セロ弾きのディレッタント
私が思うに、浅野さんは自分を捨てた父親より、母親を恨んでいるのではないだろうか。考えてみれば、母親はその原因を作ったとも言える。母親がもっと家庭を大切にしていれば、結果は違ったと思っているのだろうか。それとも、どこにいるとも知れない父親より、身近な母親が怒りをぶつける相手として手ごろだからだろうか。
どうやら、私の考えは当っていたようで、浅野さんが非難する相手は、母親ばかりだった。時々思い出したように父親のことも罵倒したが、それには感情が乗っていないように思えてならなかった。やがて、彼女は眠ってしまった。部屋に運ぼうとしたが、私に触られるのは不快かと思い、誰か女の人に頼むことにした。
田井中と佐山さんは、もう眠っているようだった。Kさんの部屋に行くと、気配がしなかった。リビングに行くと、いた。一枚の写真を眺めていた。
「Kさん、浅野さんを運んでくれませんか?」
私が頼むと、Kさんは快く引き受けてくれた。運び終えた私たちは、どちらも眠れなかったので、半分ほど残っていたボトルを飲んだ。
「清華ちゃんとは、どんな話を?」
Kさんから聞かれたので、私はすべてを話した。私は聞き役に徹したが、それを人に漏らさないとは一言も言っていない。浅野さんが勝手にそう思っただけだ。
聞き終えたKさんは、小さな溜息をついた。
「清華ちゃんは、お父さんのことが好きなんだ。だから、お父さんがいなくなる原因を作ったお母さんを嫌いになろうとしている」
「では、心からは嫌っていないのでしょうか」
「そうだ。肉親を心から憎むなんて、相当のことがないとできない」
静かだが、とても強い口調。それは断言だった。
Kさんは私を見た。そして、ゆっくりと手を伸ばした。美しい指が、私の頬を撫でる。彼女の瞳は、どこか夢心地だった。今なら許されるのではないかと思い、私は彼女の身体を引き寄せた。抵抗はなかった。
「公二郎君。清華ちゃんは、君に気を許しているんだろうね」
「そうでしょうか」
「そうさ。こればっかりは、君には敵わない」
その言葉を聞いた私は、何故か悲しい気持ちになった。Kさんに認めて貰えたのに、どうして嬉しくないのだろうか。
「清華ちゃんのことは、君に任せても構わないかな?」
あり得ない。私は断ろうとした。だが、浅野さんの表情が脳裏に浮かび、責任は持てませんが、と前置きして引き受けてしまった。
「ありがとう。大丈夫。きっと君なら、彼女を導くことができる」
Kさんの指が離れた。
「そろそろ、離れてくれないかな? 私は君のことは嫌いじゃないんだが、今はそういう気分じゃないんだ」
そう言われ、私は離れるしかなかった。
作品名:セロ弾きのディレッタント 作家名:霧島卿一朗