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消えゆく

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 少しずつ離れていくそこに、淡く光るものが現れる。
「おま……!?」
 それは彼の存在そのものだ。魂と呼ばれるそれを手に、神は笑う。
「私の半分を置いて行こう。キミの中に私を混ぜて、呪いをかける」
「……」
「私の意志を裏切れば、私の半分はキミを喰らい尽くすだろう。そして私は、輪廻に引きずられているキミの半分をもらっていく」
 ふわりとその白い手が魔王に触れる。
 引きずり出された黒は既に形を失いかけていて、何かに引かれるようにして揺れていた。
「引きずられている半分はもう戻らないから、私がもらいうけよう。その半分を私が埋める。生きる力はそこから取ればいい」
 そこに存在するための力と、闘うための力は別のものだ。
 生きるための力は魂に宿り、戦うための力は羽に宿る。
 だがそのふたつはイコールで結ばれ、どちらかがなくなれば、もう片方も同じく失われる。
 消えようとする魂は輪廻の輪に引きずられ、そうなった部分は既に手遅れ。
 切り離すことはできるが、その半分は消えたまま、その力を補うのは羽の力だ。
 だがそれでも埋める事はできない。その穴を埋める事ができるのは、魂だけ。
「あんたは、どうなる」
「……私? 私は―――そうだね、力を残されたら消える事は叶わないから、多分人の世に堕ちるだろうね」
「人になるのか」
「それはないよ。輪廻に溶け込む訳ではないから、堕ちるだけだ」
「俺の、半分は」
「……キミの半分は輪廻に溶けてまた生まれるだろう。そうして生まれたものは、きっとキミだけれどキミじゃない」
「そうか」
 魂の半分はもう助からない。
 輪廻に溶け込み、新しい存在となってまた生まれ出る。
 そうなったものはもう別のもの。
 彼の願いを聞けば、その力を喰らって残った自分は生きながらえる。
 そうしてその約束を果たし、その先は―――わからない。
 輪廻に溶け込む事のできなかった白い神は人の世に堕ちて、その後はどうなるか知らない。
 だが彼はそれを望んでいる。でもどうして。
「……なあ、なんであんたは、力を使えなくなったんだ?」
 それが不思議でしょうがない。
 ただの器に成り下がった。それはわかった。だがその原因は何だ。
 問い掛ければ、彼は笑う。鮮やかに。
「私はもう平等ではいられなくなってしまったから。そんな神は、もう必要ないだろう? 私がそう思ってしまったから、私はもう私の力を扱う事はできないんだよ」
「……なんだそれ。理解できねぇ」
「こちらの者たちはそうかもしれないな。でも私は平等でなくてはならなかったんだよ。それができない者は、居てはいけない」
「よくわからない理屈だな。まあ、あっちの常識なんて知りたくもないしどうでもいいけど」
「キミのそういう所、すごく好きだよ。私はとても」
「あ? 最後までそう言うこと言うか。……まあいいや、かなえてやるよ。早く喰わせろ」
 長い髪をひっぱって引き寄せる。
 抵抗もせずに近づいたその体の首筋に唇を寄せて、代わりにその手にある黒い塊を手渡した。
 自分の根源であるそれをあっさりと手放した事に神はほんの少しだけ笑う。
「キミは自己犠牲が過ぎる。そう言う所は直しなさい?」
「……さてね」
 未来がどうなるかなんて知った事かと笑い返してやると、ではもうひとつ追加だと、白い彼は笑った。
「私からの呪いをもうひとつ。過ぎた自己犠牲は誰のためにもならない。キミの枷になろうか」
「……そりゃどうも」
 喰うぞ、と宣言すればどうぞと返される。
 彼の手の中にあるふたつの塊が半分になって、そのうちの半分はひとつに溶けて黒い魔王の中へと戻っていく。
 白い半分は彼の中へと戻って行き、残りの黒は彼の手の中で残ったまま揺らいでいる。
「私から総ての皆に最後の祝福を。」
 ばさ、と音を立てたのは十六の白い翼。
 広がったそれは淡く輝いて溶け、彼の全身にまとわりついて、首に寄せた魔王の唇へと向かう。
「―――そしてキミには、私から最初で最後の呪いを。」
 一生消える事のない、祝福の呪いを。
 耳元で囁かれた声と同時、力の流れ込む感覚を感じて黒い魔王は目を閉じる。
 流れ込むそれは激流のように荒く、そして暖かい。
 無理やり入り込むのではなく、包み込むようにして染み渡る。
 今にも崩れ落ちそうだった最後の羽が力を取り戻し、それから消えていた翼が、再び彼の背に戻ってくる。
 黒い羽はひとつだけ。新しく現れたそれは純白で、黒い魔王の髪も染めていく。
 半分は白で、半分は黒。
「ああ、とてもキレイだね」
 新しく作り変えられていくその体を見ながら、白い神はそんな感想を漏らして温かく満足したように笑う。
 そしてその体が、次第に薄れ消えていくのを、魔王は止める事なくただ見守った。
「綺麗な十六翼だ。私よりずっと」
「……なんか気持ち悪ぃ」
 白くなっていく自分が目の前の彼の瞳に映っていた。
 色が白くなったとしても自分は魔王で、力を失ったとしても、彼は神だ。それは変わらない。
「……最後にひとついいか」
「どうぞ?」
 消えゆく神に、魔王は問い掛ける。
 多分これが最後だろう。もう彼の体は殆ど見えなくなってしまったから。
「なんで平等じゃいられなくなったんだ?」
 元々考え方が全く別のものであるから、考えたところで無駄だと思った。
 確かに以前の彼は何に対しても平等だった。何に対しても、残酷なほどに。それがどうして。
「答えはもうわかるはずだけれどね。……ひとつヒントをあげるとしたら、ひとつだけ譲れないものができてしまった。そう言う事だよ」
 小さな子供のようにあどけなく笑って、彼はその手の中にある黒を、大切そうに抱えた。
 もうわかるとはどういう意味だろうか。
 それを問うほどの時間はもう残されておらず、力のなくなった彼の姿は、掻き消えていく。
「頼みましたよ」
「ああ」
「……私の事を忘れないでいてくれると嬉しいかな」
 魔王が頷いたあと、そんな言葉を残して彼は消えていく。
 ここに存在するためには力が必要で、その彼の力を奪ってしまったのだから消えるのは当然の事だった。
 だが何故かそれが悔しくて、魔王は地面に膝をついて自分の体を、変わった自分を抱きしめるように腕を回した。
 そして唐突に、わかるはずだけれど、という言葉の意味を知る。
 自分を変化させたのは誰だ。そして、その中にあるものはなんだ。
「……あのヤロウ。だから俺かよ、ふざけんな」
 両手で顔を覆って、空を見上げた。
 黒と白の羽が風になびく。






 自分を大切にしなさい、と奥底から声が聞こえるようだ。
 彼がかけていった呪いの言葉は、多分これからずっと、魔王を縛って逃がさない。
 言葉にもしないまま、結局彼は逃げ出したのだと知ってももう遅かった。
「畜生、今度逢ったら全部喰ってやる」
 それがきっと、彼の呪いに対する魔王の答えだ。



 大切にしなさい、と声がする。
 消えた白の、音がする。
 キミが消えてしまうのだけは嫌だったと、声がした。
作品名:消えゆく 作家名:かおる