愛を抱いて 15
29. 欠員の補充
世樹子はマッチ棒を元の形に戻して、云った。
「次はマッチ棒を4本動かして、これをキリンさんにして欲しいの。」
「キリン？
豚がキリンになるのかい？」
「なるのよ。」
世樹子は豚をキリンに変えて見せた。
「素晴らしい…。
確かにキリンだ。」
「最後はねぇ、2本動かしてキリンを2頭にするの。」
香織が云った。
柳沢と私は全く解らなかった。
「駄目だ。
解らない…。」
「こうすれば、2頭になるわ。」
柳沢と私は、しばらくマッチ棒を見つめた後、声を出して笑った。
柳沢はマッチ棒を、6本並べて云った。
「5本加えて、これを9にしたいんだ。」
「9…？」
香織と世樹子と私の3人で考えたが、解らなかった。
「こうすれば、9になる。」
「なる程。
ＮＩＮＥか…。」
「次は2本動かして、1にするんだ。」
「解った…。」
香織がＮＩＮＥをＯＮＥにした。
「後1本動かせば、愛になるわ…。」
世樹子はそれを、愛に変えた。
9月24日、私は香織と中野サン・プラザで、ＲＥＯスピードワゴンのコンサートを観た。
「アウト・オブ・シーズン」が演奏されなくて、私は大変がっかりした。
香織は後期になって「高月庵」を辞め、代わりに早稲田通りのブロードウェイのそばにある「じゅん・じゅん」という喫茶店で、ウェイトレスのバイトを始めていた。
コンサートの後、我々はその店へ寄った。
「鉄兵ちゃん、コンサートどうだった？」
店のマスターが煙草に火を点けながら云った。
「あんなものだろうなって感じ。
外タレのコンサートは、手抜きが多過ぎる…。」
香織が珈琲を2つ煎れて持って来た。
「マスター、ちゃんと仕事してよ。
私、今日、バイトの日じゃないわよ。」
「香織ちゃん…、そんな冷たい事云わないで、俺もたまには、鉄兵ちゃんとゆっくり話させてくれよ。」
「いつも充分話してるじゃない。
悪い相談ばかりして…。」
「クラスに、盛んに誘いかけて来る男がいるんだって？」
私は香織に訊いた。
「あら、聴いたの？」
「とても、しつこいらしいじゃない。
一度ぐらいデートしてやったの？」
「まさか。
ただ、『私、付き合ってる人がいますから。』って云っても、諦めてくれないのよ…。」
「それは、本当に君の事を気に入ってるからだよ。
君はその男を、全く嫌いなのかい？」
「視るのも厭ってわけじゃないけど…。」
「じゃあ、あまり邪険に扱っては可哀相だ。」
「仲好くしてやれって云うの？」
「そうさ。」
「別に、仲が悪いってわけじゃないわよ。
普通に話かけられれば、ちゃんと話もしてるわ。」
その男の噂が私の耳にまで流れて来た時、私は、自分に粉をかけて来る男がいる事実を私に示したいという、彼女の隠された意志を感じ取っていた。
「自分の事を真剣に思ってくれている人間を、粗末に扱ってはいけない。
愛してくれる人に応えられないのなら、なおさら、大事に接しなきゃ…。
その男と、一度デートしてやれよ。」
「他の男とデートしろって云うわけ？」
香織は不機嫌そうに云った。
9月25日、出欠の確認がある3限目の授業が終わると、私は学生ホールへ行った。
「よお。
ちゃんと代返しといてくれたか？」
サークルの溜り場に1人座っていた、淳一が云った。
「ああ。
お前、学校に来てたのにサボったのか？」
「いや、15分ばかり前に着いたんだ。
ゆうべ呑み過ぎて、寝過ごした。」
淳一は、机の上に乗せていた足を下ろした。
「今夜、久しぶりに踊りに行かないか…？」
私は云った。
「いいけど…。
急に、どうしたんだい…？」
夏休みの前辺りから、私と淳一は、あまり踊りに行かなくなっていた。
元来、我々はディスコへ、踊る事を主な目的として行ってはいなかった。
「ストックの欠員を、早急に補充しておきたいんだ。」
「美穂の後釜を調達に行くのか…？」
淳一は、まだ3人もいるのだから焦る必要はないと、柳沢と同じ様な事を云った。
7人の彼女を作って、1週間ローテーションを組んでみたいと云ったのは、淳一であった。
彼はその頃、6人の彼女と言える女性をキープしていたが、恋人として一般的な形を整えられるのは、4人から5人が限度であるという実態に、我々は気づいていた。
その理由の大きなものは、時間的余裕もそうだが、何より金銭的余裕であった。
キャンパスを出ると、我々は六本木へ向かった。
金曜の夜なので、予想通り「マジック」は混んでいた。
「いいか、今夜は適当な処で妥協するんじゃなくて、とびきりいかした娘を慎重に選択するぞ…。」
私は云った。
云った側から淳一は、隣のテーブルの女性に話かけていた。
ＤＪの声に被さって、曲はリック・ジェームスの「スーパー・フリーク」に変わった。
私の決心は、なかなか着かなかった。
「いい加減、そろそろ決めてくれよ…。」
淳一が云った。
我々は水割に酔い始めていた。
「ドリンクを取って来る…。」
グラスが空いてしまったので、私はそう云って立ち上がった。
これ以上酒を呑むと酔っ払いそうなので、私はグレープ・ジュースを注文した。
その店のグレープ・ジュースは、ワイン・レッドの色をしていた。
「美味しそうな色ね…。
それ、何て言うの？」
カウンターの端にいた女性が、唐突に私に訊いた。
「ただのグレープ・ジュースさ。」
私は答えた。
「グレープなの…。
でも、変わった色ね。」
「飲んでみるかい？」
私は彼女の方へグラスを滑らせた。
彼女は頷いて、軽く一口、そのジュースを飲んだ。
「本当…。
グレープね。
美味しい。」
彼女はグラスを置くと、「私にもこのジュースを下さいな。」とカウンターの奥に向かって云った。
私は、彼女の前のグラスを手に取って、テーブルへ戻ろうとした。
「あ、口を付けちゃって御免なさい。
良かったら、今、新しいのが来るから、それを持ってらして。」
「構やしないさ。
俺に関心があるのかって思い上がっちゃうから、そんな気を使わないでいい…。」
「あら、思い上がりじゃなくてよ。」
彼女は申し分のない、スタイルとルックスをしていた。
「何だ、この野郎…。
ドリンク取って来るとか云って、1人だけ…。
ひでえなぁ…。」
カウンターの女性と一緒に、私がテーブルに戻って来たのを視て、淳一が云った。
「本当にドリンクを取りに行ったんだ。
そんなに怒るな…。
心配しなくても、彼女等は女の子ばかり4人連れだそうだ。
ここは狭いから、彼女達のテーブルへ移ろう。」
「それを早く云えよ…。」
淳一は煙草とライターをポケットに入れ、グラスを持って立ち上がった。
彼女は広いテーブルのある、奥まった方へ入って行った。
私と淳一も後に従った。
「鉄兵君…！」
突然、前方から呼び掛けられ、私は立ち止まった。
そのテーブルには3人の女が座っており、よく視ると、向かって左側の女は世樹子だった。