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魔王様には蒼いリボンをつけて ーEpisode1ー

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【蒼いリボン】



 ルチナリスが城に戻ると城内がざわついていた。
 いや、ざわついていた、と言うのは語弊があるだろう。ざわざわと大勢の気配がする。空気が揺れている。その空気の揺れは風のうねりにも、そして声のようにも聞こえる。
 しかし、あたりを見回しても相変わらず人の姿はない。

 声だけの状態に慣れたとは言え、これだけ大勢の気配がするのに姿が全く見えないというのはやはり奇妙だ。
 廊下を歩く彼女の横を通り過ぎて行く「気配」。しかし振り返ると誰もいない。
 窓から差し込む光は、カーテンのようにゆらゆらと廊下に敷かれた赤い天鵞絨(ビロード)を照らしているだけ。

 この気配が悪魔なのだろうか。
 あの馴れ馴れしく話しかけて来る声も悪魔だったのだろうか。
 そう思うと背筋が冷える。
 
 ああ。でもこれも全て義兄(あに)に会えばわかること。
 ルチナリスの足はまっすぐ執務室へ向う。
 この時間、あの人はそこにいる。


  .。*゚+.*.。   ゚+..。*゚+


「……勇者は?」
「今第3部隊が応戦中っす」

 執務室の扉の前まで来ると、漏れてくる義兄の声が聞こえた。誰かと話をしているようだ。
 誰だろう。執事ではないようだが。

「第3? ったく、最近たるんでるだろお前ら」

 ギシ、と椅子の背もたれが軋む音。
 不機嫌そうな義兄の声とは裏腹に応対している相手は嬉しそうだ。

「久々に魔王様の雄姿が見れるってみんな喜んでるっすよー」
 
 ……魔王?

「お前らわざと負けてないか?」

 悪魔じゃなくって、魔王?
 レベルアップで進化でもしたのだろうか。
 こともあろうに……魔王!?


 この城は悪魔の城と呼ばれている。
 そこを居城にしている城主が、そのことを知らないわけはない。
 義妹(ルチナリス)には教えなかっただけで、本当に悪魔は存在していたのかもしれない。

 でも。

 勇者と応戦中ってどう言うこと? それじゃまるで……。



「そこで何をしているのです、ルチナリス」

 執務室のドアをノックしようか逡巡していたところへ、いきなり背後から肩を叩かれた。
 わかる。声だけで。
 ルチナリスがおそるおそる振り向いた先には、冷やかな眼差しの執事が立っていた。
 いつの間に。

「青藍様は執務中です。要件なら私が」
「いいい、いえ、なんでもありません」

 目が据わっている。部屋に近付く者は誰であろうと排除する気満々だ。いや排除ならまだいいが、この人の場合この世から抹殺しかねない。

「……何か、聞きましたか?」

 凍りつきそうな声にルチナリスは後ずさった。
 数歩も下がらないうちに背中に壁が当たった。


 此処(ここ)は悪魔の城。
 悪魔って本当にいるの?
 魔王って、誰なの?
 しかしそれを口にしたところで何になるだろう。
 今質問しているのは向こうなのだ。
 その答えも出さずに逆に問うたところで、目の前のこの男が答えるはずがない。



 その時、執務室の扉が開いた。
 出てきた義兄は執事と義妹を前に出しかけた足を止め、不思議そうにふたりを見比べた。

「あれ? るぅ……とグラウス? 何してんの?」

 扉越しに聞こえた声とは違う、いつもの穏やかな義兄の声。
 いつもと同じ無邪気そうな笑顔。

 いつもの。

 ルチナリスは義兄の向こうに見える部屋の中を目だけで探る。
 他に誰かいるような人影は見えない。気配もない。

「いいえなんでも」

 ルチナリスの肩に置いていた手をするりと外しながら、素知らぬ顔で執事は主に微笑んで見せた。
 義兄は目を瞬かせてもう1度義妹と執事を交互に見、それから義妹の上で目を止めた。

「るぅ?」

 どうしよう。
 いつもと同じに見える義兄の目が、今は心の中まで見透かそうとしているように感じる。
 口が渇いて仕方がない。唾を飲み込もうとしても、カラカラに乾いた空気だけが喉を擦るようにして落ちていくだけ。

 どうしよう。こんな時ってどうしたらいいんだろう。
 勇者と戦ってるってどういうことですか? とはとても聞けない。
 でも黙っていたら余計に疑われる。

 目の前にいるこの人は、さっき誰かと話をしていた。
 その誰かは「魔王」と言った。

「……あ、あの、髪……」

 義妹の声に義兄は不思議そうな顔を向けた。

「髪?」
「朝くしゃくしゃになったままだったでしょう。だから、あの」

 話題を変えるにしても無理がありすぎる。
 埃っぽかったのは朝で、それからもう何時間経っていると言うのだ。そのまま放置していたとしても埃なんか取れているだろうし、実際、着替えも済ませたのだろう、今の義兄は朝とは服装まで変わっている。
 身だしなみに気を遣うくらい普通だ。いつ来客があるかわからない人なんだから。……すぐ横にうるさそうな人も張り付いているし。

 その「うるさそうな人」を目だけで見上げると、予想外にこちらを見下ろしていて、ルチナリスは慌てて顔を背(そむ)けた。
 背けても、後頭部に「なにを言っているんだ」とばかりの視線が刺さってくるのを感じる。

 ああ。やっぱり無理がありすぎた。
 それだったら「お兄ちゃんの顔が見たくて来ちゃった、えへ」と舌でも出してみせたほうがずっともっともらしい。そんなキャラではないとしても。



 しばらく黙ってルチナリスを見ていた義兄は、ふいに笑顔を浮かべた。

「……んじゃ、直して貰おうかな」
「青藍様!」
「だってこれから人に会うんだし」

 目をつりあげた執事に義兄は肩をすくめて笑う。悪戯を思いついた時のような、「仕方ないね」と呆れた時のような。

「少し待って貰ってて」

 にこにこと、それでいて拒否を許さない笑顔で執事の肩をぽん、と叩くと、義兄はルチナリスの肩に手を回した。
 彼女を、執事の視線から遠ざけるかのように。