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Twinkle Tremble Tinseltown 8

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 古い歌を口ずさみ、掌に乗せられた青い六角形の錠剤を数度転がす。口に放り込む動作は思い切りがよかった。水すらも一滴残らず飲み干して見せる。
「黄金は幸せを運んでなんか来ちゃくれない」
 看護士が指示を出すまでもなく大きく口を開いて自ら舌をつきだし、それから持ち上げてみせる。明らかな含みを持つ仕草に眉根を寄せたのはワックだけで、確認を終えたモニークはただ満足気だった。
「ご機嫌ね」
「風が吹いて春が来た」
 指さした方を見つめ、モニークはああ、と頷いた。
「最近貴方が、ミスター・ムーアを怒らせるような真似をしてないから」
「友好条約を結んでる」

 頬杖をついたリーの気が削がれている間、ワックには手を考えるだけの余裕が十分あった。一度動かそうとしてから思い直し、触れる前に手を引っ込める。チェッカーは典型的な二人零和有限確定完全情報ゲームだ。お互いが最善を尽くせば勝負は必ず引き分けになる。
 だが今回、ワックがいくつかのミスを犯していることは間違いないし、リーの気分もそぞろ。試合の行方はまだまだ二転三転を繰り返しそうだった。
 脳を覆う霞は、少しずつだが蒸発し始めている。切れ目から覗いた盤の市松模様が、不意に露出過多の状態から原色へと変化する。ワックはむくんだ手を動かし、駒を移動させた。ぱちりと響いた固い音に、リーが緩慢な動きで視線を移動させる。
「あー、やられた」
 赤い駒を二つ取り上げたワックに、リーは喉を逸らしてため息をついた。
「ボケてるから気づかないと思ったのに」
「友達にそんなこと言っちゃいけません」
「友達なの? 僕ローレル、君ハーディ」
 顎だけでワックを示し、役目を終えた駒を親指で弾く。テーブルの上で軽快に回るうち、背中合わせの赤と黒は混じり合い、不快で鈍い色に濁っていく。
「うーん、ローゼンクランツとギルデンスターンかもね。哀れにも首を吊られる」


 比喩は現実と非常に近い場所へぶら下がっていた。お互い、高い金を払ってティンゼルタウン一の弁護士を雇ったから首が繋がっているだけの話。デンマークの王子の級友と同じく無知を振りかざし、そのまま何も知らずに死刑台へ向かっても何一つおかしくはなかったのだ。
「そうなると君はオフィーリアかなあ、いや、そんなタマじゃないし……ああ、マチルド!」
 ハムレットにそんな登場人物がいただろうか。内心首を捻るワックの疑問を、リーは看護士の手を取ることで速やかに解決した。
「僕が死んじゃったら切り落とされた首(しるし)に優しき口付けを、そのあと洞窟に持っていって埋めてね」
 あからさまな嫌悪の念を眉根に寄せつつもモニークはナイチンゲール憲章の精神に則り、その手に託された人間を突き放そうとはしなかった。
「僕のボニー・パーカーに、僕のハーレイクインに、僕のナンシー・スパンゲンになってくれる?」
 恋人と言うよりは母に対して行うよう、荒れた手の甲へ滑らかな頬を押しつける。肩が邪魔になり表情は窺えなかったが、垂れ下がった眉がその片鱗を微かに表していた。すっかり見慣れた、つかみ所のない薄笑いを浮かべているのだろう。
 だがワックは、普段虚とも実ともつかない事ばかり口走っているこの青年が、今ばかりは酷く真摯な態度で言葉を紡いでいると、確かに確信したのだ。
 もう少し頭がしっかりと動けば根拠が見つかるかもしれない。欲求とは裏腹に、思考は一定状態を越えると伸び、もつれ、そして訳の分からない形になって先細りに消えていく。
 もどかしさに短く切られた爪でテーブルを叩き、唇をへの字に引く。微かだが確かに耳へ障る音に、リーは顎へ皺を作りながら振り向いた。
「ちょっと待ってよ、今考えてるんだから」
「このままじゃ負けるわよ」
 ゲームの状況を認識しているとは到底思えない口調で、モニークは人間業の及ぶ限りさりげなく手を引き抜いた。
「私セックス・ピストルズは聞かない」
「悪くないよ」
 リーもとりたてごねることをせず、あっさりと掌を開いた。
「ここでは聞けないけど」


 口ではどれだけ言おうとも、既に彼は考えることを放棄して受付の方角へ遠い目を向ける。相変わらずくだらないことを喋っているらしい警備員の向こうに、鉄の扉が見えた。濁ったような群青色のペンキが剥げ、錆色の鉄を恥じらいもなく晒しているそれは、古さに相反して非常に頼もしい。腕が入るか入らないかという小窓にまで金網が張ってあり、その分厚さは、錯乱した連中が何度体当たりしたところでへこみすら付けないほど。
 カードを持つものだけが通行資格を持つゲートにその先の道筋を阻まれたことのない者など、入所者の中で誰一人として存在しないに決まっていた。

 見れば見るほど重苦しく陰鬱で、ワックは動きの見られないチェスボードで再び目線を落とした。どれだけ知恵を絞ったところで、これだけの負け戦を挽回する手だてはさっぱりないように思えた。

「今度出たらCD買ってくるよ。プレゼント」
「入所者から金品を受け取るのは規則で禁止されてるの」
「固いこと言うなよ、そんな柄でもないだろ」
 葡萄のように黒く、鮫のように光のない目玉を紺色をしたサージの制服に包まれた肩へ移動させる。休むことを知らない口角が柔らかく吊り上がり、ただでも大きな唇が裂けたように広がる。
「あいつにフラれてお気の毒様」
「別に」
 引き出されたままの椅子をテーブルへ押し込み、モニークは言った。
「何度も言うけど、彼とはそんな関係じゃないのよ」
「そうかなあ」
 弱い者をいじめる子供の瞳は、目尻に寄った皺によってのみその年齢をしらしめる。
「まあ僕としてはライバルが減っていいわけだけど」
 警備員が口を大きく開けて、芝居掛かった笑みを浮かべているのがこちらからでもはっきりと見える。
 最後にもう一度だけ目を眇め、この砦の外を守るために遣わされたデイビー・クロケットを見遣ってから、リーは手の中に収めていた駒を一時に投げ出した。耳障りな音を立てて丸いプラスチックは広がり、幾つかはテーブルの下へ落ちる。拾うことも食い止めることも出来たはずだった。だが結局英知は顔を出さず、散らばった駒たちをただぼんやりと見下ろしている自らの姿をワックは漠然と意識しているのみだった。
「赤と黒のもう一つの由来は?」
 リーの問いへ緩やかに首を振る。
「ルーレットの色だよ。一か八か」
 文学を志していた者にとってあまりにも初歩的な逸話を、彼は確かに脳へと収めていたはずだった。だが言葉にすることは出来ない。その事実に泣きたかった。無論、そんな気力がないことも分かりきってはいたが。
「To The Happy Few(少数の幸福な人々へ)。彼は見事幸運を掴み、そう言えるかな? まさか!」
 舌なめずりでもしそうな程、リーは看守の背中へねっとりとした視線を這わせた。
「ハムレットは最後、もう何も言うまいと呟きながら息絶えたんだよ」
 つらつらと流れる言葉はもう意味をなさない。時折どもり、癇に障る声音を作りながら、低い呟きとざわめきに満たされた部屋を滑っていく。首を振り降り去っていくモニークの後ろ姿も慰めにはならなかった。