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みやこたまち
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アバンチュール×フリーマーケット ~帰省からの変奏

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4.バスを待つ二人



 (女)家出をしたの、自然体で。でもまだ、ただのずる休み、それだけですむ時間帯。だから、覚悟のない私の、家出はまだ、始まってない。ちょっとした小旅行(バカンス)気分。ターミナルで観光列車を降りて。当然、一番端っこのプラッツへ。そして、ここ。私鉄沿線のどん詰まり。無計画が計画だなんて、はしゃいでいたあの頃が夢のよう。こんな偶然の出会いに、何か運命を感じてもいい、って思っていたの。運命は、計画的じゃ退屈だけど、サプライズの無い無計画って、結局、惰性ね、倦怠ね。隣の男、なんだかぼんやりと、駅前ロータリーで、錆びたバスの時間表を確認してる。時計もないくせに。駅舎の大時計にも針は無くて。待ってさえいれば、バスは来るかもしれないけれど、多分、終点まで行くんだけれど。ううん、惰性でもいいの、問題は、そのドンつまりのどん詰まりまで行き着いた後の、モ・ノ・ガ・タ・リ。

 (男)思えば闘いを、避け続けてきたところに、自分の生きてきた、道が刻まれていた。岐路に立たされたならば、戦ったぁり、試されたぁりしない方向を、ただがむしゃらに、選んで駆け抜けたー。その選択肢は、もはや狭く暗くなりつつある、ことは、実感していたさbaby。闘争=(イコォール)逃走。なんて思想が、流行ったりもしたよ、馬鹿みたいに、それが最先端だぁなぁん、闘争し続ける事と、逃走し続ける事ぉをーーー、両立させることができる人はぁ、強い人だけだったんだぁーーーーーーーーよーーーーー。敵前逃亡の繰り返しは、追い込まれていくという事、だったんだぁーーーーーーよぉーおーーーーー。今、鉄路に突き当たり、今度はとうとうバスへ乗る。その行き先はぁぁぁぁ、………死(デス)

(二人で) 一体どこまで行けるか分からない。意外と、あっけない、終わりがくるのかも。自分の将来の姿を、街中に見かけてしまって、「絶対にあんな風にはならねぇ」と腹を立ててたりするね。もしもこのずっと先に、「案外あのとき見たままだったな」なんて、「いや、むしろあの子の方が、いいのつかまえてたんだな」なんて、考えている、ゆとりがある程度の、素敵な、素敵な絶望具合。「生活力ってさぁ」みたいな、悩みを抱えて生きている今、学生の頃の、反抗や、プライドなんてなんにもならなかったよ、と、寂しく、笑う、ぐらいの。プライドすら、捨てて、しまえばいいわけじゃん。という自分、の目は、もはや犯罪者の瞳ィ

 で、いくら持っている? という現実的な質問が妙に空々しかったりする。

 「逃避行」と書いて「アバンチュール」と読ませようという前近代的魂胆の私達にとっては、所持金数百円イコール樹海へゴー!っていうレールが敷設されているって感じがしない?
 月並みだね。現実逃避が、田舎行きと同じ意味を持っていた時代は、やはり1960年代までのことだったんじゃないかと思われます。
 人里離れた隠れ里は、よそ者には冷たいよ。観光客ならまだしも、そこに骨をうずめようって人間にとってはね。
 いいとこ、「田舎ダイスキ」とか「第二の人生」とかいっちゃって、第一次産業従事者を増やそうって魂胆みえみえなこの国にとっては、そういう人種が増えることは望ましいってわけでしょ。
 リストラ、リタイア、エスケープ、エコロジー、合言葉は、癒しだし。本気で自給自足の生活に従事してみろっての。
 そこでの自己実現って、結局、自己の卑小化によって達成された自己満足でしかない……
 はい。意義あり。
 どうぞ。
 自己満足、利己的、利己主義、独善、そういった言葉は禁句にしたほうが、おもしろい話ができると思います。
 なるほど、なるほど。では、そのように……

 「現に」とバスを待つ男。傍らの女の顔を盗み見しながら思う。去っていった女を復活させる方法。思い出の罠をかける、思い出の世界に迷い込んだ女、存在のタイムラグ、幻想なかの幻影、幻影の中での実在、主体の喪失と喪失を現象たらしめるための主体の在処、自分も幻影となって女を手に入れる、うろつきまわる男、どこを見ている?「物語」だよ、そうつぶやく、女には届かない声で。
 死んだ人間の物語を語ること。死とは、繰り返し繰り返される繰り返しの物語。同じ物語の中に閉じ込められた人間。やがて語られる事がなくなり、そんな物語があったこそさえも忘れられた時こそ、物語は再生する。物語の再生とは死の繰り返しである。人間の物語は生の物語ではなく、死に方の物語なのだから。
『ふりむくな。ふりむくな。うしろには、みちがない』女の持っている文庫本の帯にはそう書かれている。

『未練の触手』と書かれた紙束がかばんの中から覗いている。「小説なんて書いているんですか?」と女が尋ねる。男は、「意外」という顔をして「書きたいと思ったことはありませんよ」と答える。「でも、このバス停には本当にバスが来るのかしら?」と女が尋ねる。「でも、書かずにはいられないって、気分になることがあってね」と男は言う。「あ、時計止まってる。今、何時かしら?」と女が尋ねる。「もう昼頃だろ」男が、錆びて穴のあいてしまったバスの時刻表を指でつつくと、それはボロボロと崩れ落ちる。「あ、バスが来た」立て続けに三台のボンネットバスが到着し、目の前に止まった真ん中のバスへ乗り込む。ほぼ、満員である。