小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

いつか『恋』と知る時に

INDEX|8ページ/14ページ|

次のページ前のページ
 

(5)再 び





 午後六時を過ぎた頃、古びたオフィスビルから家路につくサラリーマン達が次々と出てくる。少し離れた路肩に車を止め、壽一は雅樹が出てくるのを待っていた。オフィスビルには彼が所属する法律事務所が入っている。
金曜日の夜に見かけて以来、雅樹の姿が壽一の頭の中から離れない。斎川茉莉絵と一夜を過ごしたその足で雅樹の住むマンションに向かったのだが、まだ夜も明けきっていないと言うのに、マンション一階からのエントランス・チャイムには反応がなかった。
 居留守を使われたのか、それとも戻っていないのか――壽一の胸に過ったのは、ホテルに向かう、雅樹ともう一人の並んだ後ろ姿。
 部屋のドアの前で帰りを、あるいは出てくるのを待っても良かった。しかしその週末は威一郎に同行するよう申し付けられていた。平日は一社員だが、週末は後継者としてあちこちの会合に連れまわされるのである。必ず女性に引合されるところを見るに、見合いの前哨戦も兼ねているのだろう。月曜の今日、壽一には午後から社用で外出の予定が入っていた。社用車のまま直帰することにして、雅樹の職場の前までやって来た。
 直前に事務所に電話を入れ、雅樹がいることは確認済みだ。
「今日、晩飯、一緒にどうだ?」
「明日提出する書類があって、何時に終わるか時間が読めないんだ。せっかく誘ってもらったのに悪いね。また今度な」
 断られはしたが、今日は何時になろうと待つつもりでいた。
 目当ての雅樹は午後七時を少し過ぎた頃に出て来た。三人連れで、一人は反対方向に分かれて行った。後の二人――雅樹達は壽一が車を停めている方向に歩いて来る。車から降りて、待った。
「ジュイチ」
 雅樹の目が見開き、肩が緊張するのがわかった。壽一が来ていることは思いもよらなかったのだろう。
 壽一は雅樹の傍らに立つ人物を見る。金曜の夜、一緒だったあの男に似ていた。スーツに雅樹のそれと似たような襟章が付いているので、彼も弁護士なのだと知れる。
「通りかかったら出てくるのが見えたんだ」
「電話、仕事先からだったのか?」
 社用車を見て雅樹が言った。
「そう。でももう終わった。送って行くよ。その前に飯でもどうかな。そちらもご一緒に?」
壽一はもう一人の男を見る。彼はぬいぐるみの熊を連想させる柔和な顔をしていた。
「一緒に」とは言ったものの、壽一の目は拒絶の色を帯びていた。よほど鈍感でもない限り、読み取れるに違いない。
「弟なんだ。秋月も良かったら」
壽一に続けて雅樹も誘ったが、秋月と呼ばれたその男は申し出を笑顔で断り、進もうとしていた方向を歩いて行った。
「乗れよ」
 先に車に乗り込み助手席のドアを開けると、秋月の後ろ姿を見送る雅樹を促す。雅樹は壽一を一瞥し乗り込んだ。秋月を威圧した目は、今度は雅樹に向けられた。そんな表情をする時の『弟』が引かないことを、『兄』は知っている。
 助手席のドアが閉まると、壽一は車を発進させた。途中、秋月を追い越す際、クラクションを鳴らすと、彼は気づいて手を振る。雅樹が手を振り返した。車はスピードを上げ、秋月の姿はアッと言う間に小さくなって消えた。
 ラッシュの時間からはズレたせいか、車の流れはスムーズだった。壽一は横目で雅樹を見る。雅樹は窓に顔を向けていた。
「あの男は、同僚だったんだな?」
「秋月? ああ、同じ事務所の弁護士だ。知っているのか?」
 口ぶりから察したのか、雅樹が問い返す。
「知らない」
 壽一はアクセルを強く踏み込んだ。車は加速し、急な角度で隣の車線に入ると、瞬時に二台を抜き去る。法定速度など、とっくにオーバーしていた。目の前に迫る信号が黄色に変わったが、減速する気配を見せない。
「ジュイチッ?!」
 車は赤信号になる前に交差点を渡りきり減速した。
「日本はせせこましくて運転した気にならない。時々、ぶっ飛ばしたくなる」
「だからって、事故でも起こしたらどうする気だ?」
「そんなヘマはしないさ」
 法定速度を保ったまま車は走り続け、繁華な区画を抜ける。すっかり黙り込んでいた雅樹だが、「食事は?」と口を開いた。壽一は答えない。食事は雅樹を車に乗せる理由に使っただけだった。
 ほどなく見えて来た高層マンションの地下駐車場に車は入って行く。壽一は濃いメタリックブルーの欧州車の隣に車を停めた。シートベルトを外し、後部座席から鞄を取るなど降りる準備を始める壽一に対し、雅樹は動かなかった。
「着いたぞ」
「ここは?」
「俺んち」
 帰国してから壽一は実家を出て独り暮らしを始めた。マンションは会社名義であるものを借り受けている。社用車を停めたのは来客用に確保したスペースだった。隣に停まる濃紺の車は壽一本人のものだ。
 壽一が降りようとドアを開けても、雅樹は座ったままだった。壽一は浮かした腰を戻し手を伸ばすと、彼の顎を掴む。それから引き寄せ、今しもキスが出来る距離まで顔を寄せた。その時、別の車が駐車場に入って来た。
「よせ」
 雅樹が顔を背ける。
「だったらさっさと降りろよ」
 壽一は彼の顎から手を外し、車外に出た。背後で雅樹が動く気配を感じ、ドアが開閉する音が続く。それを目で確認しロックをかけると、壽一はエレベーターの方に先立って歩き始めた。
 
 
 
 
 リビングの総革張りのソファはセミダブルのベッドとほぼ同じ大きさで、イタリア製の最高級品だ。青味がかったグレイの微妙な色合いと柔らかな手触りに父・威一郎が一目惚れし、入荷搬入まで一年近くを待ち手に入れた。この部屋を家具ごと借り受ける際には、くれぐれも疵をつけるなと厳命されたシロモノである。そんな面倒もあって、引っ越して一ヶ月近く経とうとしていたが、壽一はほとんどソファに座らない。
 そのソファに座らせるや否や、壽一は雅樹を押し倒した。逃げる顎を掴み強引にキスをして、彼のネクタイのノットに指をかけ緩めて解くと、一気に引き抜く。次にシャツのボタンに手をかけた。
「やめろ」
「あの時と一緒だな」
 八年前と同じだった。ソファかベッドかの違いだけで、こうして壽一は雅樹を眼下に置いた。「やめろ」と言った後は、雅樹はさして抵抗しなかった。
「あの秋月ってヤツにも、こうして身体を触らせたのか?」
 何を言っているんだと言う目で、雅樹が壽一を見る。
「先週の金曜日、二人でホテルに行っただろ?」
「ホテル? あそこのバーに飲みに行ったんだ」
「それにしては遅い時間だったけど?」
「あの時間からでもゆっくり飲めるところに入っただけだ」
 雅樹がボタンを一つ一つ外しにかかる壽一の手首を掴んだ。思いのほか強い力で、壽一は身体が泡立つのを感じ、一瞬、動きが止まった。半身を起こそうとして、雅樹の背中が浮く。それを壽一は再度、ソファに沈めた。
「どいてくれ」
 雅樹はシャツから壽一の手を引きはがそうと、更に力を込めた。壽一は彼に手首を掴ませたまま、強引にシャツの胸襟を開いた。
 引きちぎられたボタンが飛び、一つがガラスのテーブルの上を跳ねて行く。その音が、かつて雅樹に抱いた欲望を呼び起こした。消え失せ、忘れ去って久しかったものだ。
「ジュイチッ!」