャンピオンなんですよ、それはそれで努力して勝ち獲った、誰彼もができるわけでないすごいタイトルをお持ちの方なんですね。今のキャラじゃなかなか想像つかないけれど。まあ、チャンピオンだったからこそあのキャラがウケるんかも知れないですね。
後日オカンにその話をしたら、
「あんた一日早よ生まれたら、名前を『ガッツ』にするところやったんやで」
と笑いながら答えてくれた。母も私を生む前日テレビでガッツ石松のタイトル戦を見てたそうだ。
「あ、そうか」
そういえば自分の生まれた日の新聞、日付は12日だけど記事の内容って前日の話だ。オカンが私の名前を「ガッツ」にしようか「石松」にしようか考えてたことはもはやどっちゃでも構わないんですが、正直息子の私としては
「12日」生まれでよかった
と思うばかりです。何故かって?そりゃあ、アレですよ。11日生まれだったら街はストライキで大騒ぎしてたでしょうから――。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔