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愛を抱いて 9

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17. 御対面事件


 「鉄兵…。」
香織の声で私は眼を覚ました。
「そこは暑いから、布団の方で寝れば?」
「…、うん…。」
「彼女、帰っちゃったわよ。」
「…え? 
ああ…、そう…。」
私は起き上がった。
「まだ眠いんでしょう?」
「…まあね。」
私は煙草に手を伸ばし、一本くわえた。
「寝ないの?」
「うん。
これから寝ると、汗を掻きそうだ。」
私の部屋は朝日がまともに差し込んだ。
「はい、これ…。」
香織が差し出した紙切れを、私は受け取った。
それには説子の字で、昨夜の御礼とお詫びが書かれていた。
「あなたを起こそうとしたんだけど、彼女が起こすのは悪いって云うものだから…。」
説子は眼を覚ますと、頭が痛いと云ったが、バイトがあるので失礼するわと告げ、私に手紙を書いて帰って行ったそうだった。
「二日酔いでアルバイトか…。
彼女も大変だな。
おはよう、ノブちゃん。」
「あ…、おはようございます…。
ゆうべは布団を取っちゃって御免なさい。」
ノブは香織の横で、相変わらず微笑みを浮かべていた。
「君はお客さんなんだから、布団を使って構わないんだよ。
ただ…。」
「どうせ私は客じゃないわよ。
でも私はノブの好意で布団に入れてもらったの。
あなたも頼んで、入れてもらえば良かったのに…。」
「頼もうとしたんだけど、二人ともグーグー寝てたからさ…。」
ノブはうっすらと頬を赤らめた。
そして私は腹が減ったと云った。
「そうでしょうね。
ゆうべは御苦労様だったもの。」
時計を視ると、9時15分であった。
「赤いサクランボ」へ行こうという事になったが、ノブは自分はいいから二人で行って来て欲しいと云った。
「どうして? 
三人で行こうぜ。」
「そうよ。
ノブ、行きましょう。」
ノブは我々に遠慮しているのか、自分は部屋で待っていると重ねて云った。
私と香織の二人でモーニングを食べに出かけた。
「ノブったら、何遠慮してるのかしら…?」
「でもノブちゃんてさ、始終にこにこしてるね。」
「そう…?」
「元々そういう顔なのかな?」
「どういう意味? 
彼女に失礼じゃない?」

 「あなた高校時代、バスケット部だったんですって? 
栗本さんだっけ? 
彼女から聴いたわよ。」
私と香織は「赤いサクランボ」を出て、三栄荘に向かっていた。
「彼女も途中まで、バスケ部にいたんですってね。」
「ああ。
彼女は膝を悪くしてね。
それで辞めたんだ。」
「まあ、そうなの…。」
空は雲一つなく、よく晴れていた。
昼からまた暑くなりそうだった。
「でも驚いたわ。
あなたって、スポーツ・マンだったのね。」
「あれ? 
そうは見えなかったかい?」
「だって不健康な生活ばかり、してるじゃない。」
「運動神経は良い方なんだぜ。」
我々が三栄荘の門の前まで来た時、中から一人の女性が出て来た。
「あ、鉄兵…。」
その女が私の名を呼んだ。
美穂だった。
私は愕き、一瞬彼女がなぜここに居るのか解らなかったが、すぐに思い出した。
その日は、美穂と鎌倉へ行く約束の日だった。
香織は私のそばから2、3歩離れた。
「あら、お友達?」
香織が私に訊いた。
「ああ…、大学のサークルの…。」
私は云った。
まさに、青天の霹靂であった。

 その光景に私は、何とも云い難い違和感を感じていた。
美穂と香織が、向かい合って座っていた。
ノブは香織の隣で、黙って様子を見つめていた。
それは私がかつて、想像した事のない光景だった。
「あの…、香織さん…、でしょ?」
美穂が云った。
「ええ。
名前を知っててくれて、ありがとう。」
「…どう致しまして。」
「そちらの名前を、まだ伺ってなかったわね。」
「ああ…。
同じサークルの富田さん…。」
私は美穂を紹介した。
「初めまして…。
学校はどちら?」
「学生に見えるかしら?」
「あら、御免なさい。
てっきり…。
じゃあもう、お仕事を…?」
「いいえ。
一応学生は学生だけど、代々木の東京観光専門学校。」
「ああ…。
専門学校なの…。」
陳腐だと、私は思った。
私はほとんど口を開かずに、煙草を吸っていた。
「とにかく、私は出直すわ…。
変な時に、来ちゃったみたいだから…。」
美穂はそう云って、立ち上がろうとした。
「あら、帰る事ないわよ。
用事があって来たんでしょう?」
「ええ、まあ…。
でも…。」
「帰るべきなのは私達の方だわ。
あなたはどうぞ、いて頂戴。」
私は黙っていた。
「さあノブ、帰るわよ。」
香織は立ち上がった。
「あ…、はい。」
ノブは慌てて自分のバックを手にした。
香織はさっさとドアへ歩いて行き、ノブも後を追う様にして、二人は出て行った。
美穂も立ち上がると、廊下へ出て、階段を下りて行く香織達に声をかけた。
「あの…、御免なさいね。」
「あら、どうして謝るの? 
謝られる筋合いなんてないわ。」
香織は振り返ると、きっとした調子でそう云った。
二人は三栄荘を出て行った。

 「彼女を怒らせちゃったみたいね…。」
部屋へ入り直してから、美穂は云った。
「御免なさい。
お取り込み中、失礼して…。」
「いや。
当然だが、悪いのは俺だ。」
ようやく私は口を開いた。
「そうよ。
いったい、どういう事? 
確かに約束したわよねぇ。」
急に眼を強張らせ、私を睨む様にしながら彼女は云った。
「ああ。
約束した。」
私は、約束をすっかり忘れていた自分を恨んだ。
(まるで、三流ドラマだな…)
香織の言葉も、普段の格調は感じられず、ただの厭味だったと私は思った。
「さてと…、どうする…?」
美穂は、座って窓の外を見つめながら云った。
「お天気は申し分ないんだけど…。
鉄兵ももう、シラけちゃったみたいね…。」
彼女の口調は、どこか淋しそうだった。
私は何も答えずに、洗面用具を持って部屋を出た。
1階の台所で、顔を洗い次に髭を剃った。
歯を磨いて部屋へ戻ると、トレーナーとジャージを脱ぎ、プル・オーバーのシャツとファーラーのスラックスに着替えた。
美穂は、まだ窓の外を視ていた。
「さあ、行こうぜ。」
私は云った。
「…行くって、どこへ…?」
彼女は振り返った。
「鎌倉に決まってんじゃん。」
「行ってもいいの?」
「君が行きたくなくなったのなら、仕方ないけど…。」
美穂は立ち上がった。
「さあ、行きましょう。」

 「でも今朝は驚いたわ…。」
鎌倉の帰りに、電車の中で美穂は云った。
「ノックしたら、知らない女の子が出て来るじゃない。
一瞬、部屋を間違えたのかと思ったわよ。」

── ノブは美穂に 「彼は朝食を食べに出かけたけど、もうすぐ帰って来ると思います。 どうぞ部屋に入って待っていて下さい。 私はその、彼の友達の友達で、偶然今、留守番をしているだけだから…。」 と、云った。
作品名:愛を抱いて 9 作家名:ゆうとの