如意牛バクティ
と雪山のレイヨウのように跳ねながら駆けるカルナ、人にこのような走力が発揮できるとは驚いたものであるが、ともかく前方を走っていた仔馬を追い抜くと、
「おいらの勝ち!」
と喜んで、仔馬をつかまえて、こちょこちょとくすぐったので、仔馬は競争に破れた悔しさも忘れてしまったのか、さも嬉しそうに嫌がった。カルナは満面の笑顔で笑っていたのだが、ふいに眉をしかめて空を見上げ、次のことを考えた。
(早くダマヤンに会いたいな。チャビリージーは待ってれば必ず会えるって言うけど…)
と。カルナもダスーに教わってマナス・シッディは習得している。何度も意を飛ばしてみたが、ダマヤンのタパスを見つけることはできなかった。シッディで意を通わすには、双方にヨーガの技術が必要だから、当然のことだった。タパス祭りのときは? あるいはバクティの牛黄の力だったのかもしれない。
「カルナ!」
と女の声がして、カルナが振り向けば、チャビリーガールズのひとり、パドマーヴァティだ。
「なにけ?」
「陛下がお呼びだ。来い!」
パドマーヴァティが興奮した様子なので、カルナはいぶかしんで、
「なにかあったのけ?」
と尋ねると、パドマーヴァティ答えて言うには、
「いくさだよ、東バラタ会社の大軍が近づいてきてるんだ」
「いくさって、なにけ?」
「殺し合いだ。早く来い!」
「え、ええー!?」
カルナは驚くばかりだったが、ともかくパドマーヴァティについてチャビリーの部屋--それは彼女の執務室の奥にある、あまり広くはなくて、寝台と鏡台があるだけの、藩王の居室としては質素すぎる部屋だったが--まで行った。
パドマーヴァティとカルナがチャビリーの部屋の扉を開けると、チャビリーは長い黒髪を背中まで下ろして、絹の肌着一枚という格好で、鎖帷子のズボンを履こうとしていた。チャビリーの豊かな胸のふくらみ、腰のあでやかなくびれがあらわとなっていて、カルナがもう少し成熟していたら、心穏やかではいられなかったことだろう。しかしいまのカルナには、ただ牝虎が足を舐めているような姿にしか見えなかった。
「あ、失礼しました!」
パドマーヴァティがはっとして言うと、チャビリーはカルナを見て笑い、
「よい。カルナ、入れ」
と言って構わず鎖帷子のズボンを履いた。チャビリーは虎を見るようなカルナの眼を見て笑ったに違いない。カルナは部屋へ入ると、合掌もそこそこに、すぐさま次のことを言った。
「チャビリージー、いくさって、ほんとけ?」
「そうだ。セーラーがさっき戻ってきてな。東バラタ会社の軍勢はここから二由旬ほどにも迫っていよう。打って出てひとあたりしてみる。おまえもついて来い」
セーラーとはチャビリーガールズのひとりだ。斥候に出ていたのだろう。
「いくさって、殺し合いするって、ほんとけ? チャビリージーについていって、おいらもやるのけ?」
鎖帷子のチュニックを着ようとしていたチャビリーは、カルナを振り向くと、やれやれ、というふうに微笑して言うには、
「そうだ。セーラーが千里眼で陣容を眺めたところ、ダマヤンがいたそうだよ。私の言ったとおりだろう? あの娘を取り戻したければ、戦って奪ってみせろ」
「ほんとけ!?」
ダマヤンと聞いてカルナの内なるタパスがごうっと音を立てて燃え上がるのを、チャビリーはそっと横目で眺めていた。
「でも、なんで殺し合ったりするの?」
(なんでなんでと、この馬鹿は)
チャビリーはため息をつくと、鎖帷子のチュニックを寝台に放り投げて、カルナに近づいて、かたわらの椅子に、背もたれを前にして、足を開いて腰掛けた。腰を据えて説得するつもりらしい。
「古来から言うところでは、互いの正義のためだな」
「正義って、なにけ?」
「正しいこと、だ」
「なんじゃそれ?」
「東バラタ会社にとっては、我がカリンガが従わぬのは、反乱であって正しくない。我がカリンガにとっては、奴らが我らを従わせることは正しくない。どちらかが死なぬかぎり、正しさを通せぬというわけだ。我らは戦い、殺し、我らの正義を通すほかはない」
チャビリーは相続権のことなどははしょって、単純化して説明してみせた。賢明なことだ。カルナにバラタスタンの政治情勢を理解させるのは難しいだろう。
「でもさ」カルナは首をかしげながら言った。腑に落ちぬと言いたげであった。「それって、うまくいくのけ?」
「どういう意味だ?」
チャビリーが眉をしかめると、カルナは必死に論理的な思考をしているようで、彼もまた眉をしかめながら言うには、
「仲間を殺されたら、怒っちゃうでしょ? 憎まれちゃうよ。一回勝っても、怒ってるからまた攻めてくるよ。おいらたちだって、仲間を殺されちゃって、ほんでおいらたちも怒って、もっと殺し合って、どっちかが全員死ぬまで終わらないんじゃないの? んでこれって、両方とも、いつかほとんどみんな死んじゃうんじゃないの? 意味なくない?」
ぷっとチャビリーは思わず吹き出してしまった。カルナの言ったことが起こるなら、滑稽でしかないと思えたので。そして自分がまさにそれをしようとしていたことに気づいたので。
(意味がない…か。なるほどな)
チャビリー歎じて言うには、
「ではどうすればよい」
「だからさ、もう攻めてこようなんて考えなくなるようにすればいいんだよ」
カルナは答えを見つけたのか、ぱっと顔を明るく微笑ませた。チャビリーはまじかにその朝日のような光を眺めていた。
「殺したりしないで、おいらたちの強さを見せてやればいいんだよ、おいらたちの、タパスの強さをね! そうすれば、この自然の中で、おいらたちが正しいんだって、わかってもらえるよ、きっと! もしかしたらあっちにものすごくタパスの強いやつがいて、負けちゃうかもしれないけど、そんならおいらたちが間違ってたってことじゃない?」
チャビリーはおかしくてしかたがなくなり、くすくすと笑った。
(正義は勝つ、か。それはいい)
チャビリーはカルナのこの幼稚な、しかし驚くべき戦略を気に入った。しばらく顎をなでて思案すると、控えてふたりの話を聞いていたパドマーヴァティに、
「演習用のコルクの弾丸があったな。奇襲隊に行き渡らせろ。弾丸の配備が終わり次第、出陣だ」
と言ってから、思い出したように、
「カルナの腰巻を持ってこさせい。セーラーならわかるはずだ」
と付け足した。パドマーヴァティが合掌して去ると、チャビリーは寝台から鎖帷子のチュニックをとって、あらためて着始めた。
「腰巻って?」
カルナが尋ねた。腰巻なら、カリンガへ着いてすぐ、アグニ・シッディの炎のために裸形だった自分に、パドマーヴァティがくれたものを今も巻いている。不思議そうなカルナに、チャビリーは微笑みかけた。
「あの娘のためとはいえ、おまえが我がカリンガとともに戦ってくれるのなら、私も王として、おまえになにかせねばな。用意しておいたのだ。なに、つまらぬ贈り物だ」
「くれるのけ? 腰巻を?」
「ああ」
「でもおいらこれでいいよ?」
カルナは股間を指差して示す。
「特別製、だ」
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu