帰郷
「篤兄ちゃん――、入るよ。」
篤信が部屋に戻った数秒後、朱音が部屋に入ってきた。
「音々ちゃん。」
篤信は朱音の姿を改めて見た。これから長い運転をするためか、化粧はしておらず服装も普段着で、先日三宮で会った時とは雰囲気が違い、前より幼く見える。
「言いたい事って何?」
朱音は昨日の言葉を覚えている。そしてそれが食卓を囲んだあの状況では言いにくいのは安易に想像できる。篤信は朱音と目を合わせづらそうにしているが、朱音はその目を捉えて離さなかった。
「実はね……」
篤信は重い口を開けて、朱音の顔を見た。朱音が見た篤信の目は、上京する前のしっかりとした目で、朱音はとても懐かしい感じがした。
「何?何でも言って。」
朱音は篤信に安心を与えようとした。心配の目で見ると篤信が引っ込んでしまうことを覚えたからだ。
「学校――、卒業出来そうに、ないんだ」
朱音は驚かない、顔には絶対に出さない事はここに来る前から決めていた。朱音がその事実を受け止めようと努力しているのが篤信にはその顔で分かるだけに心が痛む。
「六年待って欲しいって行ったけど、もう一年、かかりそうなんだ――」篤信は朱音に背を向けて天を仰ぐ「ごめんね。いずれは言わないといけなかったんだけど――」
朱音は篤信の背中を見ながらその告白を聞いた。朱音も多少の覚悟はしていたが、現実を聞くとやっぱりショックだった。しかし、自分以上に篤信がの方が辛いはずだ。朱音の知る限りでは彼にとって初めての挫折、篤信の肩が微かに震えている。
「篤兄ちゃん……」
朱音は両手で篤信の背中を押さえて、振り向かせないようにした。
「あのね、私の知ってる篤兄ちゃんはね、勉強がすごく出来て、近い将来お医者さんになるような人、じゃなくて……」
「音々ちゃん……」朱音の両腕に付加がかかる。
「いつも私に優しくしてくれる、前向きな人よ」
朱音が見ている篤信は、物心ついた頃から傍にいる西守篤信という幼馴染みの男であって、それは20年来変わっていない。
「今すぐにやり直すのはいつもの篤兄ちゃんだ。帰っちゃうのは寂しいけど、嬉しいよ。」
朱音は篤信が自分を取り戻そうとしているのが分かる。
「私の事は心配しないで。篤兄ちゃんが自分の夢を叶えてからでも遅くはないわ」
朱音は篤信の顔を見ることが出来ず、自分の背中を篤信の背中に合わせ、篤信の告白を精一杯に受け入れ、そして精一杯に堪えた。
居間から朱音を呼ぶ声が聞こえた。
「先に行ってるね」
朱音は篤信に背を向けたまま部屋から出て行き、その時に部屋の入口にある電灯のスイッチをオフにした――。