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星追い人

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1章:ローグとガレン





 顎が外れるのではないかと思うほど大きな欠伸を浮かべた一人の青年が、日が暮れ始めた薄暗い林の中を歩いていた。林立している木々を避けながら、不安定な足場を悠々と歩き進めている。朱色の光に染まりつつある葉が、地面に影を落としていた。深い群青の色をした絹のような細い髪が、彼の視界で揺れる。彼の髪に葉が拾い損ねた光が当たると、赤く染まりつつある椛の色がふわりと浮かぶ。そして消える。ゆったりとした歩調の隣では、兎ほどの大きさをした角の生えた動物がせっせと歩いていた。白と淡い緑色の艶やかな毛が、優しい風に、ふわり、ふわりと揺れている。

「もっとゆっくり歩いてよ、ばか!」

 小さな男の子のような声が、その生き物から青年へと飛んだ。疲弊の色を滲ませた声を聞いて尚、青年は歩調を緩めない。そのかわりに、青年は歩きながら生き物の首を手で摘みウエストバッグの中へ押し込んだ。手荒な行為に悪態を吐きながらも、バッグの口から頭を出して楽な体勢をとっている。

「まだ村に着かないの?」
「喜びな、今日も野宿だ」
「さっさと歩けば着いてただろ!気分屋!」
「寝坊したのはどこのどいつ?」
「お前だよ!」

 青年は生き物の言葉に「そうだったかな」と頭を掻きながらほんの僅かにスピードを上げた。

「早く起きてれば、今日中に柔らかい布に包まれながら寝れるはずだったのに!ローグは日が高くなっても起きないし、野犬に襲われそうになるしで、本当に散々だよ」
「野宿いいじゃないか。ガレンもたまには金稼ぎしろ」

 一人と一匹が諍(いさか)いを繰り返し、林から抜けた時には太陽が山の陰に隠れてしまっていた。名残ともいうべきトワイライトの光がちらちらと顔を覗かせている程度で、時間を経ずにそれもまた隠れてしまうだろう。ローグと呼ばれた青年は、林の出口近くに落ちている細い木々を拾って、山のような形を作り始めた。それを見たガレンという生き物は、心底疲れた表情を見せて腰を下ろした。黙々と作業を続けるローグを横目に、丘の先へと視線を向けた。ぽつぽつと見える炎の光を、恋しそうに眺める。
 そうしている間に、ローグは手慣れた様子で火種を枯れ木の山の中央に入れた。静かに炎が移っていく様子を見て、ようやく腰を落ち着けたローグは、リュックから肉を乾燥させた物をガレンの口元に差し出した。ガレンはそれを嬉しそうに口に入れてから、残りの部分を前足で器用に挟み、噛み千切る。ぶっ、と小さな音を鳴らして切れた肉を、ほとんど咀嚼することなく喉へ運んだ。

「明日はあの村に行くの?」
「あれが村なら。それにしても…」

 一度言葉を切って、山間(やまあい)に点々として見える炎の光の、更に上に視線を向ける。完全に日が落ちてしまったせいで月明かりでしか見ることのできない、とてつもなく大きな影。

「あんなでっかい像を建ててあるなんてな。何を崇めているんだか」
「そもそもあれ、像なの?変な神殿とかじゃなくて?」
「像だろ。しかも神様クラス」
「なんでわかるの?」
「英雄があんなでかく飾られるわけないだろ。精々、神の横にちょこんとそれっぽく飾られるだけなんじゃないか」

 干したフルーツとパンを囓りながら気怠げに言うローグを見ながら、ガレンは感心したように声を漏らした。そして、干し肉を噛み千切った。

「そんな評価を受けるだけなんて、英雄も遣る瀬ないねえ。実在するかどうかもわからない神の横にちょこんとしか置かれないなんてさ!」
「重要なのは像の大きさじゃなくて、そいつが何をやり遂げたかに尽きるよ。僕はもう寝る」
「干し肉頂戴」
「木の根でも囓ってろ」

 ローグはリュックを枕代わりに横になって、それほど経たない内に寝息を立て始めた。ガレンが欲しがっている干し肉は彼の枕の中にあるため、ローグを退かせなければ中から取り出すことは叶わない。いつもより少し大きめの肉を寄越したからといって、今日の食事がこれで最後だというのは非常に不等である。そう結論付けたガレンは、ふて腐れながらも明日村に着いた日には豪勢な食事を要求しようと心に決め、欠伸一つ。燃えている火を地面の砂で消した後、腕の上に頭を置いて瞼を閉じた。
 翌日、朝日が瞼を叩いたため早く目の覚めたローグは、大きな伸びをしてから辺りを見渡した。皮脂で少しべたつく髪を人差し指で遊んだ後、重いリュックを背負った。バッグを腰に取りつけ、未だに寝息を立てているガレンの首を摘んでバッグに入れた。夢見心地のまま半目でバッグから顔を出したガレンは、大したことは起きていないと再び目を瞑り寝始めた。そんな彼をいいことに、ローグはリュックから干し肉を取り出し、しゃぶりながら肉を解し、食べた。昨日より速い歩調で丘の先にある集落を目指した。
 しかし、近付けば近付くほど家は見えず、かわりに威圧してくるように聳(そび)え立つ断崖と、その崖にぽっかりと空いている穴が見え始めた。昼頃ともなれば、崖の裾にぽつん、ぽつんと寂しげに建っている山小屋の出で立ちをした家と、家の周りを囲む広い畑が見えた。昨夜見た炎の灯りが崖の物だとして、平原に広がる畑を見る限り、中では数十人程度が生活しているのだろう。しかし、作物の葉はどことなく萎びているようにも見える。高く、高く腰を据えている崖を真下から眺めても、あの巨大な像が見えることはなかった。ローグは暫しその場で立っていたが、視線を感じたのか顔を僅かに動かし、視線を小さな林に向けた。小さな手が大きな幹を掴んでいて、赤い服の裾が風に揺られてふわりと見える。この集落の子供だろうかとそちらに足を向けた時。

「旅人様ですか?ようこそジュレルノ壁内集落へ!」

 しわがれた老人の声がローグの足を止めた。声のした方向へ体を向けると、山小屋から小走りで向かってくる、腰の曲がっているふっくらとした体を青い衣で包んだ背の小さい老人の姿があった。髪は薄く、昇った日の光を淡く反射している。

「こちらに宿はありますか?もしくは、泊めて頂ける家など」
「ありますとも、ありますとも!我が集落は旅人様を大いに歓迎致します!」

 にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべ、蓄えた髭を愉快に揺らしている姿。ローグは老人に軽く会釈をした。

「あの、差し出がましいですが、出入り口に近い場所にして頂いてもいいでしょうか」
「…というと?」

 不思議そうな声を上げてローグの表情を見る。ローグはあくまでも淡々と「深い意味はありませんが、狭い場所は苦手でして」と言った。その言葉に納得したように再び髭を揺らした老人は、案内すると言って踵を返し、ローグはその背中を緩慢な歩調で追った。
今日はお疲れでしょう、どんな国や街を回りましたか、一人で旅をしているのですか。歩きながらそう話しかけてくる老人を、相槌などで当たり障りなく受け流す。崖の中の通路は想像していたよりも広く大きかった。ローグはそれに安堵したような息を吐き、綺麗に整えられた通路をじっくりと眺める。丁寧に削られた壁には、褪せてくすんだ色で絵が描かれていた。

「それは樟石(くすのきいし)と顔料で描かれた絵かな」

 控えめな音が聞こえたと思い、ローグはガレンを肩に乗せた。

「樟石って?」
作品名:星追い人 作家名:海山遊歩