愛を抱いて 23
「あ、もしかして…。」
「そうさ。」
「ただ、どこにあったか覚えてないんだよな。
早く捜さないと、時間が…。」
「私、知ってるわ。
こっちよ…。」
我々は駆け出した。
遊園地の一番奥に、メリーゴーランドはあった。
まるでまた夏が来たかと思える程の陽気な一日だったが、秋の陽はやはり短く、辺りを次第に夕闇が包もうとしていた。
その先端に金色の鷲が羽を広げて留まっている馬車の中に、私とノブは並んで座っていた。
「本当に、俺はその後、何もしなかったの…?」
「ええ、すぐに眠っちゃったわ。」
軽快な音楽が響いていた。
「御免ね…。」
「もう、いいのよ。
鉄兵君が寝惚けてる事は、解ってたわ。
私もボーッとしてたし…。
もう、気にしないで。
解ってたけど…、あなたは、優し過ぎるわ…。」
「違うんだ。
2ヶ月前の俺なら間違いなく、今日は一日中君を口説いてたさ。
でも、調子がおかしいんだ。
今…。」
「そうなの…。
残念ね…。」
馬車は滑って行った。
「今日はとっても愉しかったわ。
それから、みんなとっても優しいのね。
ただ、鉄兵君は、悪い人の方が良かったなぁ…。」
「だから調子を崩してるだけさ。
戻ったら、爪を隠して君を襲いに行くよ。」
「待ってるわ…。」
我々がそこへやって来た時、他の客は1人も居なかった。
少し気が引けたが、係員は快く機械を動かしてくれた。
「メリーゴーランドを楽しむコツはさ、自分達の乗り物が動いてるんじゃなくて、周りの景色の方が動いていると思い込む事さ。
やって御覧よ。」
「あら、本当…。
何か不思議ね…。」
二人を乗せた馬車は動きを停め、外の世界が上下に揺れながら廻り始めた。
そしてそれは、外の世界の時間だけが、流れ始めた様でもあった。
我々は時間のない、光の国に居た。
彼女の肩の処と、私の頭の後ろで、裸の天使がホルンを吹いていた。
馬車がまた動き出していた。
今度は本当に…。
横を走っている白馬が、片眼で私の顔をチラリと視た。
「鉄兵君、ほら、金の鷲が…。」
「ああ…。」
初め視た時、ちょうど馬車の先端に舞い降りた姿であろうと思ったその鷲は、今まさに、翔び立つ処であった。
「そろそろ、ナイトの交替の時間だな…。」
私は立ち上がると、馬車の前から身を乗り出した。
「あれ…、これ、馬車じゃないぜ…。」
乗り物を引っ張っているのは、2匹の豚だった。
私は右側の豚の上へ翔び乗った。
豚は上眼使いに私を視た。
そして私は、右前方を笑いながら走っている馬の背中へ翔び移った。
私は白馬と白豚の背中を渡り歩いて、進んだ。
前方から柳沢がやって来た。
「鉄兵、お前は正解だよ。
俺は失敗した…。」
「どうした?」
「こいつ等の顔を視ながら進むのは、骨が折れる。」
「なる程。
痛いから止めてくれって、哀れな顔で見つめられるのか?」
「いや、それだけならいいんだが、中に翔び移ろうとした瞬間、表情を変えて脅かす奴がいるんだ。
もう何度も落っこちそうになった…。」
柳沢と擦れ違って、さらに私は進んだ。
ソファの敷かれた豪華な豚車の中に、世樹子は居た。
「世樹子姫…。」
私は呼び掛けた。
「あなたは落ちて、馬に蹴られておしまい。」
「これは、とんでもない間違いを…。」
私は豚のそばを離れ、彼女の隣に座った。
外の世界は、すっかり暗くなっていた。
「ねえ、ちょっと変じゃない…?」
「何が…?」
「このメリーゴーランド、私達が乗ってから、ずっと廻り続けてるわ…。」
「そう云えば、えらく長いメリーゴーランドだな…。」
昇降ホームが近づいて来た。
ボックスの中に係員の姿はなかった。
「サービスかな…?」
「優しい人で良かったわね…。」
頭上を光の河が流れ続けていた。
「ねえ、この天使、男か女か知ってる?」
「知ってるわよ。
男の子でしょ。」
「ほう…、しっかり視たんだ。」
「違うわ。
天使は男の子に決まってるじゃない…。」
ただ、世樹子の肩でホルンを吹いている天使は、少し恥かしそうに下を向いていた。
「でも君はよく、メリーゴーランドのある処を覚えてたね…。」
「だって昼間、何度もこの前を通ったのに、誰も乗ろうって云ってくれないから、ずっと残念に思ってたんですもの…。」
「昼間はさすがに、恥かしくて乗り難いよな。
子供が多いし…。」
「そうだろうと思ったわ。
でも今は、とっても幸せよ…。」
「やっと、こいつと友達になれたよ…。」
私は横の白馬を指して云った。
いつからか、動物達は皆、優しい眼をして我々をそっと見つめていた。
光の国の豚車は我々を乗せて、昨日でも明日でもない処へ進み続けた。
閉園の音楽が聴こえて来た。
係員がやって来て、機械は静かに停まった。
我々は丁寧に礼を述べてから、光の国を後にした。
途中何度も振り返り、その度に光の国の輝きが消えていないのを視て、我々は安心し、そして嬉しかった。
光の国はいつまでも、小さくそこに輝いていた。
「寒いな…。」
ゲートを出ると、我々は上着の前を閉じ、襟を立てた。
晴れ渡った夜空は、昼間の温もりを、あっと云う間に吸い上げてしまっていた。
しかし寒さよりなお、気になる事があった。
「腹が減った…。」
「そうでしょうね。
お弁当を食べた限ですもの…。
柳沢君は?」
「俺も…。
空腹で歩けそうにない…。」
「そう…、良かった。」
我々は眼の前のハンバーガー・ショップに入った。
「今日は本当に、どうもありがとう…。」
皆に向かって、ノブが云った。
「感謝されるのは嬉しいけど、俺達はただ、自分が行きたいからやって来ただけなんだよ。」
「まあでも、偶然それが遊園地で、ノブちゃんに気に入ってもらえて良かったよな。」
「ノブちゃん、この人達にあまり素直に感謝してると、後が怖いかもよ。」
「世樹子は、どうなんだい?」
「勿論、私も感謝してるわよ。
洞穴じゃなく、遊園地だった事に…。」
「私、ゆうべから、みんなとずっと一緒に居て、色んな事が全部新鮮だったわ…。
天気が良いから授業をサボって、お弁当を作って遊園地へ行って、私、初めてなの…、そんな事したの…。」
「俺達だって、いつもこんな事してるわけじゃないんだぜ…。」
「俺は、普段はちゃんと授業に出てるんだよ。」
胃を落ち着かせて、我々は豊島園駅の中へ入った。
「遊園地を出た後に本物の電車を視ると、何かとっても味気なく視えるな…。」
「あら、違うわ。
こっちが偽物よ…。」
〈四七、豊島園遊園地[後編]〉