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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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 私は何も答えなかった。答えたくないわけではなかったが、別に答える必要もないと思ったので答えなかった。
 それでも、Kさんは特に機嫌を損ねた様子を見せなかった。引き続き私に話題を振ってくれた。この一時間足らずの夕食で、私たちはお互いについて多くのことを知れた。有意義な時間だった。
 やがて、柱時計が十時を教えてくれた。
「寝ます。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。片付けはしておくよ」
 その場をKさんに任せ、私は寝室へと向かう。着ていたものをすべて脱ぎ、ごみ箱へと放り込む。未開封の下着とパジャマを身につけ、先週新調したばかりのベッドへと潜り込んだ。
 常に規則正しい就寝と起床を守っている私は、今日も何事もなく眠りに落ちた。今夜はどんな夢が見れるだろうか。

 2

 Kさんの引っ越しは、滞りなく完了した。彼女の荷物は少なく、私たち二人だけで楽に運び込むことができた。
「お祝いをしましょう、Kさん」
 私はKさんに、彼女の引っ越し祝いをしようと持ちかけた。事前に予約しておいた店で昼食を取ろうと誘ったのだ。
「いいね。じゃあ、私が車を出すよ」
 ハイヤーでも呼ぼうかと思っていたが、よくよく考えてみればKさんには自家用車がある。真っ赤なスポーツカーだ。一度乗ってみたいと思っていたので、ハイヤーは呼ばずにそちらを選んだ。
 予約した店までは、車で片道三十分ほど。駅ビルの最上階にある。
「予約しておいた、常盤です」
 受付で名前を告げ、ギャルソンに席まで案内をしてもらう。私が予約する席はいつも決まっている。店の最奥の席だ。ここの景色を、私は気に入っている。特に昼の景色が好きだ。
「私は、高校がこっちだったんだ」
「通われていたのですか?」
「いや、寮生活さ。ミッション系の女子高で、校則が厳しくてね」
 当時のことを思い出したのだろうか、Kさんは何とも言えない苦笑を浮かべた。どれほど厳しかったのだろうか気になるところだ。
「私のところは、とても緩かったと記憶しています。制服の着こなしや、髪型について何か言われた記憶がありません」
「羨ましいね。自分で選んだ道とは言っても、あれは嫌だったよ」
 そう言えば、私の妹も学校の校則の厳しさについて、帰省するごとに不満を漏らしていたかもしれない。ミッション系の女子高というのは、どこもそんな風なのだろうか。
「何よりも嫌だったのは、制服のデザインだったね」
「そこまで嫌がるのですから、よほどみっともないのでしょう」
「いや、別にみっともなくはないんだ。生徒たちの中では、人気があったとも聞いているくらいだからね」
「では、どうして、Kさんはそこまで嫌うのですか?」
「私に似合わないからさ。あれはちょっと乙女チックすぎる」
 なるほど。確かに、Kさんにはそんなものは似合わないだろう。
 そんなこんなで、私たちはお互いの学生時代の思い出を語り合いながら、順に運ばれてくる料理を味わった。話していて分かったことだが、Kさんは私よりもいくつか年上のようだ。話題の噛み合わなさが、私にその事実を教えてくれた。
 食事を終え、会計を済ませようとレジへと向かう。私はいつも持ち歩いているクレジットカードで支払いを済ませた。すると、金額を見たKさんが自分の分は自分で出すと言った。
「今日は、お祝いです。だから、私に払わせてください」
「そうはいかない。私は、いきなり君の家に押しかけて居候をさせてもらっている身だ。だから、せめて食費くらいは自分で払わなくてはね」
 帰りの車で、私たちはそんな応酬を交わした。あまりにKさんがしつこいので、私はついに折れてしまった。仕方なく、彼女の手から現金をもらうことになった。
 これは困ったことになった。私は現金を持たない主義だ。だから、これを処分することができない。
「公二郎くん。私は、ちょっとお昼寝させてもらうよ」
 そう言って、Kさんは自室へ引っ込んでしまった。残された私は、チーズを肴に赤ワインを飲みながら、望まずして手に入れてしまった数枚の紙幣を眺めた。
 ふむ。考えてばかりいても仕方がないので、一枚を手に取って透かして見る。中央の部分に、人の顔が浮かぶ。私でも知っているほど有名な人だ。だが、具体的に何をした人なのかは知らない。
 そうやっていると、腕が疲れてきた。ずっと上げていたせいだ。気晴らしに、ラジオをつける。妹が買ってくれたものだ。適当に周波数を合わせてみると、ちょうど放送が始まるところだった。せっかくなので、聞いてみることにする。
「――さっそく、リスナーからのファックスを読みましょう。ええと、東京都にお住いの方ですね。私は、折紙に凝っています。ですが、彼氏は分かってくれません。そんな地味なこと、と言って馬鹿にします。何とかならないでしょうか、とのことです」
 折紙、か。そう言えば、小さい頃に使用人の誰かがやり方を教えてくれた気がする。あれは、鶴か何かの折り方だったはずだ。ちょうど、紙があるのだから、試してみることにする。
「なるほど、折紙ですか。僕はいいと思いますけど、彼氏さんには不評のようですね。自分の好きなことを恋人が理解してくれないって、結構傷つきますよね。僕にもそんな経験があります」
 細長い紙幣では、鶴が折り難い。それらしいものはできあがったが、これじゃない感が拭えない。これは何と形容すればいいのだろうか。紙幣の肖像画が微妙に見えているのが何とも言えず不気味だ。
 試行錯誤の結果、紙幣は折紙をするのに不向きだということが分かった。どうして、これほどまでに何の役にも立たない代物が世の中でありがたがられているのか、私にはまったく理解できない。
「――さて、では二通目を読ませていただきます」
 気がつけば、折紙の人の話は終わっていた。再度耳を傾けると、今度も悩みの相談だった。
「彼が蝉嫌いで困っています。子供の頃から蝉嫌いでしたが、最近は特にひどいです。何か直す方法はないでしょうか、とのことです」
 蝉、か。子供の頃に、弟にせがまれて取ったことがある。妹や母はとても嫌がっていた。男でも蝉嫌いはいるようだ。
 ラジオは、それから二通ほどファックスを読み上げてから終わった。最後の方で、次の放送は一週間後だと言っていた。つまり、週に一度この時間帯にやっているのだろうか。
 私は、夕食の席でKさんに蝉のことを尋ねた。嫌いですか、と。
「いや、昆虫は好きだよ。だって、私は生物の教師だから」
「女性は虫全般が苦手だと思っていました」
「多くはそうだろうね。だけど、私は平気なんだ」
 Kさんは微笑を浮かべ、トマトを食べようとした。だが、急に手をとめて何かを考え込むような仕草を見せた。
「蝉と言えば、ちょっとした思い出があるぜ」
 人の悪そうな表情で、Kさんは言った。
「どのような?」
「蝉嫌いの少年の話さ」
「どのような?」
「詳しく聞きたいのかい? じゃあ、片づけてからゆっくりと話そう」
 Kさんが食器を洗い終えるまで、私は晩酌の準備を整えた。ワインは昼に飲んだので、今度はブランデーを用意した。
「おや、いいブランデーだね。高かっただろう?」
「値段は知りません。適当に海外から取り寄せたものですから」