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みやこたまち
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アバンチュール×フリーマーケット ~帰省からの変奏

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 自動改札になって駅は味気なくなった。敷かれた布団を横目で見ながら、男は窓際の板張りの部分にしつらえられた小さな冷蔵庫からビールをとりだして、籐椅子にすわった。なぜ、旅館にはこういう板の間のスペースが必ずあり、冷蔵庫と、簡易的な洗面台がおいてあるんだろう。なぜ籐の三点セットが置いてあって、いつもそのテーブルの天板はガラス製なのだろう。そして、この灰皿は一体何焼きなのだろう。様々なことを男は考えていた。だが、そのどれもが、全く目新しさの無い、こうした部屋に泊まると自動的に想起され、自動的に捨てられる類の考えばかりだった。自動改札になったから家出がしにくくなった。だいたい裏が茶色や黒の切符ではなんというか情緒にかける。やはり厚い紙の切符が良かった。それを、駅員に渡して、カチリという、ああ、あの鋏の音がなくなったのが一番良くない。そうに違いない。カチカチカチカチと独特のリズムを刻むあの駅員の鋏さばき。あれは駅に入るときの最大のイベントではなかったのか。人間がカチカチとするあの改札口通過するとき、それが勝負の時だったのだ。決意の瞬間だったのだ。自動改札は、あの駅員の鋏さばきに比べて、なんとだらしないことか。なんと下品なことか。眼鏡をなくした近眼男が、舐めるようにしてキップを読み取っているようじゃないか。人間のカチカチは、長年の経験が無駄の無い型へと昇華した美しい達成だったのだ。今はもう失わてしまった駅の改札口での美。なんと残念なことだろう。くだらない。ここまでで煙草を二本と、ビールの中瓶を消費していた。いい加減、無理やりくだらないことを考え続けるのはよそう、と男は思った。しかし、夜はまだ長い。

 私は、部屋に戻るのが嫌なのだ。いい加減のぼせてきた。もはや、早朝の電車の中で感じたアバンチュール(!)の酔いはさめていた。あのとき私はのぼせあがっていたのに違いない。満員電車の人いきれ、結婚生活に対する幻滅。変わらない日常ってやつに、うんざりしていたの。そう。うんざり。私はとても、飽きっぽい性質で、何をやっても長続きしなかった。かめばかむほど味が出るって、それは自分の体液とかんでいるものとの混合比の変化による味の変化でしかなく、ゆくゆくは、自分の唾液の味になってしまうだけのもの。無くなるまで噛んでる人の気が知れない。だいたい、私は貯金通帳も印鑑もカード類も、家に置きっぱなしだったのだ。旅立つこと。それはよい。二重丸だ。今時「蒸発」だって悪くは無いし、日本海の見える寂れた漁村で第二の人生ってのも、ぐっと来るかもだけど、先立つものがなけりゃ、身動き取れない。売れるものを売りながら、点々と渡り歩くのもハードで悪くないけど、制服とか、若さといったストレートな売れ筋のことごとくを失っている身では、せめて団地妻くらいの隠微さが必須なのではないかしら。そういう感覚って、男性と女性とではずれているものなのだろうけれども、エロかわいい、っていう女の子の評価基準を、私はもはや、共有出来ない以上、私は私の信じる評価基準を、世間様の基準に向けて照準を合わせるという過酷な過程を踏まねばならないに違いないのです。それが、試練であり修行なのであります。いよいよ、ぼーっとしてきたし気持ちも悪くなってきたので、風呂から上がります。あいかわらず虫の声と川のせせらぎ。そして時折チラチラとはじけるどこかからの白熱灯の小さな点。湯船から上がると風は案外心地良かった。あの男は一体いくら持っているのだろう。そんなことを考える自分が、つまらないような、それでいて、くすぐったいような、気分になる。一歩目は踏み出せた。あとは歩き続けること。それはずっと簡単なことに違いが無い。

 冷静に向かい合うことになるのが耐えられなかったから、男は浴衣姿のままで、旅館を出た。だが間の悪いことに、途中で温泉から上がった女に出会ってしまった。「やあ」「あ、どうも」「こんな時間に散歩ですか」「なぁに。ちょっと気になる鳥の声が聞こえたもので。先に部屋に戻っていて下さい。そして、窓に小石のぶつかる音がしたら、そっと窓を開いて、結わえたシーツを窓の下にたらしてはくれまいか」「私の髪をたらしてあげる」男と女の立ち話は、こんな調子で交わされた。お互いに、なんとなく、一緒には、いたくない、という心持は一致しているということが、分かっている。「なんというか、今日はすまなかったね」「別に、いいの。それより、今日は疲れたので、細かいことは明日の朝にしない」「目をつぶって明日を待つか」「そう」
 二人はトボトボと部屋に戻り、布団にもぐりこんで抱き合って眠る。いや、眠ったという実感のないまま、山鳩の声が響き渡る、朝もやに包まれる。