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愛を抱いて 19

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37. 黒いスカートの女


 居酒屋を出た後、我々は新宿駅前の「じゅらく」という喫茶店に入った。
ゆかりと底なし女と、柴山を椅子の上に寝かせて、7人でテーブルを囲んだ。
居酒屋からその喫茶店までの路上で、私はゆかりを抱えて歩きながら、淳一に云った。
「残りの3人の女がピンピンしてるのは、どういうわけだ?」
「俺達は途中で諦めてしまったんだ。
柴山の様に、共倒れになるのは解ってた。
でもお前等は偉いよ。
よく彼女達を潰せたな…。」
「馬鹿野郎。
誉めてもらうために潰したんじゃねぇぞ。」
(馬鹿野郎。)
残された時間を、ただ明るい話題で女達をもてなしながら、ルーズに過ごしている淳一、西沢、野口の顔を眺め、私は心の中で繰り返していた。
「あなた、眼が眠たそうよ。」
隣の女が私にそう云った。

 「おい、鉄兵…。」
淳一に肩を揺すられ、私は眼を覚ました。
気づくと、私の頭は女の膝の上にあった。
「彼女達、帰るってさ。」
私はフラフラと立ち上がった。
不意に吐き気が胸を襲った。
淳一に肩を借りて、私はトイレへ行った。
「お前は何とか歩けそうだな。
実は先生が大変なんだ。」
私の背中を擦りながら、淳一が云った。
トイレからテーブルの方へ戻ってよく視ると、柴山が床の上に寝ていた。
彼の顔のそばには、彼の胃の中にあったと思われる物が、散乱していた。
「駄目だ。
全く起きる気がないらしい…。」
西沢が云った。
柴山は蒼い顔をして眼を閉じ、床に横たわった彼の身体は異様に大きく見えた。
「とにかく3人で下まで運ぼう。
先に鉄兵を下へ連れて行って来るから、少し待っててくれ。」
淳一が云った。
私は淳一に肩を抱えられて、エレベーターに乗った。
「悪いな…。」
私は云った。
「悪いのは俺達の方さ。
お前がここまで、気力を吐いた事を無駄にしてしまった。」
「いや…、お前等の判断は、正しかったさ…。
下手をすれば、全員街の中で、動けなくなってた…。
止せば良かった…。
途中で、駄目だなって、気づいてたのに…。」
「じゅらく」というネオン看板のあるビルの下へ出て来ると、淳一は私をコンクリートの花壇の淵に座らせて云った。
「ここでしばらく醒ましてろ。
俺達は先生を連れ出すから。」
彼は再びビルの中へ入って行った。

 彼等はいつまで経っても、出て来なかった。
私はともすれば、また睡魔に脳を支配されそうになった。
(今度眠ったら、俺も先生の様になりかねない…。)
そう思って、私は立ち上がった。
(三栄荘まで何とか辿り着いて、眠ろう…。)
私はロボットの様な歩き方で、西武新宿駅へ向かい始めた。
ただ足元だけしか認識できなかった。
赤信号の横断歩道の前で、私は小さな坂に足を取られ、前方へよろめいた。
車道へ倒れ出るとさすがに命が危ういと思い、私は腕を延ばして信号待ちをしていた人間の一人に、横から抱き着いた。
「止めて下さい。」
その女性は冷たい調子で云った。
「…済みません…。」
私はやっとの思いで、そう云った。
信号が変わると、その女性は駆け出して行ってしまった。
私はまたフラリ、フラリと歩き始めた。

 西武新宿駅のある「新宿プリンスホテル」の前へ、私は脳波曲線を描きながらやって来た。
「PePe」の前の階段を上って行く途中で、つまづいて転んだ。
一度転ぶと、立ち上がるのが面倒になり、私は両手と両足を使って階段を這い上がり始めた。
「かっこいいわね。」
すぐ前から女の声がした。
私はそのまま、階段を這い上がり続けた。
「でも、かっこよ過ぎるわよ。
はい、立って…。」
私は女に抱き起こされた。
女は私の腕を自分の肩に回すと、ゆっくり階段を上った。
私の小さな視界の窓の向うに、黒いスカートだけが見えた。
「学生でしょ? 
私も経験あるから、解るわ。
とっても苦しいのよね…。」
自動切符売場の前で、女は云った。
「どこまで…?」
「沼袋…。」
女は自分のと一緒に私の切符も買ってくれた。
「悪いね…。」
私はまた女に抱えられて、歩き出しながら云った。
「いいのよ。
云ったでしょ、経験あるって…。
他人事に思えないのよ。」
最初は知り合いの誰かだろうと、はっきりしない頭の片隅で考えていたが、どうやら全く見ず知らずの女らしいと、その辺で私はゆっくり判断していた。
「電車に揺られると気分悪くなるから、少し休んでから乗る?」
改札を抜け、ホームに入ってから女は云った。
「いや、平気さ…。
早く、部屋へ帰って、休みたい…。」
「そう…。
そうね、その方が良いわね。」
二人は電車に乗り込んだ。

 私は電車の中で彼女の膝の上に頭をのせ、そして眠ってしまった。
途中で眼が覚めた。
黒いスカートが見えた。
私は上半身を起こすと前屈みになり、そのまま電車の床の上に激しく嘔吐した。
車内は空いているわけではなかったが、我々の前には立っている者が一人もなかった。
「沼袋に着いたわよ。」
彼女に抱えられて、私は電車を降りた。
「君も、この駅なの…?」
改札を出てから、私は訊いた。
「違うけど、あなた一人では歩けそうにないから。」
私は依然覚束ない足取りのまま、踏み切りを渡った。
「どっちへ行くの?」
「こっち…。」
私は左手の路地を指した。
コイン・ランドリーの前で、もう一度吐いた。
苦い胃液しか出て来なかった。

 三栄荘の階段を、私は彼女と上った。
ドアを開けると、電気の点いた明るい部屋に、柳沢と香織と世樹子が居た。
私は部屋の中へ転がり込むと、その場へ倒れた。
「鉄兵君…? 
酔ったの…?」
「わぁ、お酒臭い…!」
私は倒れたまま、ドアの方を振り返った。
「じゃあ、お大事にね。
おやすみなさい…。」
彼女の声がして、黒いスカートがドアの外へ消えた。
「柳沢、頼む…。」
私は云った。
「OK。」
柳沢はすぐに部屋を出て行った。

 「今夜も合コンだったんでしょう? 
あの娘に送ってもらったの?」
香織が云った。
私は二人が敷いてくれた布団の上で横になった。
「ああ、送ってもらったんだけど…、あの娘は、合コンの女の子じゃないんだ…。」
「へえ、じゃあ…、まさか…。」
「そう…。」
「行きずりの人?」
「うん…。」
「まあ、あの人、全然知らない人なの…!?」
世樹子が云った。
しばらくして柳沢が戻って来た。
「上がって、珈琲の1杯でも飲んで行く様に云ったんだけど、電車がなくなるからって…。」
「まあ、沼袋の人じゃないの?」
「うん。
西武線のまだずっと先の方の駅だって云ってた。
それで、沼袋駅まで送って来た。」
「優しい人なのね…。
良かったわね、鉄兵君。」
「鉄兵、もし俺達が居なかったら…?」
「こんな状態で、何かできると思うか…?」
「まあ、そうだな…。
『PePe』の前の階段を這ってる処を、助けられたんだってな?」
香織と世樹子は笑った。
「今夜は相当呑んだみたいね。
作品名:愛を抱いて 19 作家名:ゆうとの