愛を抱いて 8
15.同窓会の夜
「本当に君は、二人が帰って嬉しいという顔をしてたな。」
山手線の中で、私は云った。
「あら、そうだった…?
別に嬉しいって事はないけど…、ただあなたの部屋へ、一人では行き難かったのよね。」
「柳沢がいるから?」
「まあ…ね。
私の部屋には世樹子がいて、あなたの部屋には隣に柳沢君がいて、私達って恵まれないカップルだと思わない?」
「俺は別に気にならないけど…。」
電車は池袋を過ぎた。
「でも柳沢君って、最近フー子に気があるみたいに見えない?」
柳沢は当初からフー子を嫌いではない素振りを見せたが、私と香織の事が発覚して以来、妙にそれを目立たせていた。
「君もそう思うかい?」
「じゃやっぱり、そうなのかしら…?」
「さあ?
分からないな。
俺達のために、わざとそう見せてるのかも知れない…。」
新宿駅に到着し、我々は中央線に乗り換えた。
中野で電車を降りると、南口の改札を出て、丸井の1階にある「オレンジ・ハウス」へ行った。
そこで私は、ヤカン、鍋等の台所用品とわずかの食器を買った。
「一度に全部は、とても買えないわよ。
差し当たり必要な物だけを買いなさい。」
香織は少しお金を出してくれた。
「悪いね…。」
「いいのよ。
どうせ私が使うんだから。」
我々は大きな袋を持って、「オレンジ・ハウス」を出た。
「これからは、鍋を持って三栄荘へ行かなくて済むわね。」
それまで私の部屋には、調理用具という物が何一つなかった。
柳沢は多少持っていたが、やはり不備な物が沢山あり、手料理大会の時には、彼女達がそれ等を持参していた。
食器類等は、持ち寄ったまま置きっ放しになっているのもあった。
三栄荘に一度帰って袋を置くと、我々は「西友」へ行き、調味料と今夜の夕食の材料を買った。
「同棲しようか?」
私は云った。
「気が変わったの?」
「何で?」
「あら、あなた、結婚すればどうせそうなるのに、若いうちから同棲する奴は馬鹿だ、子供が大人の真似をしたがるのと一緒だって、云ってたじゃない。」
「ああ…。
たしかに云ったけど…、君は同棲したいかい?」
「したいって事は、別にないわ。」
私は一応安心した。
しかし、彼女が間もなく、通い同棲的な事を始めるのは確実であった。
翌7月22日、私は東京にいる、広島の高校時代の友人達と、酒を呑んだ。
池袋の学生ばかりのパブでワイワイやっていたが、そろそろ帰ろうという頃になって、女性が1人酒に酔って潰れてしまった。
皆立ち上がったが、栗本説子は動けなかった。
「お前が呑まして、潰したんだろ。
ちゃんと送って行けよ。」
と水登が云い、私が彼女を送って行く事になった。
「まだ戻しそうかい?」
私は彼女に尋ねてみた。
彼女は何も答える事ができなかった。
小柄な彼女を抱きかかえる様にして、私はタクシーに乗った。
「彼氏いけないなあ…。」
運転手は云った。
彼女はたしか、赤羽に住んでいると云っていたのを思い出し、赤羽駅へ向かってくれと告げた。
私の腕に顔をくっつけて、彼女は眠っていた。
彼女のアパートの場所を訊き出さなければならなかったが、眼を覚ましてくれる気配は全くなかった。
私は諦めて、新青梅街道へ行く様、運転手に云った。
三栄荘の前にタクシーは停まった。
説子を抱えて門の中へ入った時、私は自分の部屋に明りがついているのに気がついた。
「拙いな。」と思ったが、仕方なく、彼女を連れて階段を上がった。
部屋には、香織ともう1人知らない女がいた。
「お帰りなさい。」
笑顔を見せながら香織は云ったが、すぐ説子に気がついた。
「彼女を寝かせるから、手伝ってくれ。」
私は云った。
香織は急いで布団を敷いてくれた。
説子は依然として眼を閉じたまま、意識がない様子だった。
「池袋で呑んでたんだけど、彼女が潰れちゃってさ。
みんなに送り役を押付けられて、仕方なく連れて来たんだ。」
説子を寝かせ終えてから、改めて私は事情を説明した。
「そうなの。
高校の同級生と呑んでたんだわね。
…御免なさいね。
黙って勝手に部屋にいて…。」
私は普段、部屋の鍵を靴箱の中に置いて外出していた。
「いつもの処に、鍵があったものだから…。」
「謝る必要なんて、全然ないさ。
それより今夜は、遊びに来たの?」
その夜、香織が私の部屋へ来る約束はなかった。
「違うの。
実は、世樹子がさ、自分の鍵を失くしちゃって…。
今夜は私の方が遅くなる予定だったから、彼女に私の鍵を渡したのよ。
そしたら世樹子が帰って来なくて、部屋に入れなくなったの。
フー子も居ないし…、それでここへ来たわけ。
本当に世樹子ったら…、何やってるのかしら…。
あなたも、ついてなかったわねぇ。」
「どういう意味だい…?」
香織の隣に座っている女は、ずっと黙って微笑んでいた。
「あ、この娘はね。
同じクラスの有吉信子ちゃん。
ノブって言うのよ。
今日ずっと一緒で、飯野荘に泊まってくはずだったの。」
「初めまして…。
突然、御免なさい…。」
有吉信子は会釈しながら、穏やかに云った。
時計は午前1時を廻っていた。
「悪いんだけど…。
迷惑ついでに、今晩泊めてもらえないかしら?」
香織は云った。
「それは勿論いいけど…。
ただ、布団が後1つしかないぜ?」
「悪いわね。
でも私とノブは、1つの布団に一緒に寝るから大丈夫よ。」
説子が微かに呻き声をあげた。
「だけど世樹子がもし帰ってたら、心配してるだろう?
電話してみた方がいいんじゃない?」
「心配させとけばいいのよ。
あの娘のせいなんだから。」
私は外へ出て、飯野荘へ電話をかけた。
世樹子は帰っていた。
私が状況を話すと、彼女は受話器の向うで疳高い声をあげた。
すぐ謝りに三栄荘へ行くと、彼女は云った。
私は、そんな事はしなくていいからと云い、「おやすみ」を告げて受話器を置いた。
煙草を買って、部屋へ戻った。
「世樹子、帰ってたぜ。」
「あら、そう。
で、どこへ行ってたって?」
「それは訊かなかったけど、君が帰って来ないんで随分心配して慌ててたみたいだ。」
「可哀相だったかしら…。
やっぱり可哀相なのは、私達の方よ。
ねぇ。」
香織はノブに云った。
ノブはただ、微笑んでいた。
「ノブはねぇ、あなたに逢うのを楽しみにしてたのよ。
あなたの噂を聴いて、興味を持ったんだって。」
「どうせ君が変な事ばかり話したんだろ。」
「あなた変な事ばっかり、云ったり、したりしてるじゃない。
嘘は云ってないわよ。
それに世樹子だって、あなたの事色々話してるみたいだし。
うちの学校で、私のクラスと世樹子のクラスでは、あなたはもう有名人よ。」
香織と世樹子は同じ専門学校に通っていたが、クラスは違っていた。
「ノブちゃん。
逢ってみて、俺はどうだい?」
ノブは困った様に少し間をおいてから云った。
「…素敵な人だと、思うわ。」
「噂通りの素敵な人って事かい?