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みやこたまち
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冥界解明迷宮 ~朝顔の棘~

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7.冥界



 芽吹いた十二の朝顔は、競い合うように双葉から本葉を出して、蔓を延ばし始めた。まだ十分に張っていない根は、蔓の激しい動きを支えきれずに、ぐらぐらと揺らめいた。この一角には支柱は4本しかなかった。首尾よく支柱に取りついた朝顔は、精一杯に葉を張って、他の蔓を寄せつけぬように威嚇した。朝顔同志で絡み合い、横倒しになった。棚田へずるずると落ちていく物もあった。あまりに勢い良く絡まりすぎて支柱を引き抜いてしまった物もあった。早々と蕾を膨らませてしまい、身動きが取れないまま別の朝顔の蔓に巻きつかれて腐っていくものもあった。支柱を奪った朝顔も、てっぺんまで巻きつくしてしまって、新たな支えを求めて青白い闇を嗅ぎ回っている。やがて日の出の数分前になると、巻いた物も巻かれた物も巻けずに倒れた物も、一斉に蕾を膨らませた。そして、日の出の瞬間、全ての蕾が解けた。艶やかな大輪が岩屋の下に広がった。だが、その瞬間から全ての朝顔が白茶け始めた。


 戸草は二人にせがまれて話しているうちに、自分が、その枯れた朝顔のことを、ことこまかに説明している事に気づいた。女は大きな瞳で戸草を見ていた。男は、迷宮の地下から涌いたという、水をごくごくと飲んでいた。
「だけど、ヨイガシってよく分からないな。結局、子供たちはどうなったの?」
 話しを終えた戸草に、女が尋ねた。戸草は、痰が絡んだように、ひとしきり咳払いをした後、肩をすくめてみせた。
「なんだか、生贄みたいな感じだったね。未だにそんな風習が残っている村なんて、ちょっと信じられないな」
 男はそう言って、もう興味を失ったとでもいうように、頬杖をついて窓の外を見た。ガラスには三人の姿が半透明に映し出されていた。男の肩口のあたり、切り立った岩山の合間に、沈みかける三日月が貼りついていた。
「このゲームだって同じようなものですよ。全財産をチップに変えて、地下がどうなっているのか分からないまま、いそいそと参加していく、あの連中をご覧なさい」
「私たちもだけどね」
 女はそう言って男を見た。男は、いつの間にか、戸草をじっと見つめていた。
「その朝顔だけど」
 と言うと、男は一旦言葉を切り、コップの水を飲み干してから続けた。 
「その朝顔だけど、蔓に棘が生えるやつじゃない?」
 戸草は、自分の咽喉がヒューヒューと鳴っているのを聞いた。
「覚えていないんですよ……」
 戸草の脳裏に、世話役の男の顔が浮かんできた。額を冷たい汗がしたたり落ちた。
「そうですか」
 男は簡単に返答をすると、窓の外へ視線を移した。白い月から冷たい光が滴っていた。戸草は、自分の周囲の空気が薄くなっていくような気がした。5年間の不摂生の報いが、一度に押し寄せてきたな、と思った。それから、案外これは、過去25年分の報いだったのかもしれないとも思った。
「何。どうしたの? 二人とも変な空気になってるよ。ヨイガシの話、不思議な話ですよね、戸草さん。出来れば私も…… 戸草さん。どうしたんですか? 戸草さん」
 戸草には、もはや、とりつくろう余裕はなかった。女の目の前で、戸草の顔はみるみる青くなっていった。吐き気に耐えるように、幾度も深呼吸をする姿に女は慌てた。
「お水を」
 女は、テーブルの上の、自分の飲みかけのコップを手にテーブルを回り込み、戸草の隣に膝をついた。男はそんな女と、戸草とを睨んでいた。
「戸草さん。お水」
 戸草は、女から震える手でコップを受け取り、口へ運んだ。だが、わずかに唇が濡れたというところで、激しく咳き込み、コップの水は、テーブルと、女の髪や顔、戸草のジャケットやズボンに飛び散った。
「離れろ!」
 突然、男が怒鳴った。女は初めて見た男の態度に慄いた。コーヒースタンドの全ての人の目が三人に注がれていた。呆然とする女の顔を、戸草はそっと覗き込んだ。
「大丈夫です。この水は、私には、清冽すぎるようです」
「だけど、お体が悪いんじゃあないですか?」
「大丈夫だといっているんだから、大丈夫だろう。戸草さん。そうですよね」
 男は席を立ち、女の肩をつかんで、椅子へ引き戻した。戸草は、顎をカタカタとならしながら、うなずいた。
「大丈夫です。ちょっと、むせただけですから。みなさんも。本当にお騒がせしました」
 戸草は、よろよろと椅子からたちあがって、店内にむかって頭を下げた。

「だけど、ヨイガシの話、とてもおもしろそうだと思わない? ちょっと不思議な、風習ね」
「もし、ヨイガシのことがもっと知りたかったら、是非、村へ行ってみることをお勧めますよ。村は、恋人同士のお客様をとても歓迎します。有名な縁結びの神社があるんです」
 女の目が輝いた。
「ねえ。私行ってみたい」
 男は女を見つめた。
「ここのエントリーは、どうするの? けっこう話題になっちゃっているみたいだけど……」
 男がそういうと、女はぷぅ、と頬を膨らませた。
「そんな意地悪言わないで。そういうことを気にしなくてもよくなるように、引退したんだからね」
 男は、そんな女を心の底からかわいい、と思い、大切だと思った。そして、この日、この時に、この『冥界解明迷宮』があったことを感謝した。
「それじゃ、行ってみよう。ここで戸草さんに会ったのも何かの縁かもしれないし。ここの攻略は、その後で」
「うん。その後で」
 二人は立ち上がった。
「それじゃ、戸草さん。また」
 女は戸草にむかって手を差し出した。戸草も、おずおずと手を差し伸べた。二人の手が重なった瞬間、彼女の掌に刺すような痛みが走った。だが、突然に手を引っ込めるのはあまりにも失礼だと思った女は、その痛みに耐えて、固い握手を交わした。

 カフェスタンドを出てから女は自分の手を見た。掌には、ボツボツと血が滲んでいた。
「大丈夫?」
 男はそう言って女の手を取ると、滲む血を嘗めた。
「う、うん。平気。それより、戸草さん」
 女はそう言って、店を振り返った。明るい店内は外からはよく見渡せた。戸草はタバコをくわえていた。一条の煙が立ち上り、それから再び激しく咳き込む姿が、幻燈のように映った。
「あっ」
 咄嗟に女は店に駈け戻ろうとした。だが、その肩を男がしっかりと掴んだ。
「僕らは、後戻りしちゃいけないんだ。大丈夫。お店の人が救急車を手配してくれるさ」 
 女は男を見つめ、コクリとうなずいた。
「じゃ、行こう」
 二人の背後からは、メントールの香りが漂ってきた。


 ――なぜだか、分からないけれど、あなたと離れていると、胸がぎゅっと締め付けられるみたいになって、すごく痛くて。こんな気持ち初めてだった。夢と現実がブレンドされるって折り合いをつけるんだって、思い始めていたけれど、これでいいんだと思おうとしてたけれど、私は等身大の私の、夢じゃなくて、幸福を、見つけたような気がしたの。きっと、本当の幸せって、よく分からないものだから、幸せなのかもしれないね。これからは、ずっと一緒だよ。

 ――僕達の出会いは、運命、だったのさ。