愛を奏でる砂漠の楽園 01
宮殿の奥にある後宮で暮らしている者全てが、王の側室という訳では無い。国中から集められた奴隷達は、然るべき教育を受けた後、まず侍女や下働きという立場へとなる。そこから王のお手つきへとなった者だけが、側室へとなる事ができる。
しかし一度お手つきになったからといって、永遠に側室の立場でいる事ができる訳では無い。王の御子を身籠もる前に寵愛を失った寵姫は、家臣などに払い下げられる事になる。
今から舞を披露しようとしている人物が、御子を身籠もる事ができない男であるという事から、王の寵姫であるとシナンは判断したのだ。しかしそんなシナンの考えを否定するようにして、ハムゼが小さく頭を振る。
「後宮へと来てから十年近くになるそうですが、王が閨房を訪ねた様子は無いそうです。ですので、側室という立場にはなっていますが、寵姫では無いと思われます」
「随分と詳しいな」
今から舞を披露しようとしている人物から視線を離し、シナンは意味深な笑みをハムゼへと向かって浮かべた。
人当たりの良い穏和な笑みを常に浮かべている為、友好的な性格をしているようにハムゼは見える。けれども実際は、他者に徹底的に無関心な性格をしており、縁の無い人間の事をここまで知っている事は珍しい事であった。
「男とは思えない程に官能的な舞を披露する人物でしたので、記憶に残っていただけです。ですので、名までは分かりかねます」
「そうか」
淡々とした口調で返された事により、シナンは不満げな表情へとなった。
ハムゼが向きになるような男では無いという事など分かっている。それでも、態と揶揄したというのに、淡々と返事をされてしまった事により、面白く無いものを感じてしまったのだ。
ラクス・バラジの踊り手が両手の指に嵌めている金属で出来た打楽器のジルの音が、部屋の中へと響き渡る。ラクス・バラジが始まったのだという事が分かり、シナンは広間の中心へと視線を戻した。
雪を欺く肌と蜂蜜色の髪をした人物は、先程まで何を考えているのかという事が分からぬ表情を浮かべていたというのに、踊りの始まった今は生き生きとした表情へとなっている。そんな彼が、煌びやかな刺繍の施された赤一色の衣装と同じ色の薄い布を使って舞う姿は、まるで赤い鳥のようであった。
寵姫では無いというのに、払い下げられる事も無く王の側室という地位を守り抜いているだけの事はある。
雪を欺く肌と蜂蜜色の髪をした人物は、見た目が美しいだけの男では無かった。異国の民である事が明らかな外見をしているというのに、シナンが今まで見たどんなラクス・バラジの踊り手よりも、官能的でいて流動的に踊りを舞う人物であった。
「だが、王の寵姫では無いのか……」
ぽつりと呟いた言葉に、ハムゼが反応する。
「どうかなさいましたか、シナン様?」
「王の寵姫では無いのならば、俺の物にしたいと言ったんだ」
僅かに視線を離すのさえも勿体ないと思いながらも、シナンはにやりという笑みを浮かべて、ハムゼへとそう言った。
「おや、シナン様は女性にしか興味が無いのだと思っておりましたが?」
「俺も今までそう思っていたのだが、そうでは無かったようだ」
そう言いながら広間の中央へと視線を戻すと、丁度音楽が止み、激しくそして官能的な舞を披露していた人物の動きが止まった。
先程まで生き生きとした表情へとなっていたというのに、彼の表情は再び無表情なものへと戻っていた。まるで舞う為だけに生きている存在。そんな彼は王の元へと向かい挨拶を済ませると、振り返る事さえせず広間を後にした。
それを見届けると、シナンも絨毯の上から立ち上がった。
「少し気分転換でもしてくるとするか」
「それも良いかもしれませんね。ですが、見付からぬようにお願いします。見付かれば面倒な事になりますから」
ハゼムの言葉は、シナンが今から何所へと行こうとしているのかという事が、分かっているという事を示すものであった。
本来ならば自分を止めなくてはいけない立場にありながら、見逃してくれるつもりである彼へと「分かっている」と言った後、シナンは広間の入り口へと向かって歩き出した。しかし二歩程歩いた所で、そんな歩みを不意に止めた。
「そうだ。後で首飾りをお前の元に運ばせておく」
先程、漸くシナンの存在へと気が付いた父王は、そこに居たのかという意味を孕んだ声で「ああ」とだけ言い、宴へと意識を戻しそれ以上何も言う事は無かった。――そう、シナンは先程の賭けに負けてしまったのだ。
「では、有り難く頂戴させていただきます」
ハゼムの満足げな表情を見ても、シナンの中に悔しいという感情が沸き上がる事は無かった。賭けに負けてしまったが、宴へと出る事によって大きな収穫を得る事が出来たからだ。
作品名:愛を奏でる砂漠の楽園 01 作家名:蜂巣さくら