愛を抱いて 7
13.前期終了コンパ
81年の夏は冷夏であった。
梅雨入りの後、6月中はほとんど雨が降らず、今年は梅雨がないのではないかと思ったが、7月になってから雨はよく降った。
梅雨明け宣言が出されてからも、しばらく雨の日が続いたが、雲の形は既に夏を告げていた。
テレビは冷夏だと云ったが、日中はさすがに暑くて外に出ていられなかった。
午後になると、我々はキャンパスを抜け出し、冷房を求めて喫茶店へ行った。
そして、アイス・コーヒー1杯で3時間ぐらい粘る事は、珍しくなかった。
中野にも夏はやって来た。
新しい季節を迎えて、街は装いを白く変えた。
「花火なんか買って、どうするの?」
香織が訊いた。
「みんなでやるのさ。
今夜。」
私は云った。
7月17日の夕方、我々はブロードウェイにいた。
「私が、やりたいなって云ったの…。」
世樹子が、香織の横にやって来て云った。
「馬鹿ね。
花火なんてできる場所、どこにもないわよ。」
「中野公園で、やろうかと思うんだが…。」
「冗談でしょ?
見つかったら、怒られるだけじゃ済まないわよ。
近くに交番があるんだし…。」
「そうね。
やっぱり無理ね…。
御免なさい。
私がその花火、買い取るわ。」
「東京の住宅街は、そういう事にうるさいのよ。」
「いや…。
俺は絶対やる。」
3人は玩具屋を出た。
「柳沢等は…?」
「本を買うとか云ってたわよ。」
書店から、柳沢とヒロシが出て来た。
「あれ?
本当に花火買ったの?」
柳沢が云った。
「私は、できるわけないって云ったのよ。」
「どうして?
やろうぜ。」
ヒロシが云った。
「ああ。
やるとも…。」
私は云った。
「どうしても、やる気なの?
お巡りさんに捕まっても、知らなくてよ。」
「平気さ。
鉄兵ちゃんは、中野の風を変えるんだもの。」
「何よ、それ?」
「ディスコ大会の日に、鉄兵ちゃんが云ったのさ。」
「住民エゴじゃないの?」
「そう云えば、何か変わって来てる感じがするわ…。」
世樹子が云った。
「三栄荘の辺りが、うるさくなっただけよ。」
私は黙っていた。
私は街の風を変える事など、本当はできはしないと思っていた。
中野の風は、今月に入って既に変わっているのを、私は知っていた。
人間が街の風を変える事など決してできない、街の風が人間を変えるのだと、私は考えていた。
「ねえ。
あなた本当に、そんな事云ったの…?」
香織が訊いた。
我々は、フー子がアルバイトをしている地階の喫茶店へ向かった。
三栄荘の南側のすぐそばを、小さな川が流れていた。
川と言っても、水の下はコンクリートだった。
その川に架かっている短い橋の上で、その夜我々は花火を楽しんだ。
次週からは夏休みだった。
フー子は日曜までバイトをやり、月曜には群馬へ帰省すると云った。
「フー子ちゃん、もう帰っちゃうの?
淋しいな…。」
「少しでも早く、群馬の彼に逢いたいわけ?」
「別にそうじゃないわよ。」
その年初めて視る花火は、控え目な華やかさがあった。
警察官は来なかった。
最後に残った線香花火に、我々は火を点けた。
「私、これが一番好きよ。」
花火大会の間、一番愉しそうだった世樹子が云った。
「地味でつまらないよ。」
「そう?
でも可愛いと思わない?」
「地味に長くやってくより、パッと派手に一瞬輝いて消えたいな。」
「私は長い間、小さく光っている方がいいわ。」
「これ視てるとさ、精子溜りを連想しない?」
光った後に残った、赤い玉を指して私は云い、ひんしゅくを買った。
「線香花火って、何か哀しいわ。」
香織が云った。
「どうして?」
「どうしてか分からないけど、視てると哀しくなるのよ。」
「たしかに可哀相な処はあるよな。
あまり人気ないって感じで…。
今夜だって最後に残ってたから、仕方なく火を点けてる様なものだし。」
「私は違うわよ。
一番好きなものを、最後まで取っておいたのよ。」
いよいよ最後の1本となった線香花火を、我々は黙って見つめた。
そしてそれは、世樹子の手の下で静かに消えて行った。
7月18日、大学の前期が終了し、夜、打ち上げが行われた。
私のクラスは男ばかりのクラスだったので、文学部の美穂達を誘った。
淳一以外の者は、美穂とその友人達に逢うのは初めてだった。
「何か合コンみたいね。」
「みたいじゃなくて、合コンさ。」
「まあ、嬉しい。
同じ大学の私達と合コンしてくれるの?」
「たまには、いいさ。」
土曜の新宿は物凄い人出だった。
我々は、予約してあった「大学いもパート2」へ行った。
「乾杯」の合唱で、打ち上げは始まった。
「あなた達、毎週合コンをやってるんだって?」
「合コンのプロね。
今夜は期待しちゃうわ。」
「期待されるのは嬉しいけど、俺達は全員童貞だぜ。」
「まあ、本当?」
「期待と童貞と、どういう関係があるの?」
「童貞同盟というのを、結んでるんだ。」
「童貞を守ってるの?」
「ああ。
全員、夢多き童貞さ。」
「気持ち悪い…。」
「大学いも」は学生に人気の居酒屋風パブであった。
広い店内はいつも、大学生の集団で満員だった。
気がつくと、柴山が立ち上がっていた。
6月頃から、彼は合コンで常に一気の鬼と化した。
「今日のお酒が呑めるのは!
柴山さんのおかげです!
そおれ、一気!
一気!
一気…!」
我々は手拍子と合唱をした。
「法学部って、頭良さそうな感じね。」
「そうかい?
俺達は馬鹿だぜ。」
「あら、御謙遜。
うちの大学で、一番偏差値高いじゃない。」
「俺達は、この学部に魅力を持って入ったわけじゃないさ。」
「そう?
でも卒業したら法学士でしょ。
やっぱり司法職なんかを、目指してるの?」
「まさか。
ただのサラリーマン養成学部さ。」
次々と酎ハイのお代りが運ばれて来た。
「大学いも」を出ると、酒の呑める処は多分もうどこも満員なので、我々は喫茶店へ行った。
女性は一般にあまり酒が呑めないので、彼女達を交えて呑む場合、多く合コンなどでは、二次会は一時酒を中止して喫茶店などへ行くのが普通だった。
三次会は、三栄荘で朝まで宴会と決まっていた。
喫茶店を出ると、我々は歓声をあげながら、沼袋へ向かった。
私の部屋では、柳沢が頼んでおいた通り、酒と摘みを買い揃えて待っていてくれた。
柳沢を加えて、宴会はスタートした。
初めから盛り上がりを見せたその夜の宴会は、途中で誰かが「踊ろうぜ。」と云い、ラジカセを鳴らし六畳の部屋で10人が踊った。
「私達…、」
和代が云った。
「何?
聴こえないよ!」
「私達!
馬鹿みたいかしら?」
「愉しくないの?」
「とっても愉しいわ!」
「なら!
馬鹿でも何でも、いいじゃん!」
「うおおっ!
今夜は朝まで踊り明かすぜ!」
淳一が、右手を振り上げて叫んだ。