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帰郷

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 朱音たちが帰ってきたのは下宿を出てからおよそ二時間後のことだった。陽人の言うように長い入浴で、思った以上に仮眠が取れた陽人の顔はスッキリしていた。
 朱音たちは帰り足で車を取ってきて、下宿でゆっくりする間もなく、出発する段となった。これも朱音が別れの際の湿っぽい雰囲気を嫌っての事で、篤信もそれを知ってて強く引き留めたりしなかった。
 篤信は二階の窓から身を乗り出して、階下にいる三人を見送る。
「頑張らないでよ。大事なのは普段通りだからね」
陽人は後部座席から身を乗り出して、右手で篤信の顔を指差す。篤信も答礼として同じ動作をする。
「今度は悠里と勝負してね」
助手席の悠里も兄を真似して左手で同じポーズをして見せる。
「今度はゆっくりおいでよ」
篤信は笑顔で弟分と妹分にまたの再会を促す。見れば見るほど仲のいい兄妹だ、陽人は悠里に何やら耳打ちしているのが見える。
「帰ったら連絡するね」
 朱音は運転席の横に立ち、篤信に手を振る。
「気を付けてよ」
篤信は一本指を二本に増やすと、朱音は笑顔で握り拳を見せた。陽人たちには姉の顔が見えないけれど、湿っぽい雰囲気を嫌って気丈に振る舞っているのが声色で分かる。
「さあ、行くよ。みんな徹夜だよ。悠里、忘れ物なーい?」
 朱音は車に乗り込みハンドルを握ると、威勢良く声を出した。
「あ……」
朱音は悠里の顔を見るなり、妹が何故声を出したのかがすぐに分かった。
「私、眼鏡忘れたみたい」
 銭湯帰りの悠里はよく忘れ物をするが、眼鏡はあまりないパターンだ。
「えー、悠ちゃん。何で忘れんの?いつも掛けとうのに」
「ごめんなさい、お姉ちゃん取ってきてよ」
「もぉ、待ってな。取ってきたげるから……」
朱音は膨れっ面をして車から下りて、少し怒ったようにドアを閉めた。その音が狭い路地に響いたかと思うと、朱音はもう車の傍には居なかった。

「――クックックッ」
 さっきまで笑いを堪えていた陽人が我慢できなくなって、後部座席で転がり出した。
「お兄ちゃん」
「悠里ぃ、それはちょっとわざとらしくないか?」
再び裏の階段の方へ回っていく姉の後ろ姿を見ながら、陽人は手の甲で妹の腕を叩いてツッコミを入れる。
「エヘヘ、咄嗟に思い付かなかった」
悠里も舌を出して笑いながら自分の頭を掻いて陽人に謝りながら、上着のポケットから眼鏡を出して、いつもの悠里に戻った。
「上手くいくかな、お姉ちゃん」
「ほんまやね、どっちも一途やわ」
「一途って?」
「お互いに一番大切なんだよ……」
 陽人と悠里は、家庭がバラバラにならずにこうしていられるのは、朱音の存在があったからだと疑わない、それは尊敬に値する。だけど日頃の感謝を伝えにくいし、恥ずかしさもある。そこで思い付いたのが、姉が躊躇して出来ないことを後押しする、これが自分達に出来る一番の感謝だと思い、朱音を再び篤信のもとへ走らせたのだった――。

   * * *

「ごめんね、篤兄ちゃん」
朱音は再び下宿の戸を開けた。
「悠里が眼鏡忘れたって。ごめんね、至らない妹のせいで――」
「そなの?」篤信は周りを探すが見つからない。
そもそも眼鏡は悠里が持っており、見つかるはずもない。そんな事を知らない篤信は悠里が忘れそうな場所を点検していたが、ふと窓の外を見た時に動きが止まった。
「ははは、悠里ちゃんも可愛い嘘付くんやねぇ」
「えっ?」
「ほら、見てみなよ」
篤信は高笑いしながらカーテンを少し開けて、外を見るよう促す。部屋の奥に入り、車で待っている弟妹が何やら話している、というより篤信と目が合ってニコリと微笑み掛け、二人揃ってさっきの別れの挨拶のポーズを決めた。
 朱音は靴を脱いで、部屋の奥に入り少し開いたカーテンの外を見た。
「ああっ」
朱音の目にハッキリ見えた。悠里は眼鏡を掛けているではないか。しかも二人は朱音に気付いていない振りをして、そっぽ向いている。
「やられた……」
「素直に言うと照れるんだろうね。二人は音々ちゃんが好きなんだよ」
篤信が言うと、朱音ははにかんだ笑顔を見せる。
「僕にはきょうだいがいないから、羨ましいんだ。嫌な時もあるだろうけど、それ以上に良いことあるでしょ?」
篤信は朱音の後ろから、右手を朱音の右肩に置いた。
「そうね、陽人と悠里がいるから私もここまで折れずにこれた」
朱音はそう言って背中を押してくれた弟たちに敬意を払い、カーテンをゆっくりと閉めた。
「まだまだ手は掛かるんやけどね、二人とも……」
朱音は右肩に乗った篤信の右手に自分の左手を合わせた。今までの家庭での辛い記憶が次々と浮かんで来た。しかし今は辛く感じない、
「陽人たち待っとうから、最後に一つだけ」
照れ臭そうに笑い、篤信の手を取ったまま朱音は後ろを振り向いた。
「篤兄ちゃん、私ちゃんと待ってるよ。――だけどそんなに長くは待てないかもだけどね……」朱音が篤信に与えたのはプレッシャーではない、安心と冗談混じりの激励であった。朱音の目が笑っている。
「朱音ちゃん――。あのね……、わわっ」
篤信が何か言おうとしたが、その前に朱音は篤信に抱きついたので何も言えなかった。
「あのね、篤兄ちゃんのことは『好きだ』なんて言葉じゃ収まり切んないんだよ」
「音々ちゃん――」
 篤信も朱音を強く締め付けるように受け止めた。時間にしたらほんの僅かだった。お互いに言いたい事は一杯あったけど、言えなかったのではなく、今に限って言えば言葉にする必要なんてなかった――。



作品名:帰郷 作家名:八馬八朔