愛を抱いて 29
街へ出る事もあるけど、普段は学館の部室でみんなで呑むの。
外へ出ると、いつも正門は閉まってるわ。
キャンパスの屏を乗り越えて帰るのよ。」
和代の噂を私は聴いていた。
彼女は同じサークルに所属する男と付き合い始め、その男は熱心な活動家であった。
そしてすぐに彼女もそちらの方へ傾倒して行った。
「疲れないかい?」
「疲れたわ、もう…。」
彼女の表情から、彼女の荒んだ生活を充分垣間見る事ができた。
「三栄荘のみんなは、どう?
相変わらず…?」
「うん。
相変わらず、あの調子だ。」
「そう。
前期の頃よね…。
あの頃は良かったわ…。
あれは本当に愉しかったわ、三栄荘の宴会…。
考えてみれば、今年の事なのに…。
もう何年も昔の事の様な、気がする…。」
和代は市ヶ谷の駅が嫌いだと云い、我々は飯田橋で降りて、一緒に歩いた。
「どうして市ヶ谷から歩くのは厭なんだい?」
私は訊いてみた。
「こっちの方が景色が良いじゃない。
それに、あの駅にはやたら眩しい恰好の女の子が多いから…。」
「大妻の連中だろ?」
「ええ。
何か彼女達を視てると、腹が立って来るのよね…。」
「解るよ…。」
彼女は実に学生らしい、女子学生である様な気がした。
それは昔からあって今もなお、本当は変わるはずのないものである、そんな気もした。
正門が眼の前に近づいた。
「あの後、柳沢なんか『和代ちゃんは、もう来ないのか?』ってずっと煩かったんだぜ。」
「そう…?
柳沢君か…、懐かしいわね。
ああ…、もう一度、三栄荘に行ってみたいわ。」
「俺達があそこにいる限り、君はいつでも来れば良い。」
「ありがとう…。」
そう云った和代の横顔に、私は彼女の慢性的な哀しみを視た。
ただ、彼女は疲れ過ぎている様子だった。
我々はキャンパスの中程まで、一緒に歩いた。
「成田へは行くの?」
別れ際に私は訊いた。
「ええ。
鉄兵君、行った事ある?」
和代は振り返って云った。
「まさか。」
「今度、一緒に来れば?」
「…まあ、止しとくよ。」
私は笑いながら云った。
「そうね…。
じゃあまたね、今朝は逢えて嬉しかったわ。」
和代は笑顔で手を振ると、学生会館の方へ歩いて行った。
私は試験を受けるべく、教室へ向かった。
午後から、クラスの仲間達はバイトだ何やかだと云って帰って行った。
私は1人でサークルの溜まり場へ行ってみた。
先輩連中の他に千絵がいた。
「よっ、久しぶり。」
私は千絵に云った。
「本当、昨日以来ね。」
彼女は教科書らしき書物を閉じながら云った。
「ねえ、鉄兵君、コピーに付き合ってよ。
約束してたのに美穂ちゃんたら、来ないのよ。」
私は千絵と2人で溜まり場を離れた。
その時期になると、大学の中やその周辺の至る所に臨時のコピー機が設置された。
構内のコピー機がどこも混んでいる様だったので、私と千絵は外の喫茶店に置いてあるコピー機を使うためにキャンパスを出た。
「ねえ、私達、知り合ってから9ヶ月目だけど、2人きりで歩くのって初めてね。」
千絵が云った。
「そうだっけ…?」
「そうよ、不思議な気がしない?」
「そう云われれば…。」
「美穂ちゃんとは、沢山2人っきりで歩いたでしょうけど…。」
「…。」
「ねえ、鉄兵君、知ってた?」
千絵は外濠の方を見つめながら、云った。
「私、知り合った頃からずっと、あなたの事が好きだったのよ。
知らなかったでしょ…?」
私は彼女の気持ちを、初めからずっと知っていた。
「あなたは美穂ちゃんに夢中だったものね。
彼女もあなたに夢中だったし…。
あなたが私と彼女をディスコへ連れて行ってくれた時の事、覚えてる…?
あなたは美穂ちゃんとチークを踊ったわ。
御免なさい…、気にしないでね…。
私はずっと、自分はあなたに相応しくない女だって、自分に云い聴かせて…。」
千絵の告白に、私はさほど愕かなかった。
だがやはり、私は何も、彼女に応えてやる事ができなかった。
〈五九、ホワイト・クリスマス〉