如意牛バクティ
如意牛バクティ 第一回 タタガット・ダスー嘆息するのこと
自然よ! 英知を歌え。我らをおんみのうちに抱き、翼ある言葉を聞かせてくだされ。
昔、バラタスタンと呼ばれた国があった。北部は天を突くような高さの山岳地で、万年雪と氷河に覆われていた。南部は灼熱の太陽が照らす酷暑の地で、虎と大蛇が跋扈する密林を、雪山に発した河が流れていた。南部の土は肥沃で、植物の成長には限りがなかった。そこで多くの人々はこの南部--バラタスタン平原と呼ばれた--で農夫の喜びを生き甲斐に暮らしていた。
ちょうどアルビオン王国の一海運会社である東バラタ会社が、この国の支配をほぼ完了したころのこと、次のようなことがあった--バラタスタンからほとんど地球の反対側の母国からはじめ船底に貝粒をびっしり貼りつけた帆船で助けを求めるようにやってきた彼らが、この国の支配王朝であったバルラスウルスを次第に傀儡化しついに蒸気船にこの国の富の一切を満載して持ち去るにいたる驚くべき歴史については、あまりにも長い物語なのでここでは語れない。
天に届こうというような高い雪山の中腹に、カルナという男の子がいた。親も兄弟もなかった。そもそも、彼が住んでいる洞穴の外、見渡す限り--それは雪山の峰々が地平線まで続いている景色だが--どこにも人間が存在しなかった。カルナの住居、洞穴の中にただひとり、カルナの知るおのれ以外の人間がいた。
「ダスージー」
カルナはその人を呼んだ。"ジー"は敬称だから、この人の名はダスーである。ダスーは蓮華座を組んで眼を閉じていた。蓮華座とは、腕を背中で交叉し、足はあぐらに組んで、手で足の指を掴む姿勢である。つまり人間にとって最も窮屈な、四肢を完全に動かすことができない形だ。身体を動かさぬことの効果なら、精神の集中に違いない。
「水をくんできたよ」
カルナは言って水を満たした素焼きの壷を示した。この洞穴のほど近くに、巨大な氷の穴からどうどうと水が噴き出している場所がある。カルナはそこから帰ってきたのだ。もっとも、この氷の穴から飛び出すように流れる水が、バラタスタン平原を動植物の楽園ならしむ大河ガンゴ河の源とは、カルナは知らないのだが。
ダスーは眼を開いた。
「わかっとるわい。口の多いやつじゃ」
ダスーは蓮華座を解いて、カルナから壷を受け取ると、かまどの火にくべた。
「言葉を使わないと、忘れちゃうんだもん」
カルナはダスーの眼を見て言った。自分に非はないと主張したげであった。
(やはりな)
ダスーは思った。
(言葉を教えたら、自我を通すようになりおった)
ダスーはため息をつく。
(潮時かのう)
ダスーはカルナとの別れの時期が来たことを知った。
中絶の方法どころか概念自体がなかったころのことだから、不義の姦通が宗教上決して許容されないバラタスタンでなくとも、望まれない子供が森や山に捨てられるのは普通のことだったし、捨てた子供は自然という神に帰ったのだと母親が納得するのも、バラタスタンに限ったことではない。しかしダスーのような人間が雪山にひとり住んでいてその捨て子を拾い育てるようなことは、やはりこの国でしかなかったことに違いない。
ダスーがカルナを拾い上げてから、十二年が経っていた。
如意牛バクティ 第ニ回 カルナ、タタガット・ダスーに願いを告げるのこと
晴天であった。高所特有の深い青空が広がっている。陽光が残雪に反射し、高山の小さな花々--春の初めのことだ--を際立たせる。にび色のウサギたち--新芽を探すのに忙しい--、小鳥たち---花の蜜に高揚している--もいる。遠く崖の上には、大きなレイヨウの群れもいた。
カルナとダスーがくだんの水が流れ出す氷穴の前にいた。ふたりとも常と同じく裸形で、青黒い肌を陽光に当てていた。
「やっ」
と声を上げてカルナが水流に飛び込んだ。ここはガンゴ河の水源である。亜大陸を横断する大河の水源というのは、小川ではありえない。その出発点からすでに猛烈な水流をもって発する。カルナはたちまち水中に飲み込まれ、回転し、押し流されていく。
「タパス!」
ダスーが叫んだ。特異な発声であった。言葉よりも鳥のそれのようだったから、あたりにいた鳥たちがダスーを--あるものは水中のカルナを--かえりみた。タパスとは生命力というほどの意味である。
水中のカルナにもこの声が聞こえた。水中で猛烈に回転しながら、四肢を折りたたみ、背を丸めて身体を球体となすと、
(バクティ!)
と念じて一気に全身を大の字に解き放った。そのときカルナは、この深い青空から現れて、この残雪と花々の野に降り立つ、まつ毛きらめく一頭の牛を思い描いていた。
どっと水しぶきが上がった。カルナは手足を広げて河床に立っていた。カルナの周囲円形に水がない。驚いたことである。カルナは自分の周囲の水を吹き飛ばしたのだ。しかしそれはひと刹那のことだった。
「わっ」
とカルナが叫んだとき、カルナは再び水流に包まれ押し流されていた。
このさまにダスーは大いに笑った。ほうほうのていで水から上がったカルナを指差して、子供のように笑っていた。敬虔なバラタびとたちにバラタの英知を一身に集めるといわれる聖仙タタガット・ダスージーのこのようなありのままの姿を、バラタびとたちは一切知り得ない。
「弱いのうカルナ。おぬしの力はそんなものか。おぬしにとってこの自然とは、その身体とは、そんなものか」
ダスーは言ってやった。
「こんなもんじゃないやい!」カルナは反発してみせた。「修行が、足りないだけだい!」
「ほっほ、口ばかり達者になりおるの」
「ダスージーだって、バクティを呼べないじゃないか」
カルナはダスーの眼を真っ直ぐに見て言った。
「これ、師に向かってなんちゅう言い草じゃ」
「あ、ごめんなさい」
たしなめられてすぐあやまった。特異な境遇に育ったカルナもこういうところは普通の素直な子供であった。
(ふん、如意牛の話など、聞かせるんではなかったわい)
ダスーは苦々しく思った。老齢を数えてなお修行を完成できないおのれに対して、そしてカルナが如意牛--その名もバクティ--に固執するようになってしまったことに対してであった。
「カルナや」
ダスーはカルナに呼びかけた。それはカルナに慈愛を伝えた。だからカルナはダスーの座っている膝元にすりよってきた。
「うん?」
ダスーを見上げてその眼を見る。
「おぬし、バクティに会いたいのか」
「会いたい!」
「会ってなんとする」
「バクティは、どんな願いもかなえてくれるんだろ? だから、おいらの願いをかなえてもらう」
「おぬしの願いとはなんじゃ」
「えっとね、なんでもかんでも、ぜーんぶできるようにしてもらうんだ。このおいらがね!」
「ほっ、そりゃおぬし自身がバクティになるようなもんじゃな。で、なんでもかんでもできるようになったら、おぬしはなにをするんじゃ?」
自然よ! 英知を歌え。我らをおんみのうちに抱き、翼ある言葉を聞かせてくだされ。
昔、バラタスタンと呼ばれた国があった。北部は天を突くような高さの山岳地で、万年雪と氷河に覆われていた。南部は灼熱の太陽が照らす酷暑の地で、虎と大蛇が跋扈する密林を、雪山に発した河が流れていた。南部の土は肥沃で、植物の成長には限りがなかった。そこで多くの人々はこの南部--バラタスタン平原と呼ばれた--で農夫の喜びを生き甲斐に暮らしていた。
ちょうどアルビオン王国の一海運会社である東バラタ会社が、この国の支配をほぼ完了したころのこと、次のようなことがあった--バラタスタンからほとんど地球の反対側の母国からはじめ船底に貝粒をびっしり貼りつけた帆船で助けを求めるようにやってきた彼らが、この国の支配王朝であったバルラスウルスを次第に傀儡化しついに蒸気船にこの国の富の一切を満載して持ち去るにいたる驚くべき歴史については、あまりにも長い物語なのでここでは語れない。
天に届こうというような高い雪山の中腹に、カルナという男の子がいた。親も兄弟もなかった。そもそも、彼が住んでいる洞穴の外、見渡す限り--それは雪山の峰々が地平線まで続いている景色だが--どこにも人間が存在しなかった。カルナの住居、洞穴の中にただひとり、カルナの知るおのれ以外の人間がいた。
「ダスージー」
カルナはその人を呼んだ。"ジー"は敬称だから、この人の名はダスーである。ダスーは蓮華座を組んで眼を閉じていた。蓮華座とは、腕を背中で交叉し、足はあぐらに組んで、手で足の指を掴む姿勢である。つまり人間にとって最も窮屈な、四肢を完全に動かすことができない形だ。身体を動かさぬことの効果なら、精神の集中に違いない。
「水をくんできたよ」
カルナは言って水を満たした素焼きの壷を示した。この洞穴のほど近くに、巨大な氷の穴からどうどうと水が噴き出している場所がある。カルナはそこから帰ってきたのだ。もっとも、この氷の穴から飛び出すように流れる水が、バラタスタン平原を動植物の楽園ならしむ大河ガンゴ河の源とは、カルナは知らないのだが。
ダスーは眼を開いた。
「わかっとるわい。口の多いやつじゃ」
ダスーは蓮華座を解いて、カルナから壷を受け取ると、かまどの火にくべた。
「言葉を使わないと、忘れちゃうんだもん」
カルナはダスーの眼を見て言った。自分に非はないと主張したげであった。
(やはりな)
ダスーは思った。
(言葉を教えたら、自我を通すようになりおった)
ダスーはため息をつく。
(潮時かのう)
ダスーはカルナとの別れの時期が来たことを知った。
中絶の方法どころか概念自体がなかったころのことだから、不義の姦通が宗教上決して許容されないバラタスタンでなくとも、望まれない子供が森や山に捨てられるのは普通のことだったし、捨てた子供は自然という神に帰ったのだと母親が納得するのも、バラタスタンに限ったことではない。しかしダスーのような人間が雪山にひとり住んでいてその捨て子を拾い育てるようなことは、やはりこの国でしかなかったことに違いない。
ダスーがカルナを拾い上げてから、十二年が経っていた。
如意牛バクティ 第ニ回 カルナ、タタガット・ダスーに願いを告げるのこと
晴天であった。高所特有の深い青空が広がっている。陽光が残雪に反射し、高山の小さな花々--春の初めのことだ--を際立たせる。にび色のウサギたち--新芽を探すのに忙しい--、小鳥たち---花の蜜に高揚している--もいる。遠く崖の上には、大きなレイヨウの群れもいた。
カルナとダスーがくだんの水が流れ出す氷穴の前にいた。ふたりとも常と同じく裸形で、青黒い肌を陽光に当てていた。
「やっ」
と声を上げてカルナが水流に飛び込んだ。ここはガンゴ河の水源である。亜大陸を横断する大河の水源というのは、小川ではありえない。その出発点からすでに猛烈な水流をもって発する。カルナはたちまち水中に飲み込まれ、回転し、押し流されていく。
「タパス!」
ダスーが叫んだ。特異な発声であった。言葉よりも鳥のそれのようだったから、あたりにいた鳥たちがダスーを--あるものは水中のカルナを--かえりみた。タパスとは生命力というほどの意味である。
水中のカルナにもこの声が聞こえた。水中で猛烈に回転しながら、四肢を折りたたみ、背を丸めて身体を球体となすと、
(バクティ!)
と念じて一気に全身を大の字に解き放った。そのときカルナは、この深い青空から現れて、この残雪と花々の野に降り立つ、まつ毛きらめく一頭の牛を思い描いていた。
どっと水しぶきが上がった。カルナは手足を広げて河床に立っていた。カルナの周囲円形に水がない。驚いたことである。カルナは自分の周囲の水を吹き飛ばしたのだ。しかしそれはひと刹那のことだった。
「わっ」
とカルナが叫んだとき、カルナは再び水流に包まれ押し流されていた。
このさまにダスーは大いに笑った。ほうほうのていで水から上がったカルナを指差して、子供のように笑っていた。敬虔なバラタびとたちにバラタの英知を一身に集めるといわれる聖仙タタガット・ダスージーのこのようなありのままの姿を、バラタびとたちは一切知り得ない。
「弱いのうカルナ。おぬしの力はそんなものか。おぬしにとってこの自然とは、その身体とは、そんなものか」
ダスーは言ってやった。
「こんなもんじゃないやい!」カルナは反発してみせた。「修行が、足りないだけだい!」
「ほっほ、口ばかり達者になりおるの」
「ダスージーだって、バクティを呼べないじゃないか」
カルナはダスーの眼を真っ直ぐに見て言った。
「これ、師に向かってなんちゅう言い草じゃ」
「あ、ごめんなさい」
たしなめられてすぐあやまった。特異な境遇に育ったカルナもこういうところは普通の素直な子供であった。
(ふん、如意牛の話など、聞かせるんではなかったわい)
ダスーは苦々しく思った。老齢を数えてなお修行を完成できないおのれに対して、そしてカルナが如意牛--その名もバクティ--に固執するようになってしまったことに対してであった。
「カルナや」
ダスーはカルナに呼びかけた。それはカルナに慈愛を伝えた。だからカルナはダスーの座っている膝元にすりよってきた。
「うん?」
ダスーを見上げてその眼を見る。
「おぬし、バクティに会いたいのか」
「会いたい!」
「会ってなんとする」
「バクティは、どんな願いもかなえてくれるんだろ? だから、おいらの願いをかなえてもらう」
「おぬしの願いとはなんじゃ」
「えっとね、なんでもかんでも、ぜーんぶできるようにしてもらうんだ。このおいらがね!」
「ほっ、そりゃおぬし自身がバクティになるようなもんじゃな。で、なんでもかんでもできるようになったら、おぬしはなにをするんじゃ?」
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu