あなたへ
改めて考えてみると、ほとんどまったくと言っていいくらいに、私はあなたのことを知らないような気がします。私はあまりにも、自分のことばかりに一生懸命に生きてきました。いえ、今も変わらず、そうしてここに生きています。だからこそ、私は私の人生というフィルターを通さなければあなたのことを語ることができないし、「私の母としてのあなた」以外のあなたを知ることができていないのでしょう。それは、あなたという人物を構成するもののほんの一部でしかないと、どこかで気がついていたはずなのに。
私があなたについて、ひとつだけ自信を持って言えることがあるとすれば、それは、あなたはとてもまっすぐな女性である、ということです。自分の家族や近しい人たちの身に何かが起これば、それをまるで自分のことのように喜び、悲しみ、時には怒りさえします。そんなあなたの姿に、心が救われた人も少なくないでしょう。当時中学生になって間もなかった私も、そんな中のひとりでした。
あなたがいじめに遭って不登校児になったことがあるという話は、幼い頃に聞いてはいました。しかしそれは、まったく知らない誰かの体験談を聞かされるのと同じようなもので、まさか自分も同じ経験をするなんて思ってもみないことだったのです。あなたは「もう学校に行きたくない」と泣く私をなだめすかしながら、つらいことがあった日には真剣に話を聞いてくれました。娘に自分と同じ道をたどらせるわけにはいかないと考えたのでしょう。ある時には、もう我慢ならないといった様子で、いじめの首謀者である女の子の家に電話をかけたこともありましたね。あなたの性質がとてもわかりやすく表れた出来事だと思います。
実はあの翌日、私はいじめっこから呪いの手紙のようなものを受け取ったのです。しかし、それは一度読んですぐに捨ててしまいました。「これを知られたら、お母さんがまた悲しむかもしれない」と思ったからです。結果はどうあれ、あなたが私のために怒ってくれたのは間違いのないことであり、私はただそれだけがうれしかったのです。ちなみに、あまりにもショッキングだったせいでしょうか、手紙の内容はあっという間に私の記憶から消えてしまいました。人間はいろいろなことを忘れていかなければ生きていけないと聞いたことがありますが、それにしてもうまくできているものだなあと、子供心に思ったものです。
あなたも知っている通り、いじめに参加していた同級生や部活動仲間の中には、小学生の頃から一緒に遊んでいた“友達”も何人かまじっていました。やはりそのことが悪かったのか、以来私は、人間関係を築くことがとても下手な子供になってしまいました。人の手によって一度ひしゃげてしまった心は、簡単に元に戻るものではないということを、身をもって知ってしまったのです。しかし、その一方で、もう一度人を信じたいという純粋な気持ちも、なくなってしまったわけではありませんでした。相反するふたつの思いがせめぎ合い、どちらの方にも行けない私は、まるで底なしの井戸をのぞきこむような絶望感を味わっていました。
さて、結局学校を休むこともあまりなく、部活動を辞めることもなく、中学二年生に進級した私の、新しい教室は女の子たちの間で交わされる誰かの陰口で満ちていました。それらは本人に悪気らしいものはなく、単なる話の種であったり、周囲との関係を円滑に進めるためのものであったりすることが多いので、「いじめ」とは呼ばれません。しかし、それ自体はそうではなくても、「いじめ」につながっていく可能性の大きい、いわば危険な遊び道具のようなものです。そして私自身が受けたいじめも、こうした小さな遊びがきっかけだったように思います、私には彼女たちが、楽しそうにナイフやカッターを振り回し、小さな傷をつけあって笑っているようにしか見えませんでした。そして私は、手に何も持ちたくありませんでした。誰かに自分と同じつらい思いをさせる可能性があると考えたらぞっとした、というのももちろんあります。しかし何より、そんな物騒なものを持たなくては仲間に入れてもらえないという、この教室という小さな女の子社会のあり方に強い疑問を抱いていたのです。あなたから受け継いだ実直な思いは、まだこの胸にしっかりと息づいていました。そして、それが気に入らなかった同級生の女の子たちは、その刃先をいっせいに私に向けるようになったのです。
私は間違ったことはしていないと、頭ではわかっていても、とうとう体がついてこなくなってしまいました。凶器を持たない生活は、いかに自分の身を守れるかということにかかっています。しかし、まだまだ子供だった私に、自分の心を守るすべなどありません。だから私は自らの手で、ひしゃげた心を紙屑のように丸め、隅っこに転がして見ないふりをすることにしました。自ら殺すことで、無感覚になることを選んだのです。それまで私を支えてきた、体の中に通っていた芯は、ぽっきりと折れてしまいました。痛くなかったわけではありません。痛くないわけがないのです。それは他人に切りつけられるのとはまた違った種類のもので、内臓をじりじりと焼き、私を内側から歪めていきました。それでも、ちっぽけな女子中学生の私が生き延びるためには、他に方法が見つけられなかったのです。
心は肉体と同様に、自然治癒力を持っていて、ある程度以下の損傷ならば、自らの力で健康状態に回復することができます。しかし、ある程度以上の損傷を受けた場合には、他者の手を借りなければなりません。当時の私が抱えていた痛みは、はじめはかすり傷程度のものだったはずが、女の子たちの凶器によってえぐられ、焼かれ、膿み、やがては健康な細胞さえ巻き込んで腐り始めていました。私はそこに、その場をしのぐためだけの絆創膏ばかり貼り付けて、周囲と自分自身を誤魔化していたのです。こんなものは痛くなどないのだと、言い聞かせ続け、思い込み続けていたのです。
そうして、私は変わってしまいました。人前で感情を表に出さなくなり、笑うどころか、泣くこともままならなくなりました。やがて中学三年生になり、高校受験に向けた勉強が本格的に始まると、進学以外のことであなたや父と会話をすることは、いつの間にかなくなっていました。
当時の私にとって、もっとも遠い存在だったのは、母であるあなたでした。いじめられながらも、私の中に、あなたがくれたまっすぐさが残っていた頃、あなたは私の救いであり頼みでありました。しかし、いじめではない何かから殺されまいとして、自らを歪めてしまった私の目に、あなたのその心は、ただただ疎ましいものとして映るだけだったのです。あなたにとって当時の私は、何を考えているのかさっぱり分からず、毎日頭を悩ませる存在だっただろうと思います。今になって、この頃のことを謝りたくなることもあります。しかしそれと同時に、今の私にたどり着くためには、これはきっと必要なことだったのだとも思います。なのでここでは、「あの頃の私を、見捨てないで向き合おうとしてくれてありがとう」と伝えるにとどめておくことにします。
私があなたについて、ひとつだけ自信を持って言えることがあるとすれば、それは、あなたはとてもまっすぐな女性である、ということです。自分の家族や近しい人たちの身に何かが起これば、それをまるで自分のことのように喜び、悲しみ、時には怒りさえします。そんなあなたの姿に、心が救われた人も少なくないでしょう。当時中学生になって間もなかった私も、そんな中のひとりでした。
あなたがいじめに遭って不登校児になったことがあるという話は、幼い頃に聞いてはいました。しかしそれは、まったく知らない誰かの体験談を聞かされるのと同じようなもので、まさか自分も同じ経験をするなんて思ってもみないことだったのです。あなたは「もう学校に行きたくない」と泣く私をなだめすかしながら、つらいことがあった日には真剣に話を聞いてくれました。娘に自分と同じ道をたどらせるわけにはいかないと考えたのでしょう。ある時には、もう我慢ならないといった様子で、いじめの首謀者である女の子の家に電話をかけたこともありましたね。あなたの性質がとてもわかりやすく表れた出来事だと思います。
実はあの翌日、私はいじめっこから呪いの手紙のようなものを受け取ったのです。しかし、それは一度読んですぐに捨ててしまいました。「これを知られたら、お母さんがまた悲しむかもしれない」と思ったからです。結果はどうあれ、あなたが私のために怒ってくれたのは間違いのないことであり、私はただそれだけがうれしかったのです。ちなみに、あまりにもショッキングだったせいでしょうか、手紙の内容はあっという間に私の記憶から消えてしまいました。人間はいろいろなことを忘れていかなければ生きていけないと聞いたことがありますが、それにしてもうまくできているものだなあと、子供心に思ったものです。
あなたも知っている通り、いじめに参加していた同級生や部活動仲間の中には、小学生の頃から一緒に遊んでいた“友達”も何人かまじっていました。やはりそのことが悪かったのか、以来私は、人間関係を築くことがとても下手な子供になってしまいました。人の手によって一度ひしゃげてしまった心は、簡単に元に戻るものではないということを、身をもって知ってしまったのです。しかし、その一方で、もう一度人を信じたいという純粋な気持ちも、なくなってしまったわけではありませんでした。相反するふたつの思いがせめぎ合い、どちらの方にも行けない私は、まるで底なしの井戸をのぞきこむような絶望感を味わっていました。
さて、結局学校を休むこともあまりなく、部活動を辞めることもなく、中学二年生に進級した私の、新しい教室は女の子たちの間で交わされる誰かの陰口で満ちていました。それらは本人に悪気らしいものはなく、単なる話の種であったり、周囲との関係を円滑に進めるためのものであったりすることが多いので、「いじめ」とは呼ばれません。しかし、それ自体はそうではなくても、「いじめ」につながっていく可能性の大きい、いわば危険な遊び道具のようなものです。そして私自身が受けたいじめも、こうした小さな遊びがきっかけだったように思います、私には彼女たちが、楽しそうにナイフやカッターを振り回し、小さな傷をつけあって笑っているようにしか見えませんでした。そして私は、手に何も持ちたくありませんでした。誰かに自分と同じつらい思いをさせる可能性があると考えたらぞっとした、というのももちろんあります。しかし何より、そんな物騒なものを持たなくては仲間に入れてもらえないという、この教室という小さな女の子社会のあり方に強い疑問を抱いていたのです。あなたから受け継いだ実直な思いは、まだこの胸にしっかりと息づいていました。そして、それが気に入らなかった同級生の女の子たちは、その刃先をいっせいに私に向けるようになったのです。
私は間違ったことはしていないと、頭ではわかっていても、とうとう体がついてこなくなってしまいました。凶器を持たない生活は、いかに自分の身を守れるかということにかかっています。しかし、まだまだ子供だった私に、自分の心を守るすべなどありません。だから私は自らの手で、ひしゃげた心を紙屑のように丸め、隅っこに転がして見ないふりをすることにしました。自ら殺すことで、無感覚になることを選んだのです。それまで私を支えてきた、体の中に通っていた芯は、ぽっきりと折れてしまいました。痛くなかったわけではありません。痛くないわけがないのです。それは他人に切りつけられるのとはまた違った種類のもので、内臓をじりじりと焼き、私を内側から歪めていきました。それでも、ちっぽけな女子中学生の私が生き延びるためには、他に方法が見つけられなかったのです。
心は肉体と同様に、自然治癒力を持っていて、ある程度以下の損傷ならば、自らの力で健康状態に回復することができます。しかし、ある程度以上の損傷を受けた場合には、他者の手を借りなければなりません。当時の私が抱えていた痛みは、はじめはかすり傷程度のものだったはずが、女の子たちの凶器によってえぐられ、焼かれ、膿み、やがては健康な細胞さえ巻き込んで腐り始めていました。私はそこに、その場をしのぐためだけの絆創膏ばかり貼り付けて、周囲と自分自身を誤魔化していたのです。こんなものは痛くなどないのだと、言い聞かせ続け、思い込み続けていたのです。
そうして、私は変わってしまいました。人前で感情を表に出さなくなり、笑うどころか、泣くこともままならなくなりました。やがて中学三年生になり、高校受験に向けた勉強が本格的に始まると、進学以外のことであなたや父と会話をすることは、いつの間にかなくなっていました。
当時の私にとって、もっとも遠い存在だったのは、母であるあなたでした。いじめられながらも、私の中に、あなたがくれたまっすぐさが残っていた頃、あなたは私の救いであり頼みでありました。しかし、いじめではない何かから殺されまいとして、自らを歪めてしまった私の目に、あなたのその心は、ただただ疎ましいものとして映るだけだったのです。あなたにとって当時の私は、何を考えているのかさっぱり分からず、毎日頭を悩ませる存在だっただろうと思います。今になって、この頃のことを謝りたくなることもあります。しかしそれと同時に、今の私にたどり着くためには、これはきっと必要なことだったのだとも思います。なのでここでは、「あの頃の私を、見捨てないで向き合おうとしてくれてありがとう」と伝えるにとどめておくことにします。