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ガガーリン
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三島由紀夫と石牟礼道子の文学

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1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺を遂げたことを覚えている人は、少なからずいるであろう。その死で、三島が突き付けたものは、日本古来より伝わる武士道精神であり、天皇を共産主義者から守ることであった。おりしも日本は猛烈な経済成長の途上にあり、1967年生まれの、幼い私の脳裏には「帰ってきたウルトラマン」のあいまに、公害のニュースや学園闘争を横目に三島が割腹自殺をしたという事件が、焼き付いていた。
 三島の割腹自殺のニュースとともに、印象に残っていたのが「水俣公害訴訟」であった。その水俣湾に有機水銀が垂れ流されたのは、1959年がそのおこりであったが、訴訟が話題になっていたのは1969年のことであった。水俣公害訴訟の被害者が厚生省に乗り込んでいったことは石牟礼道子氏の「神々の村」に詳しく、生々しくしかも美しく描かれている。 
 私は三島事件の中に何をみるのかというと、それは日本が猛烈な勢いで工業化を推進していくなかで、日本人の美学である武士道精神が崩壊していったということだ。三島は文学、そしてそれの媒体である文字というものを、無意識のうちに血肉化していた。それは三島と同世代より以前の文学者が誰でも、そうであったのと同じなのであった。それは中島敦の「文字禍」にも表れている。そうした血肉と同等である文学が、日本の景色が、風光明媚な景観が、大工業化ともに、人間それ自身を人身御供にしながらその精神すらも破壊していったのではないか。その根拠とするのが石牟礼氏の「苦海浄土」である。
 いうまでもなく「苦海浄土」には水俣湾の漁民が大工場の垂れ流した汚水により、有機水銀によって人間としての尊厳を文字通り死守しつつも、人間の尊厳が破壊されていく人々の経過が描かれている。ユーモアある水俣漁民の会話の通奏低音には、水俣漁民と一体となった作者自身の死への不可逆の決死の突入を見て取ることができる。
 三島は古き良き日本を表現していった人であった。しかし大工業化と経済大国(その裏返しとしての拝金主義)の日本は三島の愛する日本とは大凡かけ離れたものであり、日本の武士道精神を体現するにはあまりにも、合理化したものであり、竹槍でもって爆撃機を相手にする、古風なものであった。そして三島のその血肉化した文学は同時に三島自身が血肉をもって体現するしかないものとなり、日本の風光明媚な古典文学に描かれている自然と人間との和やかな交流が大工業化していくその過程で荒廃していくことに耐えきれず、自らの割腹自殺に及んだと読むことができる。
 私は、三島が武士道精神の体現として「死」を選んだことには賛成できない。だが、自決というものは、非常に強力な動機を持たない限り、できることではない。私のような中途半端な人間には、不可能なのだ。三島の死は古き良き日本が崩壊していく断末魔の絶叫なのだ。古き良き日本の代償はかつて「三種の神器」といわれる電化製品という偶像にとって変わっていく。そして21世紀にはパソコン、携帯電話、スマートフォンが私たちの偶像となった。