愛を抱いて 21
「ザボン」を出た後、香織と世樹子は飯野荘へ帰って行った。
三栄荘の階段を上って、例により柳沢は自分の部屋へは行かずに、まっすぐ私の部屋へ入った。
「あのさ…。」
二人でしばらくテレビを視ていた後に、私は云った。
「俺、香織と別れる事にしたんだ。」
柳沢はすぐには口を開かず、画面に視線を向けたままだった。
「そうか…。」
テレビから視線を外すと、彼はテーブルの上に置かれたセブンスターを取り上げ、1本くわえた。
「もう、云ってあるのか…?」
ライターを点けながら、彼は云った。
「いや、まだ…。
でも、決めたんだ。」
「そうか…。」
柳沢は、それ以上何も云わなかった。
画面が放送終了を告げてから、柳沢は自分も水割を呑み始めた。
「いつ、云うつもりなんだ?」
「近いうちに、なるべく早く…。」
「彼女、あっさり別れてくれそうか?」
「どうかな…?
解らんが、でも多分…。」
柳沢の中には、今もなお、香織が特別の女として存在している事を、私は知っていた。
「良ければ、理由を聴かせてくれないか?
云いたくないのなら、別にいいんだが…。」
「…彼女とこれ以上関係を続けても、仕方ないと思って。
やはり彼女は俺の手に余る女性だった。
黙っていても、いずれ彼女の方から別れようって云うだろう。
そうでなければ、きっと二人とも、荒んでしまうさ…。」
「そうか…。
お前でさえ、手に余る女か…。」
柳沢はグラスに氷を足しながら、呟いた。
「ねえ、今日は何の日か知ってる?」
私の腕に手を回しながら、世樹子は云った。
「さあ…?
確か合コンのあった日だと…。」
「あら、本当?
大丈夫だったの?
行かなくて…。」
「平気さ、たまには休養しなきゃ。
何せ連チャンだったから…。
それよりいったい、何の日なんだい?」
「解らない?
残念だなぁ…。」
私はしばらく考えてみたが、何も思い浮かばなかった。
「じゃあ、昨日は?
昨日は何の日だったか知ってる?」
「昨日…?」
「そう。」
10月30日の夜、私は世樹子と渋谷で呑んだ後、道玄坂を駅へ向かって二人で歩いていた。
「鉄兵君って忘れっぽいのね。
もう、いいわ…。」
「え…、何か大事な事かい?」
私の少しうろたえた顔を視て、世樹子は笑った。
「そうよ。
昨日はね、ちょうど3週間目なのよ。」
「…?」
「初めてデートして、私が鉄兵君の部屋に泊まってから。」
「…今日は?」
「今日で3週間と1日が過ぎたわ。」
「なる程…。
明日もまた、記念日になるのかい?」
「ええ、そうよ。」
中野駅の改札を出て、我々は飯野荘の方角へ歩いた。
「この頃、不思議なの…。」
彼女は呟く様に云った。
「何が?」
「香織ちゃんや誰かに、ゆうべはどこへ行ってたのって訊かれても、自分でびっくりする程、言葉がスラスラ出て来るの…。
平気で嘘がつけるのよ…。」
彼女は微笑んだ。
「本当に不思議…。
もう名人ね。
ポンポン云えるの。
平気な顔して…、嘘が…。」
そこまで云って、彼女は一瞬何かに脅える様な表情になり、顔を横へ背けた。
「振り向いても、無駄さ。」
私は彼女の手を握って云った。
「俺達はもう、駆け出してるんだ。
駆け抜けて行くしかない…。」
〈四二、映画観賞会〉