愛を抱いて 3
5.塩入りウィスキー事件
「ねえ、ディスコへ連れてってよ。」
富田美穂が私に云った。
大学の学生ホールにあるサークルの溜り場で、今まで喋っていた淳一と私は、顔を見合わせた。
「あなた達よくディスコへ行くんでしょ?
私達も一緒に連れて行ってくれない?」
「…ああ、好いよ…。」
学生ホールは、校舎の1階の、天井まで吹抜けになった、だだっ広いフロアであった。
そこに沢山の長テーブルと折畳みの椅子が置いてあり、色々なサークルの溜り場になっていた。
溜り場とは、サークルの部員が授業の合間や夕刻の暇な時に集まって来て、ミーティングや雑談をする場所である。
私のサークルも、その一画を占有していた。
「今夜?
今夜行くのかい?」
「駄目かしら?」
「いや…、ただ急な話だね。」
富田美穂は、同じサークルの1年生で、少し幼い顔立ちをした女だった。
「私と千絵ちゃんは大学生になったのに、まだディスコに行った事がないの。
お願いするわ。」
「どうする?」
私は淳一に訊いた。
その日5月26日、私は三栄荘で宴会の予定があった。
淳一は「俺は行ってもいいぜ。」と云い、私も「宴会は俺がいなくても、ちゃんと始まるだろう。」と考えた。
「OK。
行こう。」
「ありがとう。
嬉しいわ。」
私と淳一は、富田美穂、松山千絵の二人を連れて夕暮れのキャンパスを後にした。
電車の中で「ニューヨーク・ニューヨーク」へ行く事に決めた。
私と淳一は、新宿にあるそのディスコに、すでに何度も足を運んでいた。
「ニューヨーク・ニューヨーク」は、かなり広いディスコで料金が安く、フリードリンク・フリーフード制であり、何よりやって来る女の数が多かった。
新宿には、近くに「B&B」というサーファーディスコがあったが、私と淳一は全く面識のない女とセックスのできる確率は数に比例するとして、大衆ディスコは悪くないという見解を持っていた。
ただ「ニューヨーク・ニューヨーク」では、初め極少数であった我々が「テクノ」と呼んだモノトーンを基調にするファッションの連中が、次第にその勢力を増しつつあった。
私と淳一は、この連中を好ましく思っていなかった。
開店したばかりの時刻であったが、中へ入った。
他の客はまだ一人もいなかった。
我々は、焼きソバ、ピラフ、シチュー、サラダ等をテーブルに並べて食べ始めた。
「よく食べるのね。」
「だってこれが夕食だもの。
ディスコへ行く時はいつもフリーフードの店を選んで、夕食を一緒に済ませる様にしてるんだ。」
「テクノ」の連中は、小刻みに首を振りながら踊った。
踊り方だけは、「ツバキハウス」のヘビメタの連中に似ていた。
喰えるだけ喰ってほとんど動けなくなった頃、我々以外の最初の客が入って来た。
美穂と千絵はかなり踊り慣れている様子だった。
彼女達がディスコへ一度も行った事がないというのは、嘘らしかった。
1回目のチーク・タイムが始まった。
いつもの事であるが、それまで割り込むスペースがどこにもないと思える程混雑していたフロアが、スローな曲に変わった途端、波が引く様にあっという間にガラガラになった。
我々はテーブルを囲んで座っていた。
「ねえ、チーク踊らない?」
私は美穂を誘った。
「踊ろうか。」
私と彼女は立ち上がって、フロアへ下りた。
「私、チークってやった事ないの。
教えてよ。」
美穂は云った。
「くっついてれば好いのさ。」
淳一はまだ千絵を口説いている様子だった。
「本当に、チーク・ダンスした事ないのかい?」
私は訊いた。
「本当よ。
どうして?」
「ディスコに行った事ないってのは、嘘だろう?」
「東京のディスコは初めてよ。」
テーブルの方を見ると、千絵と淳一の姿がなかった。
美穂は私の脇腹あたりに両手を置いていた。
「変な事、訊くけどさ。
君は胸に自信のある方かい?」
「どう思う?」
「あまり感じられないな。」
彼女は白いブラウスを着ていた。
「まあ。
失礼ね。」
彼女は両手を、私の首に廻した。
「これでも感じない…?」
私は彼女の腰に手を添えた。
「少し…、感じて来た。」
彼女はさらに強く、身体を押しつけて来た。
「あら?
千絵ちゃん…。」
急に口調を変えて、彼女が呟いた。
振り向くと、千絵がこちらを向いてチークを踊っていた。
しかし、背中を向けている男は、淳一ではなかった。
「全く、ひでえ夜だな。」
淳一はまだ怒っていた。
彼は熱心に千絵をチーク・ダンスに誘ったが彼女はなかなか承諾せず、そして一人で立ち上がると、見ず知らずの男とフロアへ下りて行ってしまった。
「わかんねえ女だ。
何が気に入らないって云うんだ。」
ディスコを出た後、彼女達は国電駅の方へ行き、私と淳一は西武新宿駅へ向かった。
「泊まってくか?
飲み直した方が好い。」
「いや、今夜は止めとく。
もう気分が乗らねえや。」
沼袋で私は電車を降り、淳一と別れた。
三栄荘に着くと、二階から賑やかな声が聴こえて来た。
柳沢の部屋で行われている宴会は、最高潮を迎えている様だった。
「あっ。
帰って来た。
何やってたんだよ、鉄兵!」
柳沢が真っ赤な顔で叫んだ。
「俺が来てるってのに、遅れて帰って来るなんて許せねえよ!」
ヒロシはもう眼が座っていた。
「おめえ、駆けつけ三杯だぞ!」
ドロがボトルを取ろうとして、自分のグラスを引っ繰り返した。
私は香織に水割を作ってもらい、三杯程一気に飲み干した。
ヒロシは横になったまま、眠り込んでしまった。
板垣浩志と「ドロ」と呼ばれる横堀健一は、柳沢の高校時代からの仲間だった。
その夜のメンバーは、私を除けば、伊勢崎東高と伊勢崎女子高の合同同窓会という様相であった。
ドロは下へ降りて行ってトイレで戻してから、また飲み始めた。
「おめえらは幸せだよな。
こんな可愛い女の子に囲まれて生活できてさ。」
ドロが云った。
「でも、男を酒で潰して楽しむ悪い趣味を持ってるんだぜ。」
「あら。
柳沢君、酷いわね。」
世樹子が云った。
「そうよ。
そっちが勝手に潰れるんじゃない。」
フー子が云った。
「俺は可愛いって云ったのに、酷い云われ様だな。
鉄兵、敵を取ってくれよ。」
「ああ。
でも返り討ちに遭いそうだ。」
彼女達は三人とも、酒が強かった。
中でも香織の強さは、大抵の男が太刀打ちできない程であった。
三人の中では、フー子が一番崩しやすそうだった。
彼女は、既に強か酔っている様子であった。
私は、柳沢にこっそり食卓塩を持って来させ、フー子の水割を作る時、彼女達が喋っている隙にグラスの中へ食卓塩を振りかけた。
「はい。
フー子ちゃん。」
「ありがとう。」
フー子は私からグラスを受け取ると、そのままごくっと飲んだ。
「何か、しょっぱいな…。」
「しょっぱいわけないじゃない。
フー子ちゃん酔っ払ったんじゃないの?」
私は(入れ過ぎたかな…?)と思いながら云った。
「まだ酔ってませんよだ。」