愛を抱いて 23
45. 豊島園遊園地〔前編〕
「赤サク」を出た後、世樹子とノブはちょっと飯野荘へ寄って来ると云った。
柳沢と私は三栄荘へ戻り、彼女等を待った。
優に1時間は経過した後、ようやく二人の階段を上る足音が聴こえた。
「着替えと化粧直しにしては、随分遅かったじゃない?」
「気が変わったのかと心配したぜ。」
「御免なさい。
実は二人でお弁当を作ってたのよ。」
「弁当…?」
私は世樹子が手に下げているバスケットに眼をやった。
「趣味に合わなかったかしら…?」
「とんでもない。
至上の幸福を感じる…。」
「中身は何だい?」
「急いだから、大した物作れなかったの。
サンドイッチと簡単なおかずだけ…。」
高田馬場で国電に、さらに池袋で西武池袋線に乗り換え、我々は豊島園にやって来た。
1日券を買って入場すると、すぐに「スカイ・ダイバー」という名の乗り物が眼についた。
平日の遊園地は、よく空いていた。
「この分だと、全部の乗り物に乗れそうだな。」
私は云った。
「全部乗るつもりなの?」
「当然だろ。」
「でも、ここ広いわよ。
1日で全部乗り切れるかしら…?」
「多分、無理だな。」
柳沢が云った。
「無理かどうか、やってみなけりゃ解らんさ。」
「息もつかずに乗りまくるつもりか?」
「そのために1日券を買ったんだろ?
大体遊園地に来て、のんびり過ごそうなんて間違ってるぜ。」
「なる程…。
よし、じゃあ今日は気合を入れて、真剣に遊ぶか。」
我々は「スカイ・ダイバー」の入口にやって来た。
「面白いのかな…?」
それは観覧車の様な乗り物だった。
「さあ?
余り期待はできそうにないが、まあ、小手調べって事で…。」
2人掛けのシートの片方にハンドルが付いていた。
「何のためだろう…?」
私はハンドルの付いている側に座りながら、隣のノブに云った。
ノブは笑って首を傾げた。
ベルトをロックしてから、私はハンドルを廻してみた。
宇宙船が少し傾いた。
「なる程、こういう事か…。」
各船に客が全員乗り込むのを待つ間、私はハンドルを左右に廻して、どれ程まで傾くのかを試していた。
なかなか上手く行かなかったが、私は遂に、宇宙船は1回転できる事を発見した。
ノブが小さな悲鳴を上げた。
「大丈夫かい?」
「ええ、ちょっと愕いただけ…。」
その操作にはコツがあって、初めは1回転させるのが精一杯であったが、私はすぐに要領を掴んで、船をクルクルと廻し始めた。
まだ停止している観覧車の中で、1個だけが回転していた。
発動のベルが鳴った。
「ノブちゃん、スリルは好きかい?」
「大好きよ。
思いっ切りやってね。」
「OK…。」
観覧車は廻り始めた。
私は、どうせ大したスピードは出ないのであろうと構えていた。
観覧車は次第に回転の速度を上げて行き、しかし予想していた速さを越えてなお、加速を続けた。
観覧車は物凄いスピードで回転し始めた。
「こいつは、すげぇな…。」
私はハンドルを廻して宇宙船を回転させた。
高速の中でのハンドル操作は、停止している時よりもさらに技術を必要とした。
ノブは座席の前の握り棒をしっかり握り締めて、身体を硬くしていた。
私の編み出した最も高度なハンドル・テクニックは、宇宙船が一番低い位置、係員が立っている昇降ホームの間を通過する時、船体を180度傾け、真っ逆さまになって通り過ぎるものだった。
「スカイ・ダイバー」は素晴らしい乗り物であった。
私とノブは宇宙船を降りると、先に降りて待っている柳沢と世樹子のそばへ歩み寄った。
「最高だったな…。」
私は云った。
「そうか…?」
柳沢は同意しかねる口調だった。
「とっても面白かったわ…。」
ノブは胸を押さえながら云った。
「たしかにスピードはあったが、まあまあのスリルだった。」
柳沢は云った。
「鉄兵君があんまりクルクル廻すから、私もうフラフラよ…。」
ノブが愉しそうに云った。
「クルクル廻したって、どういう事…?」
世樹子が訊いた。
私は少しコツが必要であったが、宇宙船を回転させる事ができた旨を説明した。
「嘘…、廻せたの?
俺、傾くだけかと思った。」
「本当?
何か私達、損した気分ね…。」
「君等は『スカイ・ダイバー』に乗ったとは云えない。」
正午を過ぎて、我々はベンチに腰掛け、世樹子とノブが作った弁当を食べ始めた。
「おぉ、凄い!
唐揚げがある…。」
おかずのバスケットを開けて、柳沢が云った。
「時間がなかったから、味はあまり保証できないわよ。」
「それには何が入ってるんだい?」
まだ開けられていないバスケットを指して、私は訊いた。
「あ、これ…、おむすび…。」
ノブが云った。
「え!
むすびもあるの?」
サンドイッチを口にくわえたまま、柳沢は云った。
「男の人ってどれくらい食べるのか、よく解らなくて…。」
「ノブちゃんがね、サンドイッチだけじゃ足りないだろうから、おむすびも作ろうって云ったのよ。」
「でも、多過ぎたかしら…。」
「大丈夫よ。
この人達痩せてるけど、よく食べるんだから。」
午前中は疎らだった客足も、最好の天気に誘われて少しずつ増え始めた。
ただ、子供連れの家族の姿はほとんど見られず、若いカップルが非常に眼についた。
「ノブちゃんが握ったのは、どれ?」
私はむすびに手を伸ばしながら、云った。
「ふぅん、ノブちゃんのが食べたいわけね…。」
「どれがどれか、もう解らないわよ。」
「待って、…確かこっちから半分が、ノブちゃんが作ったのよ。
はい、鉄兵君、どうぞ。」
柳沢は無造作に、むすびのバスケットから1つを取ってパクついた。
「柳沢君、美味しい?」
世樹子が尋ねた。
「ああ…、美味いよ…。」
「そう、良かった。
それ、私が握ったおむすびよ。」
「へえ、やっぱり…。
そうじゃないかと思ったんだ。」
「まあ、ありがう。」
「この微かな塩味は、きっと世樹子の手汗…。」
「ちゃんとラップの上から握ったわよ!」
「え?
じゃあ、ノブちゃんのも、そうなの?」
私はノブに訊いた。
「ええ、そうよ。」
「何だ、直接手で握ってからラップに包んだんじゃないのか…。」
「普通、そんな事しないわよ。」
世樹子が云った。
「そうだったのか…。」
「当然でしょ。
食べる人の事考えたら…。」
「そうかな?
食べる人の事を考えて、じかに握って欲しかったな。
ノブちゃんの手汗の味を噛み締めながら、食べたかった…。」
世樹子とノブは眉を寄せた。
二人の作った弁当は、その量において豊富を誇るものだった。
彼女等は控え目な食欲を示した。
私と柳沢は前夜したたか酒を呑んでおり、また睡眠不足気味でもあったが、時間をかけて全部食べ尽くした。
そして私は、食後の乗り物はバイキングしかないと主張した。
「そいつはいいな…。」
「どうして?」
「乗ってみれば、解るよ。」