小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

愛を抱いて 30

INDEX|1ページ/3ページ|

次のページ
 

60. 東京タワー


 千絵や美穂達と喫茶店を出ると、外はもう暗くなっていた。
市ヶ谷駅の前は、人波で慌ただしかった。
横断歩道の先で彼女達と別れ、私は電話ボックスに入った。
ダイヤルを押して、時計を視ると、7時を少し廻っていた。
「もしもし…。」
世樹子の声がした。
「あ、俺…。」
香織はバイトに行っているはずだった。
「あのさ、西沢が今、パブでバイトしてて、安くなるから呑みに来いって云うんだけど…、明日、一緒に行ってみない?」
「あの…、明日は駄目なの…。」
「そう。
じゃ、仕方ないや。
また、今度にしよう。」
私は別にがっかりはしなかったが、少し厭な気がした。
「それじゃあ、まあ、あさって…。」
「ああ…、鉄兵君、あさっての事…。
もう誰か誘っちゃった…?」
「柳沢に云ったけど、用事があって行けないって云ってた。
残念そう…。」
「私、行けなくなっちゃったのよ…。
東京タワー…。」
「え…?」
悪い予感が全身を襲った。
「どうして…?」
恐怖を感じながら、私は訊いた。
「あの…。」
世樹子は口籠った。
外の騒音で聴き取り難かったが、今夜の彼女の声色は最初から少し普段と違っていた様に思えて来た。
世樹子は理由を云わなかった。
明日の事で先程厭な気がしたのも、そのためだった。
私の頭脳は急に速度を上げて回転し始めた。
しかし、考えるという事はできなかった。
世樹子は黙っていた。
「何か変だぜ。
どうしたんだい…?」
「御免なさい…、私、行けないのよ。」
私は、彼女がもう逢うまいとしている、という恐怖に駆られていた。
ただ、そんなはずはない、という希望の糸口を必死に探していた。
「御免なさい…。」
世樹子は繰り返した。
外の騒音が次第に聴こえなくなり、心の中が透明になって行くのが解った。
「君が行けない事は解ったけど、それであさってはどうなるんだい? 
ヒロ子やノブには、中止って云ったの?」
私は東京タワーへ行こうとしていた。
恐怖を和らげようとしていた。
惨めになる事を拒絶していた。
フー子の名を出さなかったのは、そのためだった。
フー子は既に彼女が行かない事を知っていそうだった。
まだ知らない可能性の一番高いのはノブだった。
私は本能的にそうしていた。
「ノブちゃんには、まだ云ってないの…。
明日中には逢って…。」
「じゃ、ノブちゃんに俺と2人で行こうって、云ってみてよ。」
世樹子はノブと、ヒロ子やフー子程親しいわけではなかった。
「え…?」
「俺はどうしても、タワーに行きたいんだよ。
だから、君等は行けなくなったんだから、俺と2人っきりでも良かったら一緒に行こうって、ノブに云っといてくれ…。」
「ええ、解ったわ…。
そう云っとく。
でも…。」
「俺は1人でも行くぜ、東京タワーへ…。」

 私は電話ボックスを出た。
(彼女を失くしてしまう…。)
透明な心の中に、うっすらとそのフレーズが浮かんでいた。
電話ボックスの中で全身を襲った衝撃が、やがて少しずつ哀しみに変わろうとしていた。
その哀しみに耐え切れない事を怖れて、私の一部は彼女を諦めようとしていた。
全てが哀しみに変わった時、自身の破滅を防ぐために、今の内に覚悟を決めておこうとしていた。
予測を最悪の方向へ、向けておこうとしていた。
しかし、どうしても、「そんなはずはない。」という声なき叫びが消えなかった。

 翌日になって、私の頭は少し冷静さを取り戻した。
しかし、一日中世樹子の事を考えていた。
彼女が私とはもう逢うまいとしているのは、明白だった。
そして、その事はもう私に伝わったと彼女は思っているはずだった。
「いつも、失恋は突然やって来る…。」
私はそう呟いた。
ノブは必ず来ると、私は踏んでいた。
また、ノブは私と世樹子の関係を知らないはずだった。

 そして、次ぐ12月9日は雨だった。
夕方、私がキャンパスを出る時、雨はまだ降っていた。
待ち合わせは5時半に市ヶ谷の改札口であった。
私は1人、重い足取りで市ヶ谷駅へ歩いた。
駅前に差しかかった。
横断歩道の手前で赤信号を待ちながら、私は改札の方を見回してみた。
ノブの姿は見当たらなかった。
信号が青に変わり、私はまた歩き始めた。
時計を視ると、5時35分だった。
10分は待ってみようかと思いながら、私は傘を閉じた。
待っても無駄の様な気もした。
「鉄兵君。」
突然背後から呼びかけられて、私は愕いた。
改札の内側の掲示板の横に、世樹子とノブの姿があった。
「来たわよ。」
世樹子が掲示板の裏に向かって云った。
「ハァイ。」
フー子とヒロ子もいた。

 悪夢の様な一夜だった。
私は4人の女を連れて、上りの電車に乗った。
彼女達は普段と変わらぬ様子で話した。
私も会話を弾ませたが、心は荒んでいた。
御茶の水で中央線に乗り換えた。
私は初めて世樹子の悪意を視た。
(今夜、彼女はなぜ、市ヶ谷へ来たのか…?)
私は想像した。
世樹子はノブに、私が2人きりでも行こうと云った事を伝えたに違いなかった。
そして世樹子の予想外だったかどうかは解らないが、ノブは行くと返事をした。
あるいは、もしかしたらノブには何も云わず、当初の計画通りを装ったのかも知れなかった。
東京駅で山手線に乗った。
何れにしろ、世樹子が、ノブと私を2人きりで逢わせたくないと思っているのは、確かであった。
フー子とヒロ子は、完全なる世樹子の内輪だった。
私は彼女等3人の笑顔が、不気味に感じられた。
ノブだけが、何の思惑もなく純粋に言葉を発している様に見えた。
電車は浜松町に着いた。

 浜松町駅前へ出ると、東京タワーがすぐ正面に見えた。
「何だ、駅から近いんだな。」
私は云った。
「あら、近そうに見えるけど、ここから結構あるのよ。」
傘を開きながら、ヒロ子が云った。
我々は、明かりの点いたタワーを目指して歩いた。
ヒロ子が云った様に、かなり距離があった。
神社の境内を通り抜け、我々は、タワーへなるべく直線的に進んだ。
タワーの真下へやってきた時、フー子が 「あれ…?」 と声を出した。
入口は真っ暗で全く人気がなく、飄々としていた。
「そっか、寒い時期には早く閉まっちゃうんだ。」
開館時間のパネルを見ながら、ヒロ子が云った。
「残念だったわね、鉄兵君。」
私は内心ほっとしていた。
一刻も早く、部屋に帰りたかった。
「どうする…?」
フー子が云った。
「ここからなら、もう半分歩けば六本木よ。」
「そうなの? 
じゃ、行っちゃいましょうか?」
女達は六本木へ行くと云い出した。
「そうしましょ。
鉄兵君?」
私は心模様を顔に出さない様、注意を払いながら、 「よし、行こう。」 と、答えた。

 六本木の街に入った時、足は棒になっていた。
私は腹が空いたと云い、皆でイタリアン・レスト・パブのテーブルを囲んだ。
作品名:愛を抱いて 30 作家名:ゆうとの