帰郷
それから朱音は休憩室に入り、大きな溜め息をついて席に座った。その姿を遠くで見ていた同僚の智香が遅れた昼食を手に朱音の前に座ってきた。
「よっ、朱音。どうしたの、大きな溜め息なんかついたりして」
「はぁ、見られてた?」
智香は朱音と同期入社だ。今は出来上がった英訳文をパソコンでレイアウトして冊子を作る仕事をしている。最近朱音の書いた書類が回ってこないので、彼女が最近スランプなのがわかっているようだ。
「主任の決裁が厳しくてねぇ」
朱音は同僚を前にふと本音が漏れる。そして自分のしていることが間違っていないことを付け加えるのを忘れない。
「フォローはして貰ってるけど、アタシ的にはね、今までの見たことないようなモノをつくりたいのよ。取説って蔑ろにされやすいから、それを読んでもらえるような……」
今の仕事が嫌いではないが、本当は取説のような淡々とした文章ではなく、詩や物語といった行間のある文章の翻訳をしたい。抱く夢はそれなりに大きいが、今の仕事もこなせないようならそれも遠い夢だ。智香も朱音の言うことには納得して一緒に頷いている。
「でもさ、アタシって会社では身上で偏見持たれてるんかな?」
「偏見?」
「クォーターだから?外国に住んでたから?それだけで言葉がわかるなんて大間違いだよ」朱音の息が荒くなり始めた。
「ちょっと、朱音――」
「ごめん、でもねこれだけはわかって欲しいの」
朱音はこんこんと説明をする。言葉に詰まることなく次々と喋りまくる。彼女は今まで何度もこの説明をしているんだろうなと智香には見てとれた。
外国に住めば現地の言葉がわかるというのは偏見でありいずれも間違いということ。言葉を理解するのは教育を受けたからであり、さらに言葉を駆使するために自ら勉強を続けているということ。始めからできたのではない、学校で勉強したから理解ができるのだ、と。
「基本的に人って偏見持たれたら変えらんないんだよ。同じ言葉でも言う人で意味合いが変わってしまう」
朱音の経験がそのような答えを導いた。
「アタシもそれなりに考えて翻訳しとうんやけどなぁ……」
朱音の言う考えと会社の言う考えとは歯車が噛み合っておらず、今のまま頑張っても空回りを続けることには本人は気付いていない。
「朱音ぇ、ちょっと落ち着こうよ。私は朱音がそうやって挑戦するところはスゴい好きよ」
智香は朱音を宥め、話題を変える。
「そんな時はストレス発散しなきゃ。ところで朱音は今日空いてる?段取りしたげよか?」下がり調子の朱音を見ると智香はよく誘ってくれる。何がとは聞かない、智香が言うそれは合コンのことだ。
「今日も行くの?あんたも好きねえ、ていうかそんな話がよくあるわねぇ」
「そういや朱音には浮いた話って全く無いわよね。」そう言いながら朱音の顔をじろじろ見る「興味ないの?もしや朱音――」
朱音は一歩後退り、両手を振って答える。
「あのね、私は――」苦笑いをした。
「興味がなくはないけど、今は人と付き合う余裕がない。それに今日は家の事もあるし、クルマにも乗るし、それに、お酒飲んだら失敗するから……」
いつもの言い訳で誘いをかわす。
「そうだったわね。朱音も偉いよね、仕事のあとに家事までするんだから……」
「ううん、必要からすることやしね」
「でも、都合のいい時は言ってよ、段取りするからさ」
智香にとって朱音は重要なカードだ。見た目も持ってる話題なども合コンするには合格点を着けている。
「えへへ、ありがとね」朱音は段取りを取ってくれることにではなく、同僚の気遣いに感謝した。
程なく上司が朱音を呼ぶ声がした。いつもの電話ヘルプだ。
「はーい、今戻りまーす。」暫しの休憩を終えて朱音はデスクにかけ戻って行った。
「人って変わらない――」
朱音はそう考える。自分がクォーターで、外国育ちである事は変えようのない事実だ。人の性格も同じようなものだと言う。それでも現状を打破すべく効率悪くもがいていることは自分がよく知っている。
ただ、自分の考えが相手に壁を作らせていることには今の朱音には気付いていないようだ。