あなたへ
勉強と部活動を淡々とこなす以外にすることのなかった私は、県内でも名前の知れた進学校を受験して無事に合格しました。勉強は厳しかったものの、気の合う同級生も多く、「暗くてオタクっぽい女の子」という位置づけで、比較的平和な日々を過ごすことができていました。これば自虐でもなんでもありません。いじめられていたおかげで、年頃の女の子らしく身だしなみに気を遣うことも周りより遅れていたし、男の子が怖くていつもおどおどしていたので、そのようなレッテルを貼られるのは、かえって居心地のよいことだったのです。今でも連絡を取り合ったり、会って遊んだりしている友人もいますが、当時心から信頼している友人というのは、ひとりもいませんでした。今でこそ、彼女たちとはさまざまな話をするようになりましたが、高校生だったあの頃に私の複雑な胸の内を理解しろというのは、同じ経験をしていない限りとても難しいことだったようです。仕方ないと分かっても、お腹の真ん中にあいた穴を見つめるような孤独感は、消えることなくいつまでもつきまとっていました。
少なくとも高校を卒業するまで、私は相変わらず歪んでいて、あなたとはずいぶん衝突しました。自分自身が傷つくかそうでないかを判断基準にして生活し、そんな自分を誰よりも嫌っていた娘が、無条件に自分を第一に考えてくれる母の気持ちを汲み取れるわけがなかったのです。私は地元と出来る限り距離を置きたい一心で、離れた地方の大学に進学を決めました。そして一人暮らしの新居への引っ越しを終え、次に会うのは何ヶ月後かという時になると、あなたは泣いていましたね。当時の私には残念ながら、その涙の意味を理解することはできなかったのですが。
新しい土地で生活を始めた私は、自分自身も新しく生まれ変わったような気分でした。実際、私の過去の出来事を知っている人はそこにはもういなかったので、そう感じたのも当然のことでしょう。一人暮らしは実に快適で、毎日楽しく大学に通っていました。サークル活動にも精力的に参加して、生まれて初めての恋人もできました(あんなに男の子が怖くて仕方なかったのに、驚くほど平気になっていました)。すべてが順調だったのです。
しかしおよそ一年後、私は生まれ育ったこの家に戻ってきました。友人との小さないさかいが引き金となり、過去の私に取り憑かれた私は、そのまま心の病を抱えてしまったのです。大学には通えなくなり、恋人をはじめ、多くの友人たちが離れていきました。何時間もかけて私に会いに来てくれた父とあなたが「帰っておいで」と言ってくれた時に初めて、遠くに光が見えたような気がしたのです。
家からほど近い病院に通うようになっても、過去の私は怨霊のようにしぶとく、なかなか離れてくれようとはしませんでした。あなたは変わらないまっすぐさで、再び私と向き合ってくれました。それにも関らず私は、怨んでなどいなかったはずのあなたを怨み、子が親に一番言ってはいけないことさえ言ったのです。あなたは顔にも口にも出してはいませんでしたが、私など想像もつかないほどに傷ついたことでしょう。このことは、謝って済むことではないでしょう。いつかこの先、あなたに「産んでよかった」と思ってもらうことができたとしたら、それがきっと、今までのすべてのことを包み込んでくれるのだと信じています。
病から解放された私は今でも、自分以外の人間のことをわかっていると思うことは、傲慢なことであると考えています。しかしその一方で、「知りたい」「理解したい」と強く思う心そのものが、時を重ね、愛というものを育むのだと思っています。私の知らないあなたは、どんな顔をして、誰とどんな言葉を交わし、どんな心でいるのでしょうか。私は今、それを知りたいと思い始めています。すべてを受け止めたいと願っているのです。喜び、悲しみ、時には怒りさえしながら。
いつか母と子ではなく、ひとりの人間同士として、あなたと話ができる日が来るでしょう。それは明日かもしれないし、何十年後かもしれません。けれど、その日は必ずやってきます。私はいつその時が来ても大丈夫なように、きちんと大人になっていかなければと思っています。あなたは、私を待っていてください。いつか来るその日に思いをはせながら、微笑んでいてほしいと、そう思うのです。