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 【破壊の力】

 魔法というものに憧れを抱いた事のない者はいないであろう

 血みどろの戦いの嵐が吹き荒れる中世の欧州には、力を欲し悪魔と通じたが故に迫害された魔女が存在していた

 栄耀栄華を極めた平安の日の本の暗部では陰陽師と呼ばれる者達が人の世の羅針盤となり、

 大戦の闇に蝕まれた露西亜においては、人の脳の新たな可能性を追い求めた超心理学が盛んに研究されていた

 その存在は目には見えないものゆえに、力なき者達から荒唐無稽な迷信と一笑に付されながらも、強く人を魅了し続けてきた、人の心が持つ不思議な力。

 その歴史はまさに、人の歴史そのものであった

 そして、歴史は今も…………

 人は皆、あまりに深い、償い切れぬ罪を背負ってこの世に生まれてくる。

 誰かに対して、憤る。誰かを妬み、羨む。誰かを見下し、驕り昂る。
 食えるものがあれば際限なく喰らい尽くし、美しき者には獣の如き下心を露呈し、手に入るものは全て手に入れようと目論み、耐え難い現実に直面すれば逃げ道を探そうと躍起になる。
 人は罪とともに生まれ、生きる過程で更に罪を預かり、際限なく重ねる。そうしなければ人でいることが出来ないから。

 恐らく人の一生というものは、償い切れぬその罪を償うためだけの、永遠の苦行(ばつ)。地獄がもしもあるならば、大きすぎる罪を抱えた心を小さくやわな肉体に縛り付けた人が生きる地上そのもの。
 そして如何に大きな罪を背負い生まれた人も、罰を十分に受けて、それを終えるときは須らく重すぎる罪を振り捨てて、曇りなき清廉な心のまま逝くものなのだ……。

 少年は、そう信じていた。

 明日の降雨を告げる傘を被った朧月が躍る深夜の静寂を、バイクのエンジン音と血の臭いが引き裂いていく。
 人や車の通りも、繁華街の毒々しいネオンサインの点滅も疎らになった大都会の国道を満たす大量の排気ガスと大音量のホーンとエンジン音、そして無軌道な若者達の狂喜の声……。
 それらの響きはごくありふれた大都会の国道を濛々と殺気立ち込める無法地帯へと変えていく。
 混濁たる真白の夜霧にも似た濃密かつ冷徹なその殺気は、力無き人の体にはどんな劇物よりも強い致死性、そして即効性がある。
 うっかり触れたり臭いを嗅いだりすれば、たちどころに強力な毒はその鋭い牙を剥き、気安く触れた哀れな犠牲者の全てを食い散らかす。

 今日もまた、幾人か被害者が出たらしい……。殺気に混じって何よりもきつい、ひと舐めすれば不快な鉄の味が口腔に満ちる血の臭いが周囲に漂う。
 無論それらの主は高濃度の排気ガスと爆音をあたりに振り撒きながら、我が物顔で冷たき国道を駆けて行く、人の姿をとった狂犬達だ。
 僅かに街に残った人は須らく音と彼の者の影に怯え、命乞いの準備をせんとする…………その全てが無駄だという事は承知の上で。

 一歩間違えば直ぐにでも野戦病院に、更に下手をすれば死体捨場になりかねないピリピリした空気に満ちた国道を幅一杯に埋め尽くす勢いを持って駆けて行くのは、この辺りでも札付きとして名高い暴走族連中、名を関東弩羅厳会という。
 欲しいものがあれば奪い、気に入らないものはたちどころに殺し、まさに己の有り余る力と欲望の赴くままに騒音、恐怖、そして死を撒き散らす、その全てが非常に危険な奴等。
 構成員の数は既に二百を超え、しかもそのひとりひとりがまさに手の付けられない狂人という、正真正銘の武闘派集団。
 当然の如く、国道沿いの住民も警視庁の敏腕機動隊も皆彼等を、そして彼等の報復を恐れていた。

 彼の者達は決して存在そのものを許されてはいけない、紛れもない街の害毒。
 だが、力なき人にとって、その毒はあまりに強力すぎる。致死性の高い毒に立ち向かってそれを除去しようなどという勇気……いや蛮勇を、良識ある人はまず起こさない。それをするものはよっぽどの莫迦か極め付きの命知らずだと彼等は言う。
 君子危うきに近寄らず。障らぬ神に祟りなし。かような者は相手にせず、無関心を決め込むのが一番の対処法……
 それが現代に生きる人の常識、若しくは処世術であった。

 …………少なくとも、今宵までは。

「気に喰わねぇ……」
 冷たい国道に立ちつくした一人の少年はそう呟くと、左右両の拳を硬く握り締め、轟音の方向へその視線を定めた。
 群青に近い黒髪の両サイドに銀のメッシュを入れ、普段着として愛用しているシルバーのトップスとモスグリーンのロングパンツに身を固めた彼は……轟音を上げながら向かってくる無数の狂戦士達の四キロメートル先に立ちはだかり、先頭の一団をキッ、と見据える。
 音が近付いてくるにつれ、憎悪とも、義憤ともつかない抑えきれない胸の滾りは少年の中で、そのボルテージを上げていく。

 この場に誰か良識ある大人がいれば、“死ぬ気か、やめろ”と彼を止め、国道から引き離して説教の一つでも垂れていただろう。
 ここにいたのがこの少年ではなく他のまともな人であれば、すぐにその者に一つ頭を下げて、大急ぎで逃げ帰ったことであろう。
 しかし少年にそんな気はさらさら無い。彼には無法者の真っ只中へ飛び込んでも生還できるどころか、彼等を一人も生かす事なく斃せる自信があった。
 成長期特有の痩躯に見合わない程の強大な“破壊の力”を迸らせ、それこそ骨の一片も残す事無く対象を消し飛ばす自信が。

 国道のほぼ全てを覆う程の勢力を持った者達を見据えて、彼等一人一人がどれ程の戦力を持っているのかを、生まれ持ったその感覚だけで瞬間的に判断する。
 一団の中の一人だけを見れば、直ぐに分かることだった。

 トップスピード七〇キロ毎時。体躯は自分より一回り大きい程度。主武装、全長一メートル前後の木刀および鉄パイプ。
 その身体で本気で振るえば、人の骨の一本や二本は軽く打ち砕くだけの威力を秘める、紛れも無い人に危害を加えるための凶器(どうぐ)だ。

 とはいえ、やはりそこは近接武器。少年の持つ“破壊の力”は、それのほぼ倍以上の威力と、倍以上の間合いをカバーできる……要は、奴等の間合いの外から完膚なきまでに打ち倒せる。
 多勢に無勢、そんなことは全く無い。万に一つも負ける要素は存在しない。
 むしろそもそもの問題は、彼奴等がその凶器を、まるで携帯電話かパス・ケースを持ち歩く感覚で手にしているという事。
 そしてそれは、この場にいる僅かな無関係の、力の無い人間にのみ振るわれるという事。それが何より、少年は癪だった。

 奴等が撒き散らすのは騒音だけではない。集団というものの生み出す言い知れぬ恐怖、歯止めというものを知らぬが故の理不尽な暴力、そして、死。
 彼等に直接的、あるいは間接的に、しかし無残に殺された人間が一体何人いたかは想像に難くない。

 そんな奴等が“癇に障る”。
 少年にとって、彼奴等を潰す大義名分(りゆう)はそれだけで十分だった。更に言えば……。

「国に護られてるって幻想を抱いてる、てめぇらの全てもよ」

 そう。彼等はものの見えぬ大人の作り上げた、抜け穴だらけの少年法という悪法に護られている。